盂蘭盆雑感① 亡き愛児へ

2014年 08月13日 - 日常

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皆様のお宅では、お盆の迎え火を焚いて、ご先祖様がキュウリの馬に乗ってお帰りになられたことでしょう。
法華坊主も「棚経」が佳境?に入りました。
精霊棚に向かって読経をしていますと、〇〇童子・〇〇童女とか、〇〇孩子・〇〇孩女、あるいは〇〇嬰子・〇〇嬰女と記された御位牌を見かけます。
いずれも生まれたばかりの子供から幼少の子供たちが亡くなった御位牌です。

日蓮聖人のお手紙の中にも、愛する我が子を亡くされた母親に宛てた手紙があります。

上野尼(母尼)の夫「南条兵衛七郎」は文永2年に病死します。
母尼は懐妊中で、夫亡き後、女手で幼い子らを懸命に養育しましたが、弘安3年9月、16歳になったその子「五郎」が急逝してしまいます。
訃報を受けた日蓮聖人は、心を痛め弔慰の書状を綴られ、つぼみの花が風にしぼみ、満月がにわかに消えたようだ「書きつけるそらも覚え侯はず」と一度筆を置かれたものの、さらに慰めの言葉を探し追伸を記されました。
その後も四十九日をはじめ折々に書状を認め、慰めいたわり、母尼の心に寄り添い続けました。
「悲母(ひも)、我子を恋しく思(おぼし)めし給いなば、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて、故南條殿・故五郎殿といっしょに生まれんと願わせ給へ」(『上野殿母尼御前御返事』)」とお説きになられ、同じ妙法蓮華経の国=霊山浄土(りょうぜんじょうど)に生まれ、三人が再会する日を期して信行を重ねるようすすめています。
翌年正月に母尼へ送られた書状は「南無妙法蓮華経と申す女人の、思う子にあわずという事はなしと説かれて候ぞ。急ぎいそぎ、つとめさせ給へ、つとめさせ給へ」と結び、追善の供養をすすめ、法華経への信仰を深めるよう励ましています。
我が子の死を契機に信仰に目覚める方は少なくありません。
親なればこそ、親なればこそ亡き子に導かれるのです。

今朝の「花子とアン」、盆の入りに棚経に出かける寸前とはいえ感動的でした。
花子の愛息・歩が疫痢で早世し、我が子を思う母親=花子(吉高由里子)の熱演は見応えがありました。
「あすよりの 淋しき胸を 思ひやる 心に悲し 夜の雨の音」

ありがとうございました。  法華坊主 joe

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