橋は自然を克服する一手段

2018年 11月5日 - 日常

皆さんは、東京・両国と言ったら何を想像しますか?
国技館、吉良邸跡、都慰霊堂、江戸東京博物館・・・いろいろありますね。
先日、2016年(平成28年)11月に開館した「すみだ北斎美術館」を初めて訪ねました。
江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)が本所界隈(現在の墨田区の一角)で生涯を送ったことや、彼が本所割下水で生まれたとされ当時の「南割下水」に相当する現在の「北斎通り」の線上にある亀沢もゆかりの地に含まれることから、当地(墨田区亀沢2-7-2)に設立されました。
ちょうど「北斎の橋 すみだの橋」展(〜11月4日終了)が開かれており、北斎の作品に加えて、北斎が一生をすごしたすみだという地域にも焦点を当てた展覧会で、北斎が描く橋を通して、インフラという本来の意義を越えた、橋の文化的側面を紹介していました。

古来より橋は、人々が交通のために川や谷といった自然を克服する一手段として架設されてきました。
橋の構造や種類は、各時代における政治的・技術的制約の中で、様々に発展しており、その背景には、建設に携わった人、橋が架けられる地域の人など、多くの人々の思いがあります。
様々な橋の構造に着目して描き分けた北斎の代表作「諸国名橋奇覧」全11図は興味深く、中でも「飛越の堺つりはし」「かめゐど天神たいこばし」「すほうの国きんたいはし」「三河の八つ橋」などは非常に見応えがありました。
他のコーナーでは、墨田区内の橋を取り挙げ、北斎が生きた時代以降、橋がどのように発展し現在まで続いてきたのか、錦絵などに描かれた橋や絵葉書、図面、関連資料を通じて紹介してあり、橋の役割について考えさせられました。
橋と川の浮世絵を観ていたら、現存の橋も眺めてみたくなりましたので、機会がありましたら隅田川・神田川のクルーズ船に乗って、今日まで続く江戸の歴史に触れてみたいですね。

NHK鈴木奈穂子アナ、復帰おめでとう。  法華坊主 joe

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