絹織物の町。

2020年 04月16日 - 日常

2020春のNHK連続ドラマ小説「エール」が始まって、明朝は第15話です。心に届け 君への応援歌(エール)! 昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古関裕而(古山裕一)とその妻・金子(関内 音)の物語です。舞台は福島県川俣町(かわまたまち)。

川俣町は、川俣盆地を中心に、絹織物の町として発展してきた町です。
町の歴史は、縄文時代の遺跡が数多く残されていることから、原始時代の1万年も前より祖先の足跡が刻まれているほど古いものです。
古代末から中世にかけて、小手保といわれた川俣地方は、奈良興福寺の荘園として繁栄しました。甘露寺には紀州(和歌山県)根来寺の高僧が住み、川股城跡のふもとからは大量の常滑焼きが見つかっています。
室町時代の初めは、川俣氏が支配していました。16世紀ころからは伊達氏の支配に属し、16世紀後半には伊達氏の将、桜田氏が川股城に居城していました。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の奥州再仕置による蒲生氏郷の支配、そして、慶長3年(1598年)に上杉景勝の支配となり、寛文4年(1664年)からは、幕府直轄地になりました。元禄16年(1703年)には川俣代官所が創設されて、明治維新に至りました。慶長年間(1596年~1614年)から生糸や絹織物取引の市が立ち、江戸城御用の川俣絹を生産するなど、国内で有数の絹織物産地に発展し、明治・大正・昭和の時代には輸出花形商品の羽二重を織り出しました。

昭和30年3月1日、町村合併促進法により、1町7カ村が合併して現在の川俣町となりました。川俣町の地名のおこりには2つの説があります。
1つは、むかし、川俣町・飯野町・月舘町などを含めた地域は「小手郷」と呼ばれていました。これは、養蚕・機織りの祖「小手子姫」の名前に由来するもので、川俣の地名も小手子姫の郷里、大和国(やまとのくに・奈良県)高市郡川俣の里にちなんで名付けられたという説、もう1つは、町を流れる広瀬川(小手川)と富田村より流れる五十沢川が合流する地域(川股)の形状から、以来これを川股と称えたという説です。

かつて福島市の松川駅から川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた旧国鉄「川俣線」がありましたが、1972(昭和47)年に廃止されました。
立正院から東へ約20キロ弱、こんな身近な川俣町が今「エール」の舞台になっています。

 

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