2021年 06月25日 - 日常
1984年の夏、ロス五輪が開催された頃、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得したことを記憶しています。
この曲はもともとイタリアの男性シンガー・ガゼボが歌った「I Like Chopin」に松任谷由実が日本語詞を乗せ、小林麻美の歌唱で歌われたものであることは言うまでもありません。
この曲を日本語カヴァーした小林麻美は、70年にライオン歯磨のCMで鮮烈に登場し、72年には「初恋のメロディー」で歌手デビューしました。
しかしアイドルとしての活動は短く、休業を経て「雨音はショパンの調べ」は実に8年ぶりのリリースだったのです。
そして91年に突如、芸能界を引退しました。
「雨音はショパンの調べ」をレコーディングする際、ユーミンから「セリフを囁くように歌うと良さが出る」と言われ、歌にコンプレックスのあった小林麻美も安心してレコーディングに臨んだというエピソードがあります。
けだるくメランコリックな内容はまさに我々が思う小林麻美のイメージ通りだと思いませんか。
昨年春に、ラジオプロデューサー・作家の延江浩による評伝『小林麻美 第二幕』が、朝日新聞出版より刊行しました。
本の帯には、「麻美ちゃんは姿を消してしまったけど、気持ちは繫がっていると思い続けた25年間でした」と、プライベートでも仲の良い松任谷由実が綴っています。
本文では、「松任谷由実がプロデュースした名曲『雨音はショパンの調べ』で鮮烈な印象を残し、『女が女に憧れる』(ユーミン)というロールモデルを作った伝説のミューズ・小林麻美」と表現していますが、言い得て妙そのものです。
梅雨のひと時、「雨音はショパンの調べ」を聴きながら、『小林麻美 第二幕』を読んでみませんか。
東京都議選告示、7月4日投票。 法華坊主 joe
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2021年 06月24日 - 日常
きのうブログったら、「無言館」って何ですか?と、お尋ねがありました。
無言館(むごんかん)は、長野県上田市古安曽根にある中世ヨーロッパの教会風の佇まいの美術館です。
無言館は、窪島誠一郎(くぼしま せいいちろう=1941年生)さんが、信濃デッサン館の分館として、1997年に開館しました。
窪島さんは、著作家であり、美術評論家であり、父親は小説家の水上勉です。
第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵・展示しています。
「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」で見る側に多くを語りかけるという意味から命名されたそうで、客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味をも含んでいると言われています。
芸術の才能を花開かせる前に戦場で散った画学生の作品は、涙なしには見られず、観覧中にあちこちですすり泣く声が聞こえることもしばしばあるそうです。
窪島さんの「戦没画学生達は反戦のために絵を描いていたわけではない」という考えで、反戦のメッセージを前面に出さず、作品を淡々と展示していることでより深い感銘を受けます。
2009年からは、全国から寄せられる戦没画学生の絵画をより多く展示するため、ドーム型の第二展示館もオープンしています。
2014年から海外の戦没画学生の作品も収集展示しています。
去年の8月『日曜美術館』(Eテレ)で「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」が放送され、窪島さんが出演して「戦後50年を契機に戦没画学生の作品収集を始めた」と話していたいました。
数年前に長野に出かけたとき、ぜひ寄ってみたいと思っていた美術館ですが、思い叶わず次の好機を探っていました。
天皇陛下、五輪開催による感染拡大に懸念。 法華坊主 joe
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2021年 06月23日 - 日常
きょうは「沖縄慰霊の日」。
今月に入って、私の周りでもテレビ・新聞・雑誌等で「沖縄戦」の情報がまん延しています。
76年前、昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で祈りをささげる人の姿が見られ、平和祈念公園では戦没者追悼式が行われます。
各地で平和への祈りがささげられていて、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり、手を合わせたりしている姿が報じられています。
一方、沖縄ではこの1年、名護市辺野古沖で進むアメリカ軍基地の埋め立て工事に使う土砂の調達先をめぐる問題が大きな議論を呼びました。
沖縄慰霊の日、第二次世界大戦で亡くなった学生たちが描いた絵を集めた展覧会を観に、郡山市立美術館を訪ねました。
長野県にある「無言館(むごんかん)」は、戦争で亡くなった学生の遺族を訪ね、およそ600点の絵を集め、24年前に開館しました。
絵の前に立つと、なにも言葉が出なくなるということから、「無言館」と名付けられたそうです。
画学生たちが遺した作品には、恋人や妻、故郷など日常的な風景画描かれていますが、そこには既に絶筆になることを予想して、生きているその時間を噛みしめるように、ひたむきに制作している姿勢が感じられます。
新型コロナの影響で来館者が減ったことから、各地で展覧会を開いているとのことで、郡山では所蔵作品から134点を展示しています。
「無言館展」は、8月29日(日)まで開かれています。
上野動物園のパンダ、双子出産。 法華坊主 joe
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2021年 06月21日 - 日常
きょうは、24節気のひとつ「夏至(げし)」です。
夏至の場合、一般的に北半球においては、1年のうちで最も昼の時間(日の出から日没までの時間)が長くなるため、「1年で最も昼の時間が長い日」としておなじみです。
夏至は、立夏と立秋のちょうど真ん中にあたり、梅雨の最中の地域が多いのですが、「夏に至る」と書くように、この頃から夏の盛りに向かっていきます。
夏至の日は太陽の位置が1年で最も高くなるので、日が昇ってから沈むまでの時間が長いわけです。
正午頃に太陽がほぼ真上を通るため、たいへん短い影を見て、夏至を実感する方も多いのではないでしょうか。
まさに今日は「梅雨の中休み」、晴天に恵まれた一日でした。
北半球では夏至に祭りを行うところがたくさんあります。
とくに北欧で盛んに行われていますが、なかでも有名なのがスウェーデンの夏至祭りで、最も大事な日とされています。
日本では、お伊勢参りで身を清める場所として知られる二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ/三重県伊勢市)で行われている「夏至祭」が有名です。
伊勢神宮には太陽を神格化した天照大御神が祀られており、太陽の力が最大になると考えられている夏至の日に、二見浦で夫婦岩の間から昇る朝日を浴びながら禊を行う祭りです。
夏至には、冬至のカボチャのように決まった食べ物はありませんが、関西では稲の根がタコの足のごとく強く、深く、広く根付いて欲しいと願い、タコを食べる風習があります。
また愛知には、不老長寿の果物といわれたイチジクを田楽踊りに由来する味噌田楽で食べるところもあるそうです。
7都道府県、まん延防止に移行、7/11まで。 法華坊主 joe
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2021年 06月20日 - 日常
きょうは、「母の日」と比べて忘れられがちだったりする「父の日」です。
「父の日」は、いつもみんなを見守って大切にしてくれているお父さんに、「ありがとう」の感謝の気持ちを伝える日です。
昔、アメリカに住むジョン・ブルースドット夫人という人が、男手ひとつで育ててくれたお父さんに「ありがとう」の感謝の気持ちを込めて、白いバラを捧げたそうです。
これがきっかけとなって、「母の日」の次に「父の日」ができました。
それがだんだんとアメリカ全体に広がっていき、やがて日本にも伝わってきたといわれています。
日本に「父の日」が入ってきたのは1950年頃ですが、人々の間に広く知られ、実際にお祝いされるようになったのは1980年代です。
1981年に設立された「日本ファーザーズ・デイ委員会」が父の日の浸透に大きく寄与しています。
母の日がすでに定着していた1980年代の日本では、父の日もすぐに人々に親しまれるようになりました。
「日本ファーザーズ・デイ委員会」が主催する人気イベントのひとつ、「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」は、「素敵なお父さん」として選ばれた著名人に贈られる賞で、毎年6月の父の日近くに授賞式が行われます。
これまで芸能人やミュージシャン、経営者、落語家、スポーツ選手などさまざまな分野から多くのベスト・ファーザーが選ばれており、日本における父の日の風物詩となっています。
しかし現実はそうでもなく、次のような声が聞こえてきます。
「母の日は、義母にプレゼントしたりするけど、父の日は、ここ数年つい忘れてスルーしています」
「父の日は、プレゼントコーナーも少なくていつも悩んじゃう。しかも去年は悩んで悩んで、気づけば父の日が終わっていた」
「お父さんへ『いつもありがとー!』と気合を入れてプレゼントを渡したら、1週間間違っていた」
「父の日が仕事になり、お祝いは流れに流れて結局スルー、というのがここ数年の恒例」
「父の日は、母の日よりお店の催事等が控えめなこともあり、ついいつだか忘れてしまいがち」
世間の風は冷たいですが、ガンバりましょうお父さん‼
楽天、打線沈黙で2年ぶりの5連敗。 法華坊主 joe
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2021年 06月19日 - 日常
6月も中旬になり、境内のアジサイも咲き出しました。
日本原産のアジサイが初めて書物に登場したのは、奈良時代です。
日本最古の和歌集である『万葉集』には様々な植物が記されていますが、アジサイが詠まれている和歌はわずか2首だけだそうで、「味狭藍(あじさい)」「安治佐為(あじさい)」と表記されています。
私たちに馴染みのある『紫陽花(あじさい)』という表記になったのは、平安時代のことです。
学者であり歌人の源順(みなもとの したごう)は、中国の白楽天の詩を読んだ際、その詩に記されている『紫陽花』と、日本でよく知られるアジサイが同じものだと考えました(実際は別種の植物だったとも?)。
このことをきっかけに、アジサイに『紫陽花』という漢字があてられるようになったと言われています。
アジサイの花言葉を知っていますか? アジサイの花言葉は、「移り気・浮気」です。
ずいぶんネガティブな花言葉ですよね。
アジサイは、酸性かアルカリ性か土壌によって色がコロコロと変わる植物で、アジサイの色の変わりやすさが、人の心の移ろいのように見えたことから、「移り気・浮気」というような花言葉がつけられたといいます。
土壌の酸度によって色が変化するアジサイには、『七変化』という別名までつけられています。
アジサイの季節である6月は気温の変化が激しく、昔はこの季節に流行病で亡くなる人がたくさんいました。
そのため、アジサイは死者に手向ける花と考えられていたのです。
かつて流行病が起こった地域では、お寺にたくさんのアジサイを植えるようになったとのことから、アジサイの名所にはお寺が多いと言われています。
福島県を含む東北地方が梅雨入り。 法華坊主 joe
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2021年 06月15日 - 日常
福島県の北部に位置する県北地域は、くだものの主要な生産地となっています。
くだものは暖地性(暖かい気候でできる)と寒地性(寒冷な気候でできる)の大きく2つに分類されます。
県北地域は、夏は高温多湿、年間の降水量は少なく、冬は寒冷の恵まれた風土により、両性のくだものが栽培され、サクランボ・モモ・ナシ・ブドウ・リンゴ・カキなど四季折々のくだものが生産されています。
ふくしまが「くだもの王国」と呼ばれるのは、このように種類の多さに加え、おいしいくだものが生産されていることにあります。
現在の果樹の中心地帯である県北地域は、旧伊達郡・旧信夫郡から現在に至り、早くから養蚕業が発展した地域です。
大正時代半ば以降、昭和恐慌、特に第2次世界大戦後の養蚕業の衰退に伴って、桑園から果樹園への転換が進みました。
また東北線の開通などにより、農産物市場が地方から全国へと拡大し、商品作物としての果樹の増大に拍車をかけることとなりました。
山形より一足早く収穫され、福島のくだものシーズン幕開けを告げるのがサクランボです。
加温ハウスは5月の連休ごろから、露地物は6月初旬ごろから、高砂・佐藤錦・紅秀峰と7月上旬まで楽しめます。
福島サクランボは、福島リンゴと同じく葉面散布で育てて葉を固く健全に育てていることが特徴です。
福島サクランボで特に気配りしていることは、旨味と甘み、そして艶やかさと色味といった見た目の追求と徹底です。
まだまだ栽培の歳月は浅いですが、独自の栽培で40年続いている福島サクランボの経験と伝統。
それは意外にもシンプルであり、基本的にはリンゴやモモといった果物と考え方はほとんど同じです。
福島サクランボの育て方で最も重要なことは、子どもを育てるように優しくじっくりと育てること。
あとは福島の自然の風土と気候、そして葉と樹と土が産地直送でおいしい福島サクランボを実らせてくれるのです。
歴史と生産量は、お隣の山形県にはかないませんが、美味しさは勝るとも劣らない今が旬の「福島サクランボ」をぜひ試食してみてください。
内閣不信任案を否決、今国会解散見送り。 法華坊主 joe
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2021年 06月14日 - 日常
きょうは、旧暦の「端午の節句(たんごのせっく)」(5月5日)です。
端午の節句は、日本においては奈良時代から続く行事で、季節の変わり目に、厄除けの意味を持つ菖蒲を飾ったり、薬草であるヨモギを配ったりして、病気や災厄から身を守るという意味を持った宮中行事でした。
政治の中心が貴族から武士へと移ると、「武を重んじる」という意味の「尚武(しょうぶ)」が菖蒲(しょうぶ)と同じ音であることから、武家社会で盛んに祝われるようになり、やがて家の後継ぎである男の子の成長や一族の繁栄を願う、大切な行事になっていきました。
♫ 柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ ちまき(粽)たべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ ♪
端午の節句で食べる料理には、特別な決まりがあるわけではありませんが、童謡「背くらべ」には、粽(ちまき)が出てきます。
ちまきを端午の節句に食べるのは、中国の故事に由来しています。
楚(そ)という国の有能な政治家・詩人を供養するために、特別な葉で包んだもち米を河に流したのが始まりで、それから旧暦の5月5日にはちまきを食べるようになりました。
そんなちまきが日本に伝わったのは奈良時代で、ちまきと呼ばれるようになったのは、邪気払いの意味を持つ茅(ちがや)の葉が使われていたことに由来するようです。
一方、ちまき同様「端午の節句」に食べられる柏餅は、江戸時代に生まれた日本固有の風習です。
昔から神聖な木とされてきた柏には、「新芽が出るまで古い葉が落ちない」という特徴があることから「後継ぎが絶えない」「子孫繁栄」の意味を持つようになり、柏餅は「端午の節句」にふさわしい食べ物になりました。
みんなでちまきや柏餅を食べながら、日本古来の風習に触れ、子供たちの健やかな成長をお祝いしていただきたいですね。
「北の宿から」作曲家の小林亜星さんが死去。 法華坊主 joe
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2021年 06月13日 - 日常
スーパーではとっくに出回っていますが、地元の農家が丹精込めて育てた「新玉ねぎ」を頂戴しました。
玉ねぎには、皮の色や大きさにより、黄玉ねぎ・白玉ねぎ・赤玉ねぎ・小玉ねぎなどの種類があります。
新玉ねぎとは、黄玉ねぎや白玉ねぎを早取りしすぐに出荷したもので、通常、玉ねぎは日もちをよくするために、収穫してから1ヶ月くらい風にあてて乾燥させますが、新玉ねぎはすぐに出荷するため、皮が薄く実の水分が多くてやわらかい、という特徴があります。
また、みずみずしく、辛みが少ないので、スライスしてサラダなどに入れ生食するのがおすすめです。
通年出回っている玉ねぎのほとんどは黄玉ねぎですが、最近では鮮やかな赤紫色の赤玉ねぎや、小玉ねぎも多く見られるようになりました。
家事担当者によると、赤玉ねぎはサラダに、小玉ねぎはシチューなどの煮込み料理にと、用途に合わせて使い分けていると自慢していました。
戦前の児童文学者・村山籌子さんの作品に『川へおちたたまねぎさん』(1928・昭和3)年があります。
短い文章ですが、お母さんが小さな子供たちにシチューをよそってあげるとき、「だれにだって、一生懸命ガンバっていても失敗することがあるんだよ!」と静かに語ってくれているようなお話です。
語りがゆったりとしているところは、やはり昔の作品ならではだと思いますが、慌ただしい現代だからこそ、子どもたちに読み聞かせてあげたい作品ではないでしょうか。
オリックス、11年ぶり2度目の交流戦優勝。 法華坊主 joe
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2021年 06月12日 - 日常
佐古忠彦(さこただひこ)さんをご存じですか?
そうです、『筑紫哲也NEWS23』のサブキャスターをつとめる他、ディレクターも担当していたTBSアナウンサーです。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)と、戦後に占領下の沖縄で米軍の圧政と戦った政治家・瀬長亀次郎の生き様を描いたドキュメンタリー映画の監督です。
その佐古監督が、太平洋戦争末期の沖縄県知事・島田叡(しまだあきら)にスポットを当て、知られざる沖縄戦中史を描いたドキュメンタリー映画『生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事』(2021年)が、福島市内の映画館で6/11~17までの一週間限定で上映しています。
沖縄戦を生き延びた住民たち、軍・県の関係者、その遺族への取材を通じ、これまで多くを語られることのなかった島田叡という人物の生涯と、語り継ぐべき沖縄戦の全貌に迫った長編ドキュメンタリー映画を観てきました。
〈国家のことばかりを考えて、民(たみ)の声を無視している〉と思われる、戦時下の悲痛な状況が僅かな映像からもひしひしと伝わってきました。
映画を見終わった後、多くの国民が中止を求めているにもかかわらず東京オリンピック2020を強行しようとする日本政府、オリンピック組織委員会が、この作品の内容と通じるものがあるような気がしてなりません。
「日本は何も変わっていない」そんな思いを強く感じました。
この映画は「カメジロー」と違い、本人の肉声は登場せず、専ら伝聞と残された資料による類推から構成されていますが、島田叡の語りを佐々木蔵之介が担当し、落ち着きのあるナレーションは山根基世と、沖縄出身の津嘉山正種の二人です。
ちなみに、NHK局内では一時期、「朗読の加賀美幸子、ニュースの森田美由紀、ナレーションの山根基世」と称されたことがあるくらいです。
最後に流れる主題歌『生きろ』は、小椋佳のオリジナルで作られています。
今月23日は「沖縄慰霊の日」、コロナが収まったら「摩文仁の丘」を再訪したいですね。
東京でコロナ467人感染、30日ぶり前週上回る。 法華坊主 joe
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