日常

本来は、太陽の光冠なのに。

2020年 04月18日 - 日常

連日、「コロナ」の名前を聞かない日ありません。
新型コロナウイルスの感染者が世界各地で広がり、世界中で約200万人、国内でも今日1万人超になりました。
コロナウイルスとは、一体どんなウイルスなのでしょうか。
電子顕微鏡でコロナウイルスを見ると、膜に覆われた表面に突起のようなものが出ているのが見えます。この突起が王冠(ギリシャ語でコロナ)や太陽の光冠(コロナ)のように見えることから、「コロナウイルス」という名前が付きました。
世界中にもちろん日本にも、トヨタコロナやコロナビールを代表に、コロナとつく名前のものがたくさんあります。
今回のウィルスによって、コロナという名前がついているからと言って、コロナウィルスをイメージしてしまうのはとても悲しいことですよね。

 

車のコロナは、トヨタ自動車が1957年から1996年まで生産・販売していた、セダンを中核とする乗用車です。
トヨタ車として初めて日本国外でも生産された車種で、英語の「太陽冠」から「真赤に燃える太陽、そのまわりの淡い真珠色の光。太陽の冠。」という意味らしく、明るく親しみのもてるファミリー・カーにふさわしいように名づけたそうです。
ビールのコロナは、モデーロ社が製造するメキシコのビールの銘柄です。
米国のビール同様、軽い味わいが特徴で、かつて愛飲された方には馴染みがあるでしょうが、大抵の場合ジョッキなどに注がず、栓を抜いた瓶からラッパ飲みするところが人気で、広告に「このビールは、立って飲むのがお行儀です」というキャッチコピーもありました。

米ハーバード大の研究チームが16日までに米科学誌サイエンス電子版に発表した内容によると、新型コロナウイルスの有効な治療薬やワクチンを短期間で開発できず、医療態勢を大幅に拡充できない状況では、外出規制などの社会的な感染防止策を2022年まで継続するか、断続的に行う必要があるかもしれないとの予測が示されました。
日本政府も、布マスクの1家に2枚配布に加え、手挙げ方式1人10万円給付などの奇策?を打ち出していますが、法華坊主は一日も早い終息を願うばかりです。

 

珠ちゃん陽性、ピン太郎は陰性。  法華坊主 joe

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花筏&ハナイカダ。

2020年 04月17日 - 日常

福島のサクラも満開見頃を過ぎ、散り始めています。そこで皆さんは「花筏」という言葉をご存知でしょうか?
この言葉は、なんとも日本らしい、そして美しい響きを持っていますね。耳にしただけでも情景が浮かんでくるかのような、とても素晴らしい言葉です。

花筏(はないかだ)とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことです。その花びらの動く様子を筏(いかだ)に見立てた言葉といわれます。
筏に花の枝などを添えたものや、散った花びらが筏にふりかかったものなども、「花筏」という言葉で表現されます。
また、京都の高台寺(こうだいじ=豊臣秀吉の正室・北政所が建立した寺院)の御霊屋(おたまや)には、花筏が描かれた「花筏蒔絵階段」があります。
これは、桃山時代の華麗な蒔絵の象徴ともいえるもので、散りかかった桜の花とともに川を流れる筏が、春の絢爛さを見事に表現しています。

そして数年前に、「花筏」にはもうひとつ別に「ハナイカダ」というものがあることを知りました。
「ハナイカダ」は、モチノキ目に属する落葉低木の名前、つまり植物名です。別名を「ヨメノナミダ」といい、葉の上に花が咲き実をつけるのが特徴です。
ハナイカダの名前の由来は「花筏(花と筏の組み合わせの意)」であり、花や実が乗った葉を筏に見立てたものといわれ、花言葉は「気高い人」とされることがあります。

「はないかだ」は、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことを表現する「花筏」ばかりかと思っていましたが、葉の上に花が咲き実をつけるのを特徴とする植物の「ハナイカダ」があることを知りました。

 

東京都、最多の201人感染確認。  法華坊主 Joe

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絹織物の町。

2020年 04月16日 - 日常

2020春のNHK連続ドラマ小説「エール」が始まって、明朝は第15話です。心に届け 君への応援歌(エール)! 昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古関裕而(古山裕一)とその妻・金子(関内 音)の物語です。舞台は福島県川俣町(かわまたまち)。

川俣町は、川俣盆地を中心に、絹織物の町として発展してきた町です。
町の歴史は、縄文時代の遺跡が数多く残されていることから、原始時代の1万年も前より祖先の足跡が刻まれているほど古いものです。
古代末から中世にかけて、小手保といわれた川俣地方は、奈良興福寺の荘園として繁栄しました。甘露寺には紀州(和歌山県)根来寺の高僧が住み、川股城跡のふもとからは大量の常滑焼きが見つかっています。
室町時代の初めは、川俣氏が支配していました。16世紀ころからは伊達氏の支配に属し、16世紀後半には伊達氏の将、桜田氏が川股城に居城していました。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の奥州再仕置による蒲生氏郷の支配、そして、慶長3年(1598年)に上杉景勝の支配となり、寛文4年(1664年)からは、幕府直轄地になりました。元禄16年(1703年)には川俣代官所が創設されて、明治維新に至りました。慶長年間(1596年~1614年)から生糸や絹織物取引の市が立ち、江戸城御用の川俣絹を生産するなど、国内で有数の絹織物産地に発展し、明治・大正・昭和の時代には輸出花形商品の羽二重を織り出しました。

昭和30年3月1日、町村合併促進法により、1町7カ村が合併して現在の川俣町となりました。川俣町の地名のおこりには2つの説があります。
1つは、むかし、川俣町・飯野町・月舘町などを含めた地域は「小手郷」と呼ばれていました。これは、養蚕・機織りの祖「小手子姫」の名前に由来するもので、川俣の地名も小手子姫の郷里、大和国(やまとのくに・奈良県)高市郡川俣の里にちなんで名付けられたという説、もう1つは、町を流れる広瀬川(小手川)と富田村より流れる五十沢川が合流する地域(川股)の形状から、以来これを川股と称えたという説です。

かつて福島市の松川駅から川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた旧国鉄「川俣線」がありましたが、1972(昭和47)年に廃止されました。
立正院から東へ約20キロ弱、こんな身近な川俣町が今「エール」の舞台になっています。

 

コロナ緊急事態宣言、全国に拡大。  法華坊主 Joe

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「HOPELESS LOVE」

2020年 04月15日 - 日常

外出自粛・自宅待機要請の毎日、久し振りに境内の草毟りをしました。
境内には今、サクラ数種の他、スイセン・チューリップ・ルピナス・ヒヤシンス・ムスカリ・・・他にもありますが名前が分かりません。

なかでも白、黄色、ピンクなどのチューリップが見頃を迎えています。
チューリップは花も葉もシンプルで美しく、世界中で人気のある球根植物です。これまでに数えられないほどの品種が誕生し、現在の品種リストには5000を超える品種が登録され、およそ1000品種が世界中で育てられていると言われています。
品種は、開花期の早生、中生、晩生そして原種の4つに大別され、さらに来歴、花形と草姿などによって15系統に分類されているそうです。例えば、一重咲き、八重咲き、ユリ咲き、フリンジ咲き、パーロット咲きなどがあります。
チューリップの産地といえばオランダを連想する方がほとんどではないでしょうか。現に日本で流通しているチューリップの球根のほとんどはオランダ産です。しかし、今から1,500年前の、6世紀終わりごろのトルコの壁画にチューリップが描かれていた記録が残っており、チューリップの原産国はトルコなのだそうです。

境内に咲くチューリップの中でも、「ゴールドラッシュ」と呼ばれる黄色い八重遅咲きの珍しい花がとてもきれいです。その花言葉は「hopeless love(望みのない恋)」「unrequited love(報われぬ恋)」でそうです。

 

米トランプ、WHOへの拠出停止表明。  法華坊主 joe

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新しい世界へと旅立つときに。

2020年 04月14日 - 日常

「餞」あるいは「贐」、何と読みますか?

かつて日本では、旅立つ人のために「送別会」をする際に、道中の無事を祈って、その人の馬の「鼻」を、これから向かう目的地の方向に「向け」てやる習慣がありました。つまり「鼻向け」です。ここから、「はなむけ」ということばが、旅立ちや門出を祝福して金品・詩歌・激励のことばなどを送ることの意味になりました。
「はなむけ」は、漢字では「餞」と書くことができます。これは、「餞<せん>別」の「餞」ですね。「新たに来た人」に「餞別」を渡す人はいないでしょう。「はなむけ(餞)」も同じことです。このことを覚えておけば、「はなむけ」を間違って使ってしまうこともないと思います。
これは、本来とは違う意味で使われることが多いことばです。以前に実施した世論調査では、「社長が新入社員にはなむけのあいさつをした」という表現が「おかしくない」と答えた人が、半数を超えていました。
異動していく人に使うのはかまいませんが、くれぐれも異動してきた人に「はなむけ」を送らないように。「来たばかりなのに、もうどこかに行けというのか」などと思われてしまったら、その人に「顔向け」できなくなります。

「はなむけ」にはもうひとつ「贐」という字もあります。「贐」は貝偏に尽きるという意味の「盡」から成る文字です。
貝偏は「財」「貯」のようにお金や宝に関係する漢字を作るもので、「贐」はお金や宝を尽きるまで出すという意味を持つ漢字です。盛大にお祝いしたいときには、「餞」より「贐」を使う方が適しているそうです。

「はなむけ」は、人生の門出に花を添えるものです。
旅立つ人に幸多かれと祈り、祝福と励ましを込めて贈るのが「はなむけ」で、そのためにも「はなむけ」の正しい意味や使うべき場面をしっかりと押さえておき、適切に使えるようにしておくことが大切です。
新しい世界へと旅立つときの不安や緊張を「はなむけ」で和らげてあげることができれば、社会人として合格でしょう。

 

国内の感染者、累計8000人超に。  法華坊主 joe

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旬は、短し。

2020年 04月13日 - 日常

春になると、野菜や果物の売り場もより一層彩り豊かになりますね。この時期にはたくさんの野菜や果物が旬を迎えます。旬の食材は勢いがあり力がみなぎっていますので、おいしい時期を逃すことなく食卓に並べることが望まれます。

ある食品会社が「春の味覚といえば?」というアンケート調査を実施しました。
総合ランキングの1位は「タケノコ」で60.8%、2位は「菜の花」で47.1%、3位は「たらの芽、ふきのとうなどの山菜」で41.9%、4位は「春キャベツ」で37.7%、5位は「新たまねぎ」で29.1%という結果でした。以下、6位「桜餅・草餅」、7位「イチゴ」、8位「新じゃがいも」、9位 「カツオ」、10位 「アスパラガス」と続きます。

1位のタケノコ(筍)は、春の味覚の代表選手。おいしく食べられる期間は短く、頭が土から出るか出ないかの時期が食べ頃です。繊維質が豊富で腸内環境を整える効果もある筍は鮮度が命。採れたてをさっと湯がいて、筍ご飯や煮物、酢の物などにするのがおすすめです。
2位の菜の花は、黄色く鮮やかな菜の花はアブラナの花芽です。ほんのり苦味はありますが、ビタミン、鉄分、カルシウム、食物繊維が豊富です。定番のおひたしだけでなく、スープ、パスタなどにも入れてもおいしいそうです。
3位の山菜は、雪解けと同時に顔を出すふき(ふきのとう)、たらの芽、わらびなど、春は20種類以上の山菜が採れる時期です。天ぷら、吸物、炊き込みご飯、炒め物など用途もいろいろ。種類が多いので選ぶだけでも楽しくなりそうです。

いずれも旬は短いそうですから、ぜひ一番おいしい時期に食卓に登場させてあげてください。

 

世界のコロナ死者、11万人を超す。  法華坊主 joe

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山が満面の笑みをたたえている。

2020年 04月12日 - 日常

春の山を表現する言葉に「山笑う」があります。明日から東日本は大荒れの予報ですが、境内から見える今日の山々はまさに春の装いでした。
2月には寒さが少し和らぎ梅の花を始めが咲き始めて、ほんのちょっとだけ春の息吹を感じるようになります。イメージとしては山が微笑む程度でしょうか。
3月になると桃や桜も咲き始め、木々の新芽が出てきて冬枯れの寂しい山から少しずつ色づき始めます。
4月には桜の花も散って葉桜となり、山々の色合いも完全に新緑へと様変わりします。こうなると山が満面の笑みをたたえている風情ですね。
「山笑う」とは上手いことを言ったものです。

「山笑う」の表現を最初に書物に残したのは、郭煕(かくき)という中国の北宋時代の画家だそうです。郭煕は自身が表した書物「臥遊録」の中にこう記しています。
〇 春山淡冶にして笑うが如く(春の山は、あっさりとして艶めかしく、笑っているように描くべきである)と。
郭煕の「臥遊録」では、春以外の季節も山を使って表現することがあります。
〇 夏山蒼翠として滴(した)たるが如し、(夏の山は、緑が生い茂って、滴るように描くべきである)
〇 秋山明浄にして粧うが如く、(秋の山は、明るく清らかで、化粧をしているように描くべきである)
〇 冬山惨淡として睡(ねむ)るが如し(冬の山は、寂しく暗く、眠っているように描くべきである)
この言い回しが現代の詩歌の世界にも受け継がれ、俳句などの季語として定着している、というわけです。
すなわち、春が「山笑う」、夏が「山滴る」、秋が「山粧う」、冬が「山眠る」と言うんですね。

俳句の世界では、季語としては「山笑う」「山睡る」が人気が高く、「山粧う」は季語には入っているけどあまり人気ではない!と言っていました。
「山滴る」に至っては、歳時記の中でも季語として認められていない事が多くあるそうです。実は夏の季語としては「山滴り(岩などから水がしみ出てくる様子)」というよくにた言葉があり、これとの混同を避けるためと言われています。
俳句の世界は未知の世界ですけど、山ひとつをとっても素敵な表現がありますね。

 

報ステ・富川アナもコロナ感染。  法華坊主 joe

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色鮮やかに残る日本の春。

2020年 04月11日 - 日常

私たちが小学校の時には習ったというのか、聴いたというのか、今でもこの時季になると口ずさむことがありますが、現代の小学生はこの曲を知っているのでしょうか。

♪ 春の小川はさらさらいくよ 岸のすみれやれんげの花に すがたやさしく色うつくしく 咲けよ咲けよとささやきながら  ♪
♪ 春の小川はさらさらいくよ えびやめだかやこぶなの群れに きょうもいち日ひなたで泳ぎ 遊べ遊べとささやきながら ♪

1912年に発表された小学校唱歌「春の小川」です。作詞は高野辰之さん。この歌のモデルとなった川は、原宿~渋谷付近を流れる河骨川。と言ってもそれは過去の話で、1964東京オリンピックの際に下水道の一部とされ、今ではこの川を見ることはできません。この詞が書かれた明治の頃、河骨川の支流は、春にはメダカやコブナが泳ぎ、岸辺にはレンゲやスミレ、黄色いコウホネが咲くのどかな場所だったとか。子どもがいなかった高野さんは養女を迎え、ずいぶん可愛がり、よく散歩に連れて行っていたそうです。

春の小川のあぜ道には、ツクシやワラビやタンポポが顔を出し、さらさら流れる透き通った小川の流れの中でメダカやコブナといった小魚があちことで泳ぎまわる農村の春。
いまの都会の子どもたちには想像も付かない景色でしょうね。もちろん田舎の子どもたちでも、今は見受けられぬ光景となりました。
花と緑の山野の中で、薄紫色のレンゲが一面に咲き乱れる田園風景・・・。コロナ鬱にならぬよう、心の中に今もって色鮮やかに残る日本の春の景色を思い起してはいかがでしょう。

 

ガンバレ岩手、唯一の感染者ゼロ県。  法華坊主 joe

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季節を感じられるのは嬉しいこと。

2020年 04月11日 - 日常

本来4月は気分が上がる季節なのです。
春は、桜が咲いたり、ぽかぽかとあたたかい陽気が続いて、気持ちよくウキウキ・ワクワクとする季節です。
また、新生活が始まる季節でもあり、新たなスタートの時期でもありますが、今年は残念なことに新型コロナウイルス感染拡大のせいで、ハラハラ・ドキドキの毎日が続いています。
せめて、春の陽気にピッタリな曲や、新生活を頑張るあなたを応援するエールが込められた曲を探して口ずさんでみてはいかがでしょう。

「春咲小紅」矢野顕子
矢野顕子の5枚目のシングルで、聴くとウキウキしてくる曲ですよ。カネボウ化粧品の春のキャンペーンのCMソングに起用されました。
コピーライターの糸井重里が作詞を担当し、歌詞のふわふわした雰囲気と矢野顕子の歌唱が合っていて、聴いていて春を感じずにはいられません。
返事は遅れてしまったけれど、大切な人を待っているという女性の思い。ひらひらやキラキラのような言葉も歌詞によく出てくるので、自然に幻想的な雰囲気になるのかもしれません。

「赤いスイートピー」松田聖子
松田聖子の8枚目のシングルです。呉田軽穂(松任谷由実)作曲による松田聖子への最初の提供曲。松田聖子の曲の中でも、特に人気のある曲です。この曲を境にして、女性のファンの比率が上がったことでも有名。
少し無口で気が弱いけれど、素敵だなと思う男性の存在。ついていきたいと願う可愛らしい女性の心が、春の雰囲気にとても合っています。カラオケで歌いたい!と思う人は、今もかなり多いと思います。

「不思議なピーチパイ」竹内まりや
竹内まりやの4枚目のシングルです。資生堂化粧品の’80春キャンペーンCMソングとして使用されています。
初めての恋ではないけれど、恋をすると違う自分にな・・・。ピーチパイが様々な想像をさせてくれる、女性らしさ溢れる素敵な曲です。
この曲を聴くといいことがありそう!と女性にドキドキさせてくれるような曲だと思います。恋が始まる予感で、小さな宇宙が回ったり光にゆれる気分になったり。まぶしい大人の世界を感じられる自分を嬉しく思う曲でもありますね。

「微笑がえし」キャンディーズ
キャンディーズの活動期間内ラスト・シングルで、オリコンでは最初で最後の1位を獲得しました。歌詞の中にシングル曲「春一番」「わな」「アン・ドゥ・トロワ」などの、タイトルが入っているのは、作詞者の阿木曜子からのはなむけだったそうです。
歌詞をたどっていくと、これまでのキャンディーズの様々な姿が浮かんできてファンにとっては、今も忘れられない大切な曲です。新しい季節に向けて青春を感じながらも、歩いて行こうとする姿が浮かんでくる曲です。

「色・ホワイトブレンド」中山美穂
中山美穂の4枚目のシングルで、中山美穂自身が出演したCM、資生堂‘86春のキャンペーンソングです。
シンガーソングライターでもある竹内まりやが曲を提供して、「大好きな季節が私をきれいにしてくれる」の歌詞がとてもポジティブなイメージで、あどけなさの残る中山美穂の可愛らしさや、少し背伸びをした大人っぽさにピッタリだと思いました。
たとえこれまでに悲しい恋をしたとしても、この曲を聴くと春の優しさと一緒に素敵な明日が待っていると思えるような曲のひとつです。

独断と偏見で青春時代の5曲を選びましたが、季節を感じられるのは、とても嬉しいことです。季節を楽しみながら、若かりし頃の色々な思いを大切にして進んでいける、そんな曲がたくさんあるように思います。

 

東京都、11日0時から休業要請。  法華坊主 joe

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マスク2枚にだまされず。

2020年 04月9日 - 日常

4月に入っても、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う全国的なマスク不足が解消されていません。国内メーカーがそろって増産し、大手家電メーカーまで生産に参入する中、どうしてマスクはいまだに「買えない」のでしょうか。新型コロナウイルス対策として、唐突に総理の口から発せられた「布マスク2枚」、緊急事態宣言が出されている東京などから優先的に、全ての世帯に来週から順次郵送を始めるそうです。

一般社団法人日本衛生材料工業連合会の資料によると、日本でのマスクの歴史は、明治初期に始まります。
当時のマスクは、真ちゅうの金網を芯に布地をフィルターとして取り付けたものです。主として粉塵よけに利用されていました。このマスクが、1918年のインフルエンザ(スペイン風邪)大流行をキッカケに、予防品として注目を集めるようになります。その後、マスクは徐々に普及し、1923年、内山武商店から発売された「壽マスク」が、商標登録品第1号に認定。マスクの改良も徐々にすすみ、金網をセルロイドに変えたものやフィルター部分に別珍や皮革などを使用したものが現れます。
昭和に入り、インフルエンザが再び猛威をふるった1934(昭和9)年に、マスクは大流行します。以後、インフルエンザがはやるたびに、マスクの出荷量も爆発的に増加。枠のない布地だけのものや1950年には日本初のガーゼマスクが布に代わるマスクとして誕生し、マスクは次第にその形を変えていき、1973年に不織布製プリーツ型の原型が日本での生産・販売されるようになりました。1980年代からの花粉症の流行もそれまでのインフルエンザ用途に加えて一般家庭でのマスクの普及を促進させることとなり、立体マスクの登場など2000年以降、普及が促進されました。

コロナウイルスの感染拡大の影響による品薄は、いつ解消されるのでしょうか。総理の「布マスク2枚配布」にだまされず、心身ともに健全なる生活を営み、長いトンネルではありますが新型ウイルスに負けぬよう頑張りましょう。

 

布マスク配布に、経費466億円。  法華坊主 joe

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