のだ塩物語り  「山を鋳、海を煮る」

2013年 12月26日 - 日常

今日、昼のワイドショーを観ていたら「のだ塩」について放映がありました。

先日、岩手県宮古市を訪れたときに、ご縁をいただき足を延ばして野田村に行ってきました。
あまちゃんの三鉄に乗り、三陸海岸の豊かな自然に恵まれたところに野田村はあります。
その折に駅舎に隣接する売店で求めたのが、海水直煮製塩の「のだ塩」です。

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野田村の製塩は、海水を汲み直接煮る「直煮法(じきにほう)」で行われ、たいへんな重労働により苦労して作られた大切な商品でした。
製塩の歴史で画期的なのは、野田界隈は江戸時代から日本有数の砂鉄の産地で、塩を煮る鉄釜を容易に入手できたという背景があります。
野田村の海岸で焚かれた「のだ塩」は、牛の背で遠く盛岡や秋田県鹿角地方など海のない内陸まで運ばれ、米・粟・そば・豆などの穀物と交換されていました。
北上山地を越え、仙岩峠を越え、牛が通るだけの狭く険しい山道は、後に「のだ塩・べコの道」と呼ばれました。
海と山を結ぶ血潮の路は、また野田村の活きる道でもあり、人の道でもあったのです。
先人たちの夢が、現代人の夢が、この「のだ塩」を手塩にかけ育んでいます。
数十時間かけて煮詰めたミネラルたっぷりの「のだ塩」一粒一粒に、まろやかさとまごころが詰め込まれています。

ありがとうございました。  法華坊主 joe

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