小松原法難 巡拝の旅

2013年 11月19日 - 日常

今年は、宗祖日蓮聖人・四大法難の一つである『小松原法難』より750年の歳月を数え、併せて殉教の聖者、鏡忍坊日暁上人、妙隆院日玉上人(工藤吉隆公)の第750遠忌です。

小松原法難とは、文永元年(1264)11月11日の夕方、日蓮聖人と弟子信者10余名が、安房国東条の郷松原大路(千葉県鴨川市広場付近)において、東条景信らの襲撃を受けた事件をいいます。
弘長3年(1263)2月、伊豆流罪を赦免されて鎌倉に帰った聖人は、翌年の文永元年、母親の病を見舞われるため安房へ帰郷されました。
母親の回復を祈り、少し回復に向かった為、10月に花房・蓮華寺を訪れ以前の師匠であった道善房に面談し、11月11日、天津の工藤吉隆公の屋敷に招かれ向かう途中、松原大路において、地頭東条景信の襲撃に遭われました。
東条景信にとって聖人は、地頭の権力の前に立ちはだかる敵対者であると同時に、浄土教を批判し宗教生活の根本を非議する極悪人でありました。
殉死したのは、弟子の鏡忍房と工藤吉隆公。
重傷を負った二人は乗観房・長英房と伝え、後に襲撃のあった地に鏡忍寺が建立されました。
聖人は天津に逃れ、翌年、鎌倉に帰られました。

建長5年(1253)の信仰告白以来、清澄寺の追放、更に文応元年(1260)の『立正安国論』の進覧を経て、松葉谷草庵の焼打、伊豆流罪、そしてこの東条景信の襲撃と、聖人に対する迫害の連続は、聖人自身の法華経の行者意識を高めていきました。
以前は「法華経の持者」「法華経の行者」と表現していたものが、この法難を通して「日本第一の法華経の行者」と表明するに至りました。

この聖年に、日蓮聖人のご霊跡を参拝しようと16日から千葉県に向かいました。
中村檀林跡の日本寺(多古町)
中老・日弁聖人創建の峯妙興寺(多古町)
日本最古の大学・飯高檀林跡の飯高寺(匝瑳市)
小西檀林跡の正法寺(大網白里市)
上総七里法華十ヶ寺のひとつ本国寺(大網白里市)
東身延と称される藻原寺(茂原市)
法華宗四本山のひとつ鷲山寺(茂原市)
日蓮聖人十日間説法の霊場として知られる妙覚寺(勝浦市)
一説には日蓮聖人が山頂にて朝日に向い初めてお題目を唱えた場所と伝えられている妙法生寺(大多喜町)
お綿帽子の日蓮様と親しまれている日蓮寺(鴨川市)
日蓮聖人のご両親妙日尊儀と妙蓮尊尼の御廟所である妙蓮寺(鴨川市)
日蓮聖人降誕の地に建てられた誕生寺(鴨川市)
日蓮聖人が御題目を唱えられ立教開宗した清澄寺(鴨川市)
天津領主工藤左近将監吉隆公の居館跡の日澄寺(鴨川市)
日蓮聖人の小松原の法難の地に創建された名刹・鏡忍寺(鴨川市)
恩師道善坊を訪ねた蓮華寺(鴨川市)
日蓮聖人鎌倉渡海の旧跡といわれる妙福寺(南房総市)
日興聖人の法脈を継承する妙本寺(鋸南町)
鬼子母尊神や荒行堂で有名な法華経寺(市川市)
と駆け足での巡拝でしたが、藻原寺、鷲山寺、誕生寺、清澄寺の4ヶ寺以外は初めて訪れたお寺でしたので、タブレットを片手にお詣りさせていただきました。
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ありがとうございました。  法華坊主 joe

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