供えて、開いて、食べてこそ。

2021年 01月11日 - 日常

お正月の間、年神様の居場所になっているのが鏡餅。
そのため、年神様がいらっしゃる松の内の間は飾っておき、松の内が過ぎたら下げて食べ、年神様をお送りします
年神様の依り代(よりしろ)である鏡餅には年神様の魂が宿っているとされるため、鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、1年の家族の無病息災を願います。
つまり、年神様がいらっしゃる松の内が明けた11日に鏡開きをしますが、鏡餅は供えて、開いて、食べてこそ意味があるのです。

鏡開き|季節の行事|暮らし歳時記

鏡開きはもともと武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。
そこで、手か木槌などで割ることになりましたが、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになりました。
鏡開きで年神様を見送り、お正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味がありました。
剣道などの武道で、新年の道場開きに鏡開きとしてお汁粉をふるまったりするのは、その名残りです。
祝い事の時に振舞われる樽酒のふたを割ることも鏡開きといいますが、これは酒樽のふたのことを「鏡」と呼んでいたからです。
米からできる日本酒は神聖なものとされ、神事を営む際に神様に供えられ、祈願が済むと参列者で酒を酌み交わして祈願の成就を願う風習がありますので、やはり縁起の良い「開く」という表現を使っています。
鏡餅の鏡開きも、樽酒の鏡開きも、新たな出発に際して健康や幸福などを祈願し、その成就を願うということは同じなのです。

 

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