三宅裕司が乳飲み子だった!

2018年 09月2日 - 日常

先週木曜日に「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」を観て感動したことは既報のとおりです。
そのブログを見てくれた友人から連絡があって「私も好き・・・それで孫の名前も千尋(ちひろ)と名づけたの」と連絡をいただきました。

いわさきちひろさんは、本名:松本知弘(まつもとちひろ、旧姓岩崎)で、大正7年生まれの、もちろん女性です。
子供の水彩画に代表される日本の画家で、絵本作家でもあります。
今日は絵から離れて彼女の人となりを探ってみます。
ちひろは27歳の時、宮沢賢治のヒューマニズム思想に強い共感を抱き、日本共産党の演説に深く感銘し、勉強会に参加したのち入党しました。
画家としての多忙な日々を送っていた彼女ですが、30歳の夏、党支部会議で演説する青年松本善明と出会います。
松本善明といえば、弁護士として松川事件やメーデー事件、労働争議に関わり、後に日本共産党衆議院議員となった方です。
2人は党員として顔を合わせるうちに好意を抱くようになり、ある時ちひろが言った何気ない言葉から、結婚する決心をしました。
昭和25年1月21日、レーニンの命日を選び、2人きりのつましい結婚式を挙げました。その時、ちひろは31歳、善明は23歳でした。
翌年ちひろは長男を出産しますが、狭い借間で赤ん坊を抱えて画家の仕事を続けることは困難であったため、やむを得ず信州松川村に開拓農民として移住していたちひろの両親のもとに子どもを預けることにしました。
当然ながら赤ん坊に与えるはずの乳は毎日張ります。
初めのうちは自ら絞って捨てていましたが、「実際に赤ん坊に与えなければ出なくなってしまうのではないか」「息子に会って授乳する時に充分出なくなってしまうのではないか」と懸念したちひろは、当時近所に住んでいた子どもが生まれたばかりの夫婦に頼み、授乳させてもらったといいます。
ちなみに、その乳飲み子は後にタレントとなるあの三宅裕司だったそうです。
今の世の中では考えられない驚きのエピソードですよね。

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