田の実りをお供えし豊作祈願

2018年 09月10日 - 日常

今日9月10日は、旧暦の8月1日です。
旧暦8月1日は「八月朔日(はちがつついたち)」を略して「八朔(はっさく)」といいます。
この時期に田んぼでは早稲(わせ)の穂が実ることから、本格的な収穫を前に「豊作祈願」と「田の実りをお供えする」という意味を込めて、西日本を中心に各地で様々な行事が行われていました。
「八朔節供」「田の実の節供」などといい、現在でも八朔にまつわる風習が残っています。
西日本ではこの「穂出し」を祈願する行事を「たのむ」「たのみの祝い」「たのもの節供」などといい、九州北部では、七夕の笹のようなものを立てて田の畔で作頼みをする風習があります。
また、八朔に「穂掛け」という、早稲の穂を採ってきて焼米を作るなどの刈り初めの行事を行うところもあります。
四国や中国地方には、「八朔の馬節供」と称して、馬や鶴亀などの形の米粉の細工を作って親戚や近所の家に贈る風習があります。
そして、それを初めて生まれた子どものお祝いとして飾り、上巳の節供や端午の節供のように「八朔の節供」として祝うところもありました。
香川県丸亀地方には今も「八朔だんご馬」の風習が残っており、八朔に地元で採れた米の粉で、前肢高く上げた、いななく駿馬を作り、男児のいる家に贈り、飾る風習があります。
江戸幕府では、天正18年(1590年)のこの日に徳川家康が江戸入りしたことにちなみ、「八朔」を正月元日に次ぐ重要な日としており、「八朔御祝儀」といい、大名・旗本が白帷子姿で総出仕する日となっていました。
また、花街でも八朔に挨拶まわりをする風習がありました。
今でも、京都の芸舞妓は8月1日(現在は新暦8月1日)に正装姿で芸事の師匠や茶屋をまわっています。

ちなみに柑橘系のハッサクも漢字では「八朔」と書きます。
一説には、万延元年(1860年)頃、瀬戸内海の因島の恵日山浄土寺境内に毎年実をつける蜜柑の老木があり、住職の恵徳上人が食べたところ大変美味で、早いものは八朔(旧暦8月1日)の頃に味がのって食べられたところから「八朔」と命名したと言われてます。

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