橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり

2019年 05月5日 - 日常

大空を泳ぐ鯉のぼりは、初夏の風物詩。
目を閉じると、幼い頃を思い出す方も多いでしょう。
古代中国から伝わった「端午」の行事は、日本で「端午の節供」となり、その意味や祭りは長い間に幾度も変化し続けてきました。
あるときは皆のために、またあるときは乙女のために。
人々の生活にいろいろな形で浸透してきた5月5日は、今も昔も元気をくれる日といえるでしょう。

もともと日本では、田植え月の五月に「五月忌み」という日本古来の行事をしていました。
神聖な行事である田植えは早乙女(さおとめ=若い清らかな女性のこと)がするものとされ、田植えの前には、一定期間心身を清める「物忌み」をしていました。
ここに「端午の節供」が結びつき、早乙女は菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋に一晩こもり、菖蒲酒を飲んで穢れを祓い、神聖な存在になってから田植えに臨むようになりました。
つまり女性のためのお祭りであり、当時の女性にとっては堂々と休める嬉しい日でもあったのです。
その後、武士の力が強くなると、「菖蒲」が武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じ、葉の形が刀に似ていることから、兜に菖蒲を飾ったり流鏑馬(やぶさめ)をするようになり、男の子のお祭りに変わっていきました。
さらに、江戸幕府によって五節供のひとつに定められると、男の子が強く逞しく成長して立身出世することを願う行事として定着していきました。
時代はすすみ、昭和23年に「国民の祝日に関する法律」で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」となり、男女の別なくお祝いをするようになったのです。
鯉のぼりや武者人形、菖蒲や蓬については、旧暦の時にお話しましょう。

10連休ラスト1、Uターンピーク。  法華坊主 joe

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