感謝の心で「いただきます」

2017年 10月10日 - 日常

この三連休を皮切りに、稲刈りが盛んに行われています。
8月の日照不足も、9月に入ってからの晴天と高温により、稲の発育に好影響を与えたらしく平年並みの出来ばえのようです。

「米」という文字を分解すると、「八十八」となります。
これは、「お米が実るまでに八十八回も手をかけるから」と言われています。
現在では、機械化が進んだことにより作業の手間も減ってはいますが、良質なお米を作るためには、4月の種もみの準備から10月の稲刈り、乾燥、もみすりまで、たくさんの時間と労力が必要です。
植物としての稲(いね)、その実を収穫・脱穀して米(こめ)、米を炊いてできる食物は飯(めし)。
漢字からも主食であるごはんに込められた先人たちの深い思いがうかがわれます。
法華宗では、食事の前に必ず合掌して「食偈(じきげ)」を唱えてから頂戴いたします。
「天の三光に身をあたため 地の五穀に魂を養うこと これひとえに本地如来の大慈大悲なり たとえ一滴の水も 一粒の米も(略)」と言って、感謝の心をもって「いただきます」とお唱えした後に箸をつけます。
「農家の人が苦労してつくったお米なんだから、残さず食べなさい」。
法華坊主も子供の頃に母親から、「お米を一粒でも残すと目が潰れるよ」と、躾けられた記憶があります。
その考え方が現代に通用するか否かは、それぞれのご家庭でご判断いただくことでしょうが、決して迷信でもなく、脅かしでもないことだけは、子や孫にも伝えていかなければなりませんね。

衆院選、安倍総理が福島市で第一声。  法華坊主 joe

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