旧暦8月1日

2014年 08月25日 - 日常

昨日(24日)、当山の盂蘭盆会施餓鬼法要(うらぼんえ せがきほうよう)を奉修いたしました。
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お暑いなかご参詣をいただきました檀信徒の皆様、ありがとうございました。

法要終了後、町内の供養塔にお参りしました。
DSC_1487南下原児童遊び場の妙法地蔵
DSC_1489福島大学キャンパスの慰霊碑
その後、大粒の雨が降り出し、阿武隈川・上蓬莱橋での川施餓鬼、松川事件殉職者の慰霊塔、羽山(美郷)の無縁供養碑でのご回向を雷雨が降りしきる中お勤めいたしました。

そして今日は、旧暦8月1日=「八朔(はっさく)」です。
“朔”の字は「欠けた月が戻る」の意でめでたい吉日と考えられていました。
「八朔」の日には早稲米の初穂を刈って神にささげ、 近づく台風の季節を無事にのりきって、豊作を期待する「作だのみ」をする日と言われています。
「田の実(田面)の節供」(たのむのせっく)ともいわれ、この日は五節供に次ぐ嘉日とされていました。
稲の豊作を願う行事が各地でみられます。
虫送りの時期は様々ですが、この時期に虫祈祷や虫送りをし、害虫の被害から守るための祈願をする場合もあるようです。
また、「八朔」には祓いの行事もあって、例えば、八朔を馬節供、雛節供といって初節供のある家では人形や馬の形を団子やシンコ細工でつくる地方もあるそうです。
八朔休みともいい、この日から昼寝をやめ、夜なべ仕事が始まりました。
「今日(8月1日)を田のみという事は、田にできたる米を人々の方へ遣し始めしよりおこれり」とあり、古くは平安時代からあった風習でそうす。
こうした農民の習慣が、武家にも伝わり、鎌倉時代には「八朔」の贈答という習慣がありました。
京都の祇園町では今も8月1日に、芸妓舞妓さんが正装の黒紋付で研鑽を積む芸事の師匠やお茶屋などに挨拶回りをすることが八朔の礼儀として続けられております。
室町時代には、贈物は太刀や馬に変化し、主従関係や縁故関係を確認するためにが頼み合う「田の実」節供となっていきました。
江戸時代には、八月朔日が徳川家康の江戸入城の日だったこともあり、幕府では正月とともに特に重んじて、八朔御祝儀の日としたそうです。

ありがとうございました。  法華坊主 joe

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