西洋で日本美術品を商った初めての日本人。

2019年 04月12日 - 日常

「林忠正」という方をご存知ですか。
林忠正(1853-1906)は、西洋で日本美術品を商った初めての日本人です。
日本でフランス語を習得し、1878(明治10)年のパリ万国博覧会を機に通訳として渡仏しました。
折しも日本の美術・工芸品が大きな人気を博していた時代、万博終了後もパリに留まる決心をした林は、当地でそれらを商う店を構えます。
林が日本から直接仕入れた絵画や工芸品そして浮世絵などは、彼が提供する商品に関する該博な知識と共に、西洋の日本美術愛好家たちに熱心に受容され、ジャポニスム隆盛の大きな原動力となりました。

「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」展が、国立西洋美術館・版画素描展示室で開催(~5月19日)されており、本展を紹介してくれた方と共に観てきました。

各地で開催された博覧会への参加や自身の美術商としての活動を通じて、日本の美術・工芸品の紹介に尽力する一方、現地で美術館がもつ文化的役割の重要性を認識していた林は、日本での美術館建設を夢見て、同時代の作家を中心とする西洋美術コレクションを少しずつ充実させてゆきました。
国立西洋美術館のコレクションの中核を形成した松方幸次郎に先立つこと実に25年前、林はすでに西洋美術館建設を構想していたのです。
しかしその構想は、林の帰国とその早すぎる死によって実現することはなく、彼のコレクションも生前・没後の数回にわたる売り立てによって散逸を余儀なくされました。
この展覧会は、林忠正の孫の夫人で歴史作家の木々康子氏の所蔵品を中心に、万博などとの関わりや、日本そして西洋の美術・工芸品を介して培われた交友、さらにはコレクションがたどった運命に注目し、林忠正の生涯にわたる活動を概観するものです。
林は、浮世絵をはじめとする大量の日本美術・工芸品を国外に流出させた人物として、ときに批判的に語られることもありますが、「芸術を介した日欧文化交流に尽力した林の功績を再考する機会となれば幸い」と主催者は呼び掛けています。

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