BLOG巧於難問答

卒業・・・

2014年 03月28日 - BLOG巧於難問答

今週は、各地で卒業式がありました。

私も立場上、卒業式のお手伝いをしました。

別れと出会いの春・・・

来週はもう、入学式です。

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写真が、あまり綺麗でなくて申し訳ありません。       こうえい

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東北での唱題行脚

2014年 03月20日 - BLOG巧於難問答

明日は、彼岸のお中日です
更新が滞っていましたので、3月11日に3年を迎えた東日本大震災追善法要の写真をアップします。

立正大学仏教学部  東日本大震災  3年の節目に唱題行脚

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【他、各地で読経・唱題がありましたが、私は時間の都合上、荒浜のみ随喜参拝させていただきました】

今、在籍している立正大学の教員・大学院生・学部生など多くの方が、東北の地にて御回向くださいました。

たいへん有り難かったです。仏教的に考えると、昨年の3回忌がひとつの節目であって、次は7回忌となるでしょう。
今年が、3周忌?4回忌? どのように表現すれば良いのか悩みますが、昨年ほど多くの宗教教団が、追善の法要を行ったわけではないだろう・・・と、私は思っております。

そのような中で、「立正大学仏教学部」有志の面々が、おまいりくださいましたことは、本当に感動・感謝・感激でありました。

ぜひ、明年の3月11日にも、このような活動を行っていただきたいと思います。

遅くなりましたが、皆さまありがとうございました。    こうえい

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教学の根幹には?

2014年 03月15日 - BLOG巧於難問答

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法華宗教学大会が東京国際フォーラムにて開催され、昨日、参加してきました。

たくさんの発表があり、自分自身の研究との関連や、今後の研究の手立てとなるものはないかと・・・さまざま考えました。

大会後、懇親の場を設けて、先生や先輩より御教示を賜りました。
けっきょくのところ、「教学」・「宗学」の根幹は、信仰心だと、いつものことですが考えさせられました。

なぜ、日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」のお題目でなければいけないと言ったのか?
なぜ、日蓮聖人は『立正安国論』を執筆・進覧したのか?

これが、日蓮聖人に直参する信仰のあり方なのでしょう・・・今日も、勉強をがんばります    こうえい

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目録とは…

2014年 03月5日 - BLOG巧於難問答

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久々の更新です
昨日は、目録作成のため国会図書館にて1日を過ごしました

私は今、近現代の日蓮宗教学史における日蓮聖人遺文集や、『立正安国論』注釈書の目録を作成しています

少し話は変わりますが、私はこの目録作成を昨年度の卒業論文より継続して行っています
ある時、「学者」なのか?自称「学者」なのか?そのような立場にある方に、「なんの勉強をしているのか?」と尋ねられたことがありました
私は、前述のように目録の作成に努力していましたから、「遺文集や注釈書の目録作成をしています」と、答えました
そしたら、「そんなことをしても意味はない、もっと教学に関わることをするべきだ」と言われました

数年前の私は、否定されたことへのショックでなにも答えられませんでした
ですが、今なら胸を張って言えるかもしれません
「今、私がやっていることにこそ意味がある・・・」と
研究のスタートは、先師の足跡をたどることからだと教わりましたので、そのように言えるのです
料理をするにしても、材料をそろえて、下ごしらえをしなければ始まりません
きっと、その方は材料がきれいに整っているところからが、研究のスタートと思っているのでしょう
申し訳ないですが、ナンセンスです

1月の終わりに、研究所の先輩が博士論文を提出されました
すごく偉大なことです
今の私では、足元にも及びませんが、来年度の論文提出を通過点として、ずーっと『立正安国論』研究に従事していきたいと、思いを新たにした1日でした

写真は、帰り道にみえた国会議事堂と東京タワーです・・・

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図書館と学問

2014年 02月3日 - BLOG巧於難問答

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今日、世田谷区玉川にある「東京都公文書館」に行ってきました。
明治期の寺院明細帳の複写を求めていったのですが…。コピー代で、30,000円も超えて、1,500枚ほどの用紙を持って帰ってきました。まだまだ終わりませんので、まだまだ通います。

ちょっと感じたことですが、なんだか、職員さんの対応に少し冷たい気がしました。
機械が当たり前になってしまった昨今、学術研究も同様の状態ですが、もう少し細かく教えてくれて、手を貸してくれてもいいのではないかなあ?と考えました。

と言うのも、私は日頃から立正大学大崎図書館にて、非常に恵まれた環境で、研究をさせていただいているからです。

「郷に入ったら郷にしたがえ」と言いますから、各々の規則に従わなければならないですが、やっぱり大崎図書館がナンバーワンの環境です。
この場を借りて、図書館の各氏に感謝します。 そして、これからもお願いします。   こうえい

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2014

2014年 01月1日 - BLOG巧於難問答

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謹賀新年
昨年はお世話になりました
本年も、宜しくお願いします

更新が滞っていたこのブログも、新年を迎えたことを機に、少しでもできるように努力したいと思います

さて、大学院生活も9ヶ月が過ぎました
日々、日蓮聖人と法華経の研究に従事できることを光栄に思っています

今日、1月1日、元日ですが、日蓮聖人はどのように考えていたのか、御遺文にたずねたく思います

『重須殿女房御返事』(『十字御書』)
正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり。(『昭和定本日蓮聖人遺文』1855~1856頁)

【訳】
正月の元日は、日の始め、月の始め、年の始め、春の始めであります。この日を大切にする人は、たとえば、月が西から東をさして満ちていくように、日が東から西に渡って照らすように、内には人徳を積み、外には人から敬愛されるのであります。

日蓮聖人も、檀越(ご信者さん)へのお手紙に、正月の一日がどれほど大切かを説いています

正月の一日に、私も目標を立てました
私の今年の抱負は、近日中のブログで・・・こうえい

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小川泰堂居士

2013年 06月30日 - BLOG巧於難問答

日蓮聖人滅後、日蓮聖人の著述を後世に伝えるべく、遺文の編纂が行われました。
滅後すぐに形となったのが、『録内御書』や『録外御書』であります。これらは、類集体遺文集といわれ、同じ種類で分別されています。

それに対して、日蓮聖人の執筆年代順に編纂した遺文集を編年体遺文集といいます。これは、明治初期に小川泰堂居士によって編纂された『高祖遺文録』が初であります。
泰堂居士は、在家の日蓮聖人信奉者である医師であります。在家信者が、日蓮聖人遺文の編纂を行ったことは、きわめて偉大なことであります。

そして今日は、池上本門寺内にある小川泰堂居士に墓参してきました。

そして、せっかくの機会ですので、池上本門寺と大坊本行寺にも参拝してきました。

池上本門寺

大坊本行寺

御霊蹟地にお参りでき、有意義な1日でした。

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27日

2013年 06月28日 - BLOG巧於難問答

昨日は、弟の誕生日でした。(なにもしませんでしたが・・・)

そして、2か月後の8月27日は、私の誕生日です。

日蓮聖人のご生涯をみたとき、
生誕は2月16日、入滅は10月13日など、多くの御聖日がありますが、27日にかかわった有名な出来事として、8月27日の「松葉谷法難」が挙げられます。

そう、ぼくの誕生日!

それはさておき、
文応元年7月16日に鎌倉幕府・北条時頼(提出先は、諸説あり)へ『立正安国論』を進覧したことで、法然浄土教の怒りをかってしまいました。それによって、念仏信者らが日蓮聖人の草庵を焼き討ちした出来事を、松葉谷法難といいます。

いかなる迫害に遭うとも、法華絶対主義を生涯を貫いた聖人の御聖日に生まれたことは、両親に感謝しなければいけませんね。

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「教学」とは・・・

2013年 06月14日 - BLOG巧於難問答

日蓮聖人が、建長5年4月28日に、初めて「南無妙法蓮華経」を唱えてから、750余年がすぎた今日。
日蓮聖人に帰依し、日蓮聖人の教えを護ろうとしている教団は沢山あります。
私は、「なぜ、日蓮聖人の教えは沢山の教団に分かれたのか?」ということをずーっと疑問に感じていました。
もちろん、歴史を紐解けば権力争いや時の社会状況によって分裂した事実もありますが、第一は「教学」の違いでしょう。
つまり、日蓮聖人が説き示された教えをどのように考えるかであります。   いうならば、「教学の相違」

先日の講義で、教授が以下のように言っていました。

教学とは、ひとりひとりの立場と、ひとりひとりの信仰によって、どのように日蓮聖人を理解したのか。その答えが教学としてあらわれる。
門下の立場において、日蓮聖人をどのように位置づけるかを考え、いかに信仰するかがそのすべての根本となっている。

深いコトバではないでしょうか?

教学とは、日蓮聖人に門下のひとりひとりが向き合った結果であるのです。
他の教学を否定することも大切ですが、その前に「なぜ、そうであったか?」という他への理解から始めようと考えました。
いくら間違っているとはいえども、その人の考えはそこにたどりついたわけですから・・・。

研究は、肯定的・積極的な意見ばかりを取り入れては限界があるので、否定的・消極的なものも、包括的に研究しなければならないと感じたところです。康

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魂の著述『立正安国論』

2013年 06月2日 - BLOG巧於難問答

3週間ぶりのブログです。更新が、滞ってまして、申し訳ありません。

5月の大型連休も終わり、この1ヶ月はいろいろなことがありました。

私事ですが、最近は研究発表や紀要のための論文執筆、来年度の修士論文に向けての材料あつめをしている毎日です。
私の研究テーマは、以前にもブログで報告したとおり『立正安国論』です。

『立正安国論』は、文応元年(1260)7月16日に、日蓮聖人が鎌倉幕府の前執権である北条時頼に進覧した書であり、相次いで起こる天変地異が邪法の流布であることを明かし、正法への速やかな帰依に帰依することを指南しています。この『立正安国論』は、現代にも通じるものであって、2年前の東日本大震災を経験したからこそ、研究テーマとして選びました。

ですが私は、日蓮聖人滅後に、門下がどのようにして『立正安国論』を受容し、また『立正安国論』の精神を展開してきたかを第一のテーマとしています。なぜなら、『立正安国論』が持つ性質として、「国家諌曉の書」・「災難対治の書」・「衆生救済の書」という側面がが挙げられ、『立正安国論』の受容・展開のために、どの側面を重んじたかの相違に興味をもったからです。

そして、門下の受容を調べる第一歩として、ここ2週間ほどで『立正安国論』を項目として収録している年表と辞書の目録を作成しています。およそ、150冊。『立正安国論』は、日蓮系・仏教系・宗教系はもちろんですが、世界史年表・国語辞典・文学年表・哲学事典・思想史辞典などにも収録されていました。

『立正安国論』がもつ多面性。日蓮聖人が、後世の我々に伝えたかったことを、門下がそれぞれの立場で受け止め形にした結果です。
そして、目指すべき世界は立正安国の世界観。

改めて、日蓮聖人の魂の著述『立正安国論』を研究できる法悦を感じています。

また、近いうち、『立正安国論』研究の進展の結果を披露したいと思います。             康

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