ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州の郡独立市?

2021年 08月14日 - 日常

昭和20年(1945)8月14日の御前会議で、「ポツダム宣言」の受諾が決定され、同宣言受諾に関する詔書が発せられることとなりました。
「終戦の詔書」案は、8月14日の閣議にかけられ、「戦局日ニ非ニシテ」が「戦局必スシモ好轉セス」とされるなど数カ所の修正が行われたのちに、文言が確定しました。
この詔書は、翌15日正午、いわゆる「玉音放送」として国民に伝えられました。

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「ポツダム宣言」とは、第二次世界大戦末期の昭和20年・1945年(今から 76年前)の7月26日に、ドイツのポツダムにおいて、アメリカ・イギリス・中国(後にソ連も参加)が発した対日共同宣言で、日本に太平洋戦争の降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したものです。
その内容は、日本の軍国主義の除去・日本の領土の限定・完全な武装解除・戦争犯罪人の処罰・日本の民主化・連合国による占領などで、日本政府は初めこれを黙殺したが、広島と長崎への原子爆弾の投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)などを経て8月14日に受諾を連合国に通告しました。
同日夜、終戦の詔勅が発せられ、翌8月15日に天皇自身が全国民にラジオ放送でこれを明らかにした。

米英中三国政府首脳の連名で発表された共同宣言であるため、「米英支三国共同宣言」「米英華三国宣言」などともいわれるが、英文資料によれば「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender」とされています。
訳せば「日本の降伏のための定義条項宣言」などといったところでしょうか。

昭和20年(1945年)8月14日のポツダム宣言の受諾通告の後、同年9月2日に、東京湾内に停泊したアメリカ海軍の戦艦ミズーリの甲板上において、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが「降伏文書」に署名を行い、これによって日本の降伏が確定しました。
明日は「終戦記念日」。
いま一度、そっぽ向かず正面から、第二次世界大戦(太平洋戦争)について考える良い機会にしてください。

 

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