徹底した描写・写実の画家。

2019年 07月13日 - 日常

皆さんは、速水御舟(はやみぎょしゅう)さんをご存知ですか?
恥ずかしながら、僕はまったく存じ上げないお方でした。
先日、上京の折に山種美術館で開催されている「生誕125年記念 速水御舟」展(〜8月4日)を観て感激しました。
「速水御舟」といっても、残念ながら熱心なアートファン以外には、その存在は馴染みが薄いと思われます。
速水御舟は1894年に東京浅草生まれ、大正時代の重要な日本画家です。
家は質屋であり、御舟は質草の鎧兜や骨董に親しんで育ち、14歳の折、歴史画を得意とする日本画家の松本楓湖に入門。
楓湖門下の兄弟子として今村紫紅・小茂田青樹らに出会い、1914年、横山大観が紫紅らとともに日本美術院を再興すると、紫紅を慕う御舟も日本美術院に出品します。
「洛外六題」(1917)は大観や下村観山に激賞され、在野の若手日本画家のホープとして期待を一身に受けるようになります。
3年後、26歳の御舟が発表した作品が「京の舞妓」で、従来の日本画とは全く異なる、グロテスクなまでの写実生が特徴ですが、画壇では酷評されました 。
特に31歳の御舟の作品「炎舞」は、御舟の最高傑作として知られ、様式的な炎の描写、写実ながらも平面的に配置された蛾が特徴のようです。
35歳の時に描いた「名樹散椿」も有名です。
その後、ヨーロッパ旅行を経て御舟の画業はますますの進展を迎えますが、間も無く腸チフスに罹患し、わずか40歳でこの世を去ったのでした。
今回の展覧会を観て、御舟の作品はもちろん、短い生涯でありながらその生き方や哲学的な考え方にも感銘しました。
展覧会を見ての感想は、明日ブログしますね。

ジャニーさん、家族葬でお別れ。  法華坊主 joe

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