目に見えるような表現。

2020年 07月8日 - 日常

停滞する梅雨前線の影響で九州北部は7日から8日にかけて大分、福岡、熊本各県を中心に局地的に激しい雨に見舞われました。
東日本でも断続的に激しい雨が降り、大雨の特別警報が発表されている岐阜県と長野県では平年の7月1か月分を大きく上回る大雨となり、岐阜県では飛騨川が氾濫しました。
被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
近年、毎年のように「数十年に一度」や「観測史上初」と表現される大雨が発生し、大きな被害をもたらしています。
このような大雨から身を守る上で重要なのが、「ある地点において、50年や100年という長い期間に、どのくらいの規模の雨がどんな頻度で降るのか」を知ることが必要ではないでしょうか。


そこで最近、TVやネットを通じた災害報道を見ていますと、どうしても違和感を感じてしまうことがあります。
まず、どうして次から次へ「新しい言葉」を作らなくてはいけないのでしょう?
さらに言えば、苦心して作った「新しい言葉」が機能しないというのは、どうしてなのでしょう?
例えば「数十年に一度の豪雨」とか「特別警報」というような「新語」があります。
「この数十年に一度」というのは、実は「特別警報」の定義であり、同時に危険度をアピールする表現なのですが、どうも問題があるようです。
とにかく「新しい言葉」を作るというのは止めたほうがいいです。
そうではなくて、具体的に「水深何メートルの洪水の危険」とか「ハザードマップ上の土砂災害の危険度があるレベルの地域では危険度が高い」といった「何が起きるかを細かく表現した」目に見えるような表現が必要だと思います。

 

河井前法相夫妻を買収罪で起訴。  法華坊主 joe

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