「宗学」を修学

2013年 04月16日 - BLOG巧於難問答

昨日は、はじめての研究発表があり、ものすごく疲れていつもより早くに寝てしまい、ブログの更新ができませんでした。
毎日、ブログを書くって、難しいですね。

さて、昨日の発表についてですが、1年生にしては上出来との激励をいただきましたが、質問には思うように答えられず。そして、たくさんの課題も見つかりました。課題があるということは、まだまだ学問研究を続けられるということ。嬉しい限りです。

次は、再来月の上旬にある研究会での発表です。ドキドキですが、少し楽しみでもあります。日々の積み重ねですね。

さて、今日の講義で、私に学部の卒論から今日まで指導してくださっている先生(修論の指導もお願いしますが…)が、「宗学」を修学する意義について語ってくれました。

森の中に入ることで、ひとつひとつの木は見えるが、森の全体は見えない
森の中に入らないことで、森の全体は見えるが、ひとつひとつの木は見えない

これはおそらく、深くせまい学問か、または、広く浅い学問か、ということを言っているのでしょう。
しかし、先生は続けて言います。

高いピラミッドを建てるには、底面が大きくなければ成り立たない。
その底面にあるのは、「信仰」です   ・・・と。

宗学を修学するには、根底に信仰がなければ成り立たないのであって、広く大きくなければいけない。
そのことを伝えたかったのだろうと、私なりに解釈していますが、先生の本意であるかどうか…。学問は、困難の連続です

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