「深い悲しみ新たに」

2021年 08月15日 - 日常

8月15日は、76回目の「終戦記念日」。
日本政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催しました。
一般には「終戦記念日」や「終戦の日」と称され、戦争を体験した世代には、大きな意味をもっていることでしょう。

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1945年(昭和20年)815日は、昭和天皇が戦争後の日本の在り方を定めたポツダム宣言の受諾を、日本国民と大日本帝国軍人に「玉音放送」という形で直接語り掛けた日であり、武器を置き、敵対行為をやめるように命じたもので、戦闘状態をいったん休止する「休戦宣言」をした日だとも言えます。
実際に、日本がポツダム宣言を受諾したのは814日であり、そのことは全世界に公表されていました。
それを知らなかったのはごく一部を除く日本人だけだったのです。
事実、アメリカでは814日に日本が降伏することが報道されていました。
その日にトルーマン大統領はポツダム宣言の内米国米国国民に説明し、日本がそれを受け入れたことを告げました。
よってVJデー(対日戦勝記念日)は、92日の降伏文書調印を見届けた上で布告するとしていたのです。
日本の降伏調印式は92日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流されました。
トルーマン大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説し、その中で92日を正式にVJデーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのです。
したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は、194592日ということになるようです。
1952年(昭和27年)4月28日は、サンフランシスコ平和条約の発効により、国際法上、連合国各国と日本の戦争状態が終結した日です。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を「降伏の日」「降伏記念日」や「敗戦記念日」と呼んでいたことも忘れてはなりません。

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