清浄を重んじる祭り

2018年 10月10日 - 日常

地元の秋祭りも無事終了しました。
日付はすでに10日になっていますが、ちょっと考えてみます。
今でこそ、老若男女問わず誰でも参加できる山車祭が多くなってきましたが、古くは女人禁制と言って、女性は山車の運行に参加できず、曳き綱に触れることすら出来ないお祭りもありました。
今でも歴史や格式を重んじる祭りでは、女人禁制の伝統を守っています。
さて女人禁制についてですが、男女平等・男女同権と言われる今日では、その考えは男女差別だと言われそうですが、この女人禁制、古くは女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の祭りには遠ざけられてきました。
こうしたことから「男尊女卑」という考え方も横行したのでしょう。
では、なぜ女性を穢れとしたのかというと、古くは血を穢れとする考え方がありました。
伊勢神宮などでは忌み言葉と言って、血のことを汗「あせ」とか表現したそうです。
しかし本来、神道の考え方では女性だけを穢れとしたわけではありません。
穢れとは気枯れで、健康な状態を元気と言うように、本来あるべき気が枯れてしまった状態が穢れ(気枯れ)なわけです。
長い歴史の中で神道本来の穢れの考え方が歪み、特に生理を伴う女性を軽視するようになり、山車の運行などの神事には女人禁制となったんだと思います。
同じように、男性でも病気だったら穢れなわけです。
また、毎年祭りに参加する男性でも、近親者の死去による穢れによって参加しない場合もあります。
今では多くの山車祭で女性・女児の参加が見られるようになりました。
女人成仏を説く『法華経』を拠とする法華坊主ですから、祭りの女性参加を決して否定はしません。
ただ私たちの母の時代までは、祭りの際には女性は陰に廻って、表舞台で活躍する男性を支えていたことも忘れてはいけません。
祭りは神事・仏事であって、カーニバルやフェスティバルではないことを肝に銘じていただきたいですね。
こんな事を言う法華坊主は、時代錯誤ですか?

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