2021年 02月3日 - 日常
節分が124年ぶりに2月2日になったことが話題になっていますが、それは違います。
24節季のひとつである「立春」が、124年ぶりに2月3日になったことに伴うものであり、本末転倒していますね。
現代の日本では、国立天文台の観測によって、「太陽黄経が315度になった瞬間が属する日」を立春としています。
2021年の立春の瞬間は、2月3日23時59分で、あと1分で2月4日だったそうです。
古代中国では冬至日を1年の区切りにしていましたが、だんだんと「春から1年が始まる」という考えになりました。
国民に季節の運行を知らせることは、王の大事な役目であり、冬よりも春の方が重要な季節だったのです。

さて、春を迎えるめでたき立春の日にふさわしい祝い酒が〈立春朝搾り〉です。
節分の夜から一晩中、もろみを搾り続け、立春の早朝に搾りあがったばかりの生原酒を、 その日の夜に手元に届きます。
朝できたばかりのお酒をその夜に飲めるのだから、このうえなく新鮮。
もちろんいっさいの火入れをしない生酒で、原酒のままで、生まれたてのお酒そのままの、酒蔵でしか味わえないフルーティな香気と、躍動感あふれる味です。
搾り上がりが「立春の日」と決まっている立春朝搾りは、できあがりが早すぎたり遅くなったりしないいよう、完璧な管理と緻密な調整が必要で、「大吟醸より神経を使う」という杜氏さん泣かせのお酒です。
また、搾り上がったらすぐに瓶詰めして出荷しなければならないため、この日、蔵人たちは夜中から、ときには徹夜での作業を行うそうです。
立春の日の朝に産声をあげたばかりのお酒で、生まれたての春をお祝いしましょう。
河合杏里被告が議員を辞職。 法華坊主 joe
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2021年 02月2日 - 日常
きょうは「節分」。
本来、節分とは季節の節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことをいい、年に4回あります。
ところが、旧暦では春から新しい年が始まったため、立春の前日の節分(2月3日頃・今年は2月2日)は、大晦日に相当する大事な日でした。
そこで、立春の前日の節分が重要視され、節分といえばこの日をさすようになったのです。
昔は、季節の分かれ目、特に年の分かれ目には邪気が入りやすいと考えられており、さまざまな邪気祓い行事が行われてきました。
おなじみの豆まきも、新年を迎えるための邪気祓い行事です。
古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行事がありました。
これは、桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事です。
これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代に宮中行事として取り入れられました。
その行事のひとつ「豆打ち」の名残が「豆まき」で、江戸時代に庶民の間に広がりました。
豆を〈打つ〉から〈まく〉に変わったのは、農民の豊作を願う気持ちを反映し、畑に豆をまくしぐさを表しているからだといわれています。
本来は大晦日の行事でしたが、旧暦では新年が春から始まるため、立春前日の節分に行われるようになり、節分の邪気祓い行事として定着していきました。

さらに、鬼は鰯(いわし)の生臭い臭いと、柊(ひいらぎ)の痛いトゲが大の苦手とされています。
そこで、鰯の頭を焼いて臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、それを玄関先にとりつけて、鬼が入ってこないようにする風習があります。
これを「焼嗅(やいかがし)」「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」などと呼びます。
10都府県3/7まで緊急事態宣言延長、正式決定。 法華坊主 joe
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2021年 02月1日 - 日常
今年も早や1ケ月が過ぎました。今日から2月です。
寒の戻りなどまだまだ寒く、衣をさらに着込むことから「きぬさらにき=衣更着」となった、などといわれます。
テレビなどでも報じられているように、豆まきなどの行事でおなじみの「節分」、実はその日付は固定されたものではありません。
国立天文台によると、2021年の節分は例年のように2月3日ではなく、2月2日になるといいます。
3日でなくなるのは、1984年2月4日以来37年ぶり。2日になるのは,1897年2月2日以来124年ぶりの出来事です。
1年は365日と約6時間とされており、1年に約6時間ずつ遅れが生じます。
ただ、うるう年には4年前よりも少し早くなるので、少しずつズレてしまいます。
こうして、しばらく2月4日に納まっていた「立春」の日が今年、2月3日に移り、その前日の「節分」も連動して2月2日に移ったのです。

「恵方を向いて丸かじりして無言で食べ切れば、願いがかなう」と言われる恵方巻き。
発祥は諸説ありますが、江戸時代末期に大坂・船場で商売繁盛の祈願として始まったとも言われています。
縁を切ることなく、商売繁盛の運を一気にいただく縁起物ですが、自宅で「手巻き」するのもいいですね。
七福神にちなんで、7種の具を使うのがお約束だそうです。
2021年の節分は、2月2日(火)で、方角(恵方)は、「南南東やや南」です。間違いないように!!
不祥議員、相次ぐ議員辞職&離党。 法華坊主 joe
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2021年 01月31日 - 日常
「晦日」、なんと読みますか?
多くの方は、「晦日」という文字を見たとき、多くの人は「みそか」と読むはずです。
それは「大晦日(おおみそか)」という言葉がよく知られていることによります。
ところが「晦日」は、ほかにも「つごもり」「つもごり」「かいじつ」などと読むことができるため、全部で4通りの読み方ができる言葉となっています。
「晦日(みそか)」は本来、「三十日」のことです。
「みそ」は「三十」を表し、現在でもよく用いられている「三十路」は30代のことではなく30歳のことを指しています。
太陰暦(陰暦・旧暦)では月の最後は30日と決まっていたことから、「晦日」は30日にあたるものでした。
しかし太陽暦(新暦)に変わってからは、その月の最終日(1月や3月などの大の月なら31日、2月なら28日もしくは29日、4月や6月などの小の月なら30日)を指すようになったのです。
なお「晦日(みそか)」にはもうひとつ、30日間という意味もあります。

「晦日」が月末日のことを指すのは、「晦」という漢字が持っている意味にあります。
「晦」の「暗い」という意味の由来は太陰暦にあり、1ヵ月が新月からスタートすることによるものです。
月の最終日は新月の前日にあたるため、月明かりはありませんから、そのため「晦」は暗いことを表しているのです。
「晦日正月」とは、正月の晦日(31日)のことで、今日のことです。
正月の最後の日=1月31日は、地方によっては正月の晦日に御餅をついて神様にお供えしたり、また松の内に年始回りに行けなかった親戚を訪問する習慣もあったそうです。
「緊急事態宣言」3月7日まで延長で調整? 法華坊主 joe
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2021年 01月29日 - 日常
「つづらご」ってご存じですか?
東北から北関東地方の方言で、帯状疱疹を「つづらご」と呼ぶ地域があります。
由来は、つづらご(ヒヨドリジョウゴ)という植物が、「つづらごの実のなり方が帯状疱疹に似ていることから」、「つづらごの実を漬けたものが帯状疱疹の民間療法として使われていたことから」などの諸説があります。
![医師監修・作成]つづらごは帯状疱疹(たいじょうほうしん)の別名 ...](https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG124DTQ6FyRgDySIB0xhi7gRnHJz_Hl91hdirGA7l-uBwAGJEXRSWJEhOzkAWi1ey6F1TSIfzcOj6yUQWuWDqZRFF3jqFviUSOw97NApcXPMpxk6TduD-mOLk-MSssURZrmWnhkYoHDRX1J6n_7qje1yXs7jlN5lqDjAfuj7GieH2RV-xR6AtIptG8jET0uCt5RvuNmXp6jaQFLW_R0sCP_heeY0tt5VK40p0CKT9qL9vY1o6h_2_-IdUgulgTIjcqKXgA-41PcWCInhb6PhwCQ=/78de8eb3ff84a363dd43a84e5cd83356.jpeg)
つづらご(帯状疱疹)とは、痛みと水ぶくれなどの皮疹(ひしん、皮膚の症状)を特徴とする皮膚の病気です。
水痘帯状疱疹ウイルスによる感染症です。
重症であっても皮膚科の病院で飲み薬などを使って治せるため、死ぬ病気ではありませんが、後遺症として数年間痛みが続くことがあります。
つづらごの皮疹は一か所に集まり、広範囲には出現しないことがほとんどです。
身体の右か左の片側、それも細長い帯のような形に皮疹が広がることが多いので「帯状」という名前があり、「疱疹」は水ぶくれのことです。
つづらごは、①痛み・かゆみが出たあとに見た目の変化が出る ②体の左右どちらか片側に出る ③細長い帯のような形に集まって出る ④2か所の離れた場所には出ることはほとんどない、という特徴があるようです。
昔は、「つづらごが一周すると死ぬ」といったそうですが、迷信(というか都市伝説?)ですので、今は心配ありません。
また、つづらごは最初にかゆみとピリピリ・チクチクした痛みの症状がみられます。
つづらごは、50歳以上の人に多く発症し、その割合は7割前後が50歳以上です。
水痘帯状疱疹ウイルスの抗体は加齢とともに少なくなりやすく、特に50歳以上の人は比較的危険性が高いと考えられます。
ウイルスが勢いを増すと弱った免疫では抑えきれず、力のバランスがかなりウイルス優勢に傾いていることが多く、通常の帯状疱疹よりも症状が激烈になりうるので注意が必要です。
「つづらご」を患っている貴女、くれぐれもお大事に。
自民・松本、公明・遠山両議員、役職辞任。 法華坊主 joe
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2021年 01月28日 - 日常
本山の修行を了えて、教団の中央事務所に勤めたとき上司より教わった言葉のひとつに「率先垂範」がります。
読み方は「そっせんすいはん」と読み、組織やチーム、コミュニティなど集団の中でよく使われる四字熟語です。
「率先垂範」とは、人の先頭に立って行動するという意味の「率先」と、人に模範を示すという意味の「垂範」という意味の言葉が組み合わさった言葉です。

「孫呉の兵法」と言うように、「孫子」と並び称せられる兵法家に、「呉起(ごき)」という人物がいます。
この人は、将軍であるにもかかわらず、軍の一兵卒と同じ食事を取り、兵たちと同じように寝起きし、一緒に行軍するなど、「率先垂範」の典型例のような人でした。
将軍様ともなれば、美食をしたいものだし、馬に乗って楽をしたいし、固い土の上ではなくやわらかいベッドの上で寝たいものですが、呉起はそうしませんでした。
それどころか、普通の人でも嫌がる、膿の吸い出しを自ら行ったというエピソードがあります。
「率先垂範」の特徴とは、「人の嫌がりそうなことを進んで行う」ということではないでしょうか。
「率先垂範」を表す言葉としては、日本海軍の軍人として生きそして散っていった名将・山本五十六の「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」もよく引用されます。
しかし「やってみせ、やらせて見せ、ほめたのに、部下が動いてくれない」という嘆きの声を発する上司はが多いと思いませんか。
昨今の政治家の言動や、自身の身の回りに起こる出来事を思うとき、あらためて「率先垂範」を考えさせられます。
マーくん、楽天復帰。背番号18。 法華坊主 joe
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2021年 01月26日 - 日常
冬の味覚といえば、温かい鍋物。
日本各地には、海や山の幸を生かした自慢の鍋物がたくさんあります。
料理としておいしいだけでなく、皆でひとつ鍋をつつくところが鍋料理の醍醐味。
普段は料理をしないお父さんが「鍋奉行」に変身し、あれこれ指図して大張り切りという姿もよく見られます。
さてそこで、皆で美味しい鍋を囲んでおなかも心も大満足という楽しみは、いつ頃から始まったのでしょうか。
実は、鍋物の歴史はあまり古くはなさそうで、庶民が鍋を囲んで今のような形で鍋物を楽しみ始めたのは、江戸時代になってからです。
江戸の料理本「料理物語」(1643年)には、炊事場で魚や野菜をみそで煮て、鍋ごと食卓に出す「なべやき」という料理が記されています。
できたてを熱いうちに食べるおいしさは人々を捉え、制度や習慣を超えて大ブームになりました。
囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持ちだす鍋物を「小鍋膳立て」、略して「小鍋立て」といい、これがいまの鍋物のことです。
江戸時代は、庶民が食を楽しめるようになった時代で、おでんのルーツとなった田楽を出す茶飯屋や、湯どうふやあんこう鍋の店など、さまざまな鍋物屋ができました。
もちろん、おいしさだけでなく和やかで楽しい雰囲気も鍋物が庶民に好まれた理由のひとつでしょう。

鍋物の種類は数え切れないほどありますが、基本は、1)ちり鍋や水炊き、2)おでんや寄せ鍋、3)すき焼きの3タイプです。
昨今は、地方色豊かな食材を使ったお国自慢の鍋、キムチ鍋や豆乳鍋、トマト鍋のような新しい鍋が出てきました。
特に今年は、台湾「火鍋」、韓国「コムタン」、タイ「トムヤムクン」が流行っているそうです。
今夜も「鍋奉行」さん、ガンバってください。
急増する自宅療養中の死亡。 法華坊主 joe
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2021年 01月25日 - 日常
数年前から「日本酒ブーム」と言われ、酒店に行くとどれを選んでいいかわからないほどの銘柄と種類が並んでいます。
「親の意見と冷や酒は後で効く」「酒は憂いの玉箒」「酒は飲むとも飲まれるな」「酒は百薬の長」「酒池肉林」など、お酒にまつわることわざや故事が多くあり、私たちの文化や生活と関係が深いお酒ですが、日本ではいつから飲まれるようになったのでしょうか。
お酒造りを「醸(かも)す」というのは、この「噛む」が語源だと言われています。
また、奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書記』にもお酒に関する多くの記述がたくさんあります。
平安時代になるとお酒の造り方も豊富になり、『延喜式』には、朝廷における酒造法が細かく書かれているそうです。
その後、平安京の官庁の衰退により、作り手が民間へ流れるとお酒造りの中心がお寺へと移ります。
寺院で作られたお酒は「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれ、なかなかの評判だったそうです。
なかでも、奈良の寺院で作られるお酒は「南都諸白(なんともろはく)」と呼ばれ、室町時代に至るまで高い名声を保ったといいます。
特に、正暦寺(しょうりゃくじ・奈良県奈良市)で造られたものは〈良い酒〉だと大人気だったとか。
正暦寺で開発された清酒の原型となる「諸白造り」という製法は、現在のお酒造りの元になったといいます。

寺院でお酒が造られていたというお話をしましたが、古くから神社でも酒造りが神事として行われていました。
しかし、明治8(1875)年以降、お酒が課税対象となり、さらに、酒造免許の取得が義務付けられたことから、自由に造ることができなくなりました。
これにより、いち早く酒造免許を取得したのが、奈良の春日大社と大神神社だそうです。
現在ではそのほとんどが神社での酒造りを諦め、全国で清酒の酒造免許を持っている神社は、たった4社。
そのひとつに皇室の祖先神であり、日本国民の総氏神でもある天照大御神をお祀りする〈神宮〉があります。
神宮のお祭りでお供えされる御神酒は、白酒・黒酒・醴酒(一夜酒)・清酒の4種があり、清酒を除く3種は今でも内宮にある忌火屋殿(いみびやでん)で担当の神職により醸されているそうです。
今夜もおいしく頂戴いたしましょう。
菅首相、GOTOトラベル再開に意欲。 法華坊主 joe
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2021年 01月22日 - 日常
寒いこの季節に食べたい「ぜんざい」や「おしるこ」。
みなさんは「ぜんざい」「おしるこ」と聞いて、どんなものを想像しますか?
ぜんざいは「善哉」と書き、その語源は2つあるとされています。
一つめは、もともと「善哉」は仏教用語で「すばらしい」を意味するサンスクリット語「sadhu」の漢訳であり、この食べ物のあまりのおいしさから僧が「善哉」と称賛したことから、と言われています。
もう一つは、出雲地方の神事「神在祭」でふるまわれた「神在餅」が由来とされ、「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化した、と言われています。
神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て、小豆雑煮を作って再び供えていたものを「神在餅」と呼んでいます。
おしるこは漢字で「お汁粉」と書きます。
汁はツユがある料理、粉は具をさしたといわれています。
江戸時代末期にはあったといわれ、当時は甘いものというより、汁物というイメージでした。
砂糖は貴重な時代であったため、塩気のある味だったというワケです。
また、「餡汁粉餅」(あんしるこもち)「汁粉餅」と呼ばれていたそうです。

地域性も絡んできてやや複雑です。
炊いた小豆に砂糖を加え汁状にしたものに餅や白玉を入れたものがおしるこです。
関東では粒あんもこしあんもあり、関西ではこしあんのものをおしること呼びます。
関西のぜんざいは粒あんのもの、関東のぜんざいは汁気の少ない濃いあんを餅や白玉にかけたものを言います。
ぜんざいやおしるこを食べる際には、違いを意識してみるのもいいですね。
「#自民の二大老害は政界を去れ」 法華坊主 joe
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