日常

健やかな成長を祈って。

2020年 04月24日 - 日常

「端午の節句」を迎えるにあたり、鯉幟(こいのぼり)を揚げるお宅が見られます。
私が子供の頃は、軒を並べて鯉幟が泳いでいましたが、今はめっきり少なくなりました。

もともと日本では、将軍に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。
やがてこれが武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになります。

その後、江戸庶民の間で鯉の滝登りで立身出世のシンボルとなった鯉を幟にするアイデアがうまれ、武家の幟に対して、町人の間で鯉幟が揚げられるようになりました。
当時は乳幼児の死亡率が高かったため、健やかな成長を祈る気持ちの表れでもあったのです。

江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉幟となり、昭和30年代に入ってから合成繊維の鯉幟が登場し、広く親しまれるようになりました。
近年はベランダでも揚げられるタイプもあり、インテリア用の鯉幟も人気があるようです。
今年の鯉幟には、「コロナウイルス撲滅」を期待したいですね。

 

コロナ、相次ぐ院内感染。  法華坊主 joe

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花言葉は、可憐・清々しい心・荘厳。

2020年 04月23日 - 日常

ピンクのサクラが終わると、ブルーのネモフィラが見頃を迎えます。北アメリカ原産ですが、日本では茨城・ひたち海浜公園をはじめ、あちこちで育てられています。

ネモフィラとはムラサキ科(旧ハゼリソウ科)ネモフィラ属の秋まき一年草です。
青い花を咲かせ、長く細かい切れ込みのある葉を持つ為、和名ではその草姿を唐草模様になぞらえて「瑠璃唐草(るりからくさ)」と呼ばれ「ベイビーブルーアイズ」といい、その愛らしい花姿からとられた事が覗えます。
また、属名の「ネモフィラ」はギリシャ語の「ネモス(小森)」と「フィオレ(愛する)」が合わさった言葉で、森林の周辺に分布していることからきています。

ひたち海浜公園は現在、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、臨時休園しています。
コロナがなければ、スイセン・チューリップ・ネモフィラへと続く春のフラワーリレーが始まるひたち海浜公園。
ネモフィラの花は、例年4月中旬から5月上旬にかけて楽しむことが出来ます。
園内の「みはらしの丘」は、澄んだブルーの可憐な花が約530万本咲き誇るという“絶景スポット”として注目を集めています。
ひとたび開花時期を迎えると、丘一面を埋め尽くすネモフィラは、まるで青の絨毯のような美しさ。
青空が澄み渡る快晴の日には、地面と空が溶け合うような幻想的な光景に巡り会うことが出来るのですが、今年はまったく残念です。
花に近寄れば、空色と白の愛らしい姿をしており、アメリカ人が“赤ちゃんの瞳”と例えるのもうなづける可憐な可愛らしさです。
花言葉は、「可憐」「清々しい心」「荘厳」です。

 

岡江久美子もコロナで逝く、63才。  法華坊主 joe

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ツクシ誰の子、スギナの子。

2020年 04月22日 - 日常

世の中はコロナ騒ぎでざわついていますが、農作業は順調に進んでおり、田起こしや畦塗りが始まっています。

夕方に散歩していましたら、田んぼの畦にツクシが自生していました。
フキノトウに対するフキのように、ツクシとスギナは全く別の植物のように見えますが、地下茎でつながっており、春にツクシが出て、その後スギナが次々に芽を出してきます。
ツクシはスギナの胞子茎のことで、古くから親しまれています。
ツクシが出ている期間は短いですが、スギナはその後秋まで茂っているので、スギナが多い場所を覚えておけば春にはそこでたくさんのツクシを収穫することができるそうです。

ツクシは、漢字で「土筆」書きます。これは、胞子茎の部分の形が「筆」に見えること、その「筆」が「土」から生えてきていることから、「土筆」という漢字で現すようになりました。当て字です。
他にも「筆頭菜」と書くそうですが、これを書ける人も読める人は少ないのではないでしょうか。
「筆」の「頭(先端)」のような「菜」という意味らしく、これもツクシの見た目を現しています。
この漢字は中国語と関係しているとのことで、日本人ではなく、中国人の感性がもとになっている漢字のようです。

またツクシは春の山菜のひとつで、食用としても親しまれていますから、定番の佃煮や酢味噌和え、卵とじやチヂミなどのアレンジレシピなど、ほろ苦い春の味わいを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

50才のバーバパパは、”卵生”の生き物。  法華坊主 joe

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人間の意志が運命を変える。

2020年 04月21日 - 日常

「運命は偶然よりも必然である。運命は性格の中にあるという言葉はけっして等閑に生まれたものではない」
これは、今朝の「エール」で、音(二階堂ふみ)のお見合いが失敗に終わって親子で話しているときに、音の妹で文学少女の梅(森七菜)がつぶやいた言葉で、芥川龍之介の名言です。
運命は偶然で逆らえないものだと思われがちですが、そうではなく性格が決める。つまり「人間の意志が運命を変えることもある」と言う意味で、「運命は偶然ではなく必然であり、その人の性格が決める」ということです。
出典は『侏儒の言葉・西方の人』で、芥川龍之介は「運命に流されて生きるのではなく、意志を持って自分の道を進むことが大切!」と言いたかったのでしょう。

これも必然だったのでしょうか、芥川は35歳という若さで服毒自殺をはかります。ご存知のごとく芥川は、明治~大正の小説家で、彼の作品は『羅生門』『鼻』『芋粥』『河童』『或阿呆の一生』・・・、特に『蜘蛛の糸』『杜子春』などの児童向けの作品もあり、教科書に載っていましたものね。

ちなみに、マザーテレサにも
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
という明言があります。前にも紹介しましたかね。

ちなみにをもうひとつ、冒頭の明言中「等閑」は何と読み、その意味をご存知ですか?

 

緊急事態宣言から2週間、なお拡大中。  法華坊主 joe

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けれど、そこには光がある。

2020年 04月20日 - 日常

新型コロナウイルス緊急事態宣言の全国拡大に伴い、福島市内の県立図書館・県立博物館も5月6日まで休館中です。
外出自粛が広がり、読書へのニーズが高まるのと裏腹に、各地で書店や図書館の休業・休館が相次いでいますが、人々の読書を支える仕事は果たして「不要不急」なのでしょうか。

今日は外出自粛を心がけ、冷たい雨でもありましたので、前に同好の友からいただいた、原田マハ著『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』(集英社新書)をあらためて開き直してみました。
アート小説の旗手として圧倒的人気を誇る原田マハさんが、自身の作家人生に強い影響を与えた絵画はもちろん、美術史のなかで大きな転換となった絵画や後世の芸術家に影響を与えた革新的な絵画などを厳選し、画家の思い・メッセージ・愛や苦悩を、作家ならではの視点で綴っています。
『楽園のカンヴァス』でモチーフとなったルソー、『ジヴェルニーの食卓』で描かれたモネ、『暗幕のゲルニカ』のピカソといった、原田作品ではおなじみの絵画はもちろん、古典・日本画・現代アートを含む全26点を掲載、新書版でありながら豪華カラー図版も収録しています。

私は美術館で絵画を鑑賞するのは好きですが、画家のバックグラウンドや美術史、技術的な絵画についてのバックグランドをなかなか心得られず、絵画について説かれた本は避けてきました。
しかし本書では、解説も交えながら原田さんの絵画と人間の部分のふれあいが素直に記されており、その感動をうらやましく思いました。
現在の自分の絵画との付き合い方が肯定されるとともに、バックグラウンドを知ればもっと絵画と親しくなれるのかと知識習得について前向きになることができる本でした。

本書のあとがきに
「そこに、いちまいの絵がある。
その絵には、さまざまの記憶が刻み込まれている。画家の思いが込められている。それらすべては、絵にパッケージされて、いまを生きる私たちにそっくりそのまま届けられる。
たったいちまいの絵。そう、それだけである。けれど、そこには光がある。私を、あなたを、私とあなたが生きる世界を変える力が、その絵には秘められている。」
と、原田さんは記しています。

 

福島県も明日から休業要請。  法華坊主 joe

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田植えの準備をする目安。

2020年 04月19日 - 日常

「非常事態宣言全国拡大」後、初めての日曜日、家に引きこもってテレビとニラメっこでした。
今日は24節気のひとつ「穀雨(こくう)」です。

春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期を迎え、この時季に特に雨が多いというわけではありませんが、穀雨以降は降雨量が多くなり始めます。
「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節です。
変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってきて、昔からこの日を田植えの準備をする目安にしているようです。
この時期に降る雨は、百穀を潤し芽を出させる春雨として 「百穀春雨」といわれ、穀雨は種まきなどを始めるのに適した時期なので、農作業の目安にされています。
穀雨には特に伝統的な風習などはないようですが、ヨモギが採れる時期になるため、和菓子屋などでは穀雨の旬の和菓子として、ヨモギ餅を販売するところもあるようです。

 

アベノマスクの製造メーカーはどこ?  法華坊主 joe

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本来は、太陽の光冠なのに。

2020年 04月18日 - 日常

連日、「コロナ」の名前を聞かない日ありません。
新型コロナウイルスの感染者が世界各地で広がり、世界中で約200万人、国内でも今日1万人超になりました。
コロナウイルスとは、一体どんなウイルスなのでしょうか。
電子顕微鏡でコロナウイルスを見ると、膜に覆われた表面に突起のようなものが出ているのが見えます。この突起が王冠(ギリシャ語でコロナ)や太陽の光冠(コロナ)のように見えることから、「コロナウイルス」という名前が付きました。
世界中にもちろん日本にも、トヨタコロナやコロナビールを代表に、コロナとつく名前のものがたくさんあります。
今回のウィルスによって、コロナという名前がついているからと言って、コロナウィルスをイメージしてしまうのはとても悲しいことですよね。

 

車のコロナは、トヨタ自動車が1957年から1996年まで生産・販売していた、セダンを中核とする乗用車です。
トヨタ車として初めて日本国外でも生産された車種で、英語の「太陽冠」から「真赤に燃える太陽、そのまわりの淡い真珠色の光。太陽の冠。」という意味らしく、明るく親しみのもてるファミリー・カーにふさわしいように名づけたそうです。
ビールのコロナは、モデーロ社が製造するメキシコのビールの銘柄です。
米国のビール同様、軽い味わいが特徴で、かつて愛飲された方には馴染みがあるでしょうが、大抵の場合ジョッキなどに注がず、栓を抜いた瓶からラッパ飲みするところが人気で、広告に「このビールは、立って飲むのがお行儀です」というキャッチコピーもありました。

米ハーバード大の研究チームが16日までに米科学誌サイエンス電子版に発表した内容によると、新型コロナウイルスの有効な治療薬やワクチンを短期間で開発できず、医療態勢を大幅に拡充できない状況では、外出規制などの社会的な感染防止策を2022年まで継続するか、断続的に行う必要があるかもしれないとの予測が示されました。
日本政府も、布マスクの1家に2枚配布に加え、手挙げ方式1人10万円給付などの奇策?を打ち出していますが、法華坊主は一日も早い終息を願うばかりです。

 

珠ちゃん陽性、ピン太郎は陰性。  法華坊主 joe

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花筏&ハナイカダ。

2020年 04月17日 - 日常

福島のサクラも満開見頃を過ぎ、散り始めています。そこで皆さんは「花筏」という言葉をご存知でしょうか?
この言葉は、なんとも日本らしい、そして美しい響きを持っていますね。耳にしただけでも情景が浮かんでくるかのような、とても素晴らしい言葉です。

花筏(はないかだ)とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことです。その花びらの動く様子を筏(いかだ)に見立てた言葉といわれます。
筏に花の枝などを添えたものや、散った花びらが筏にふりかかったものなども、「花筏」という言葉で表現されます。
また、京都の高台寺(こうだいじ=豊臣秀吉の正室・北政所が建立した寺院)の御霊屋(おたまや)には、花筏が描かれた「花筏蒔絵階段」があります。
これは、桃山時代の華麗な蒔絵の象徴ともいえるもので、散りかかった桜の花とともに川を流れる筏が、春の絢爛さを見事に表現しています。

そして数年前に、「花筏」にはもうひとつ別に「ハナイカダ」というものがあることを知りました。
「ハナイカダ」は、モチノキ目に属する落葉低木の名前、つまり植物名です。別名を「ヨメノナミダ」といい、葉の上に花が咲き実をつけるのが特徴です。
ハナイカダの名前の由来は「花筏(花と筏の組み合わせの意)」であり、花や実が乗った葉を筏に見立てたものといわれ、花言葉は「気高い人」とされることがあります。

「はないかだ」は、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことを表現する「花筏」ばかりかと思っていましたが、葉の上に花が咲き実をつけるのを特徴とする植物の「ハナイカダ」があることを知りました。

 

東京都、最多の201人感染確認。  法華坊主 Joe

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絹織物の町。

2020年 04月16日 - 日常

2020春のNHK連続ドラマ小説「エール」が始まって、明朝は第15話です。心に届け 君への応援歌(エール)! 昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古関裕而(古山裕一)とその妻・金子(関内 音)の物語です。舞台は福島県川俣町(かわまたまち)。

川俣町は、川俣盆地を中心に、絹織物の町として発展してきた町です。
町の歴史は、縄文時代の遺跡が数多く残されていることから、原始時代の1万年も前より祖先の足跡が刻まれているほど古いものです。
古代末から中世にかけて、小手保といわれた川俣地方は、奈良興福寺の荘園として繁栄しました。甘露寺には紀州(和歌山県)根来寺の高僧が住み、川股城跡のふもとからは大量の常滑焼きが見つかっています。
室町時代の初めは、川俣氏が支配していました。16世紀ころからは伊達氏の支配に属し、16世紀後半には伊達氏の将、桜田氏が川股城に居城していました。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の奥州再仕置による蒲生氏郷の支配、そして、慶長3年(1598年)に上杉景勝の支配となり、寛文4年(1664年)からは、幕府直轄地になりました。元禄16年(1703年)には川俣代官所が創設されて、明治維新に至りました。慶長年間(1596年~1614年)から生糸や絹織物取引の市が立ち、江戸城御用の川俣絹を生産するなど、国内で有数の絹織物産地に発展し、明治・大正・昭和の時代には輸出花形商品の羽二重を織り出しました。

昭和30年3月1日、町村合併促進法により、1町7カ村が合併して現在の川俣町となりました。川俣町の地名のおこりには2つの説があります。
1つは、むかし、川俣町・飯野町・月舘町などを含めた地域は「小手郷」と呼ばれていました。これは、養蚕・機織りの祖「小手子姫」の名前に由来するもので、川俣の地名も小手子姫の郷里、大和国(やまとのくに・奈良県)高市郡川俣の里にちなんで名付けられたという説、もう1つは、町を流れる広瀬川(小手川)と富田村より流れる五十沢川が合流する地域(川股)の形状から、以来これを川股と称えたという説です。

かつて福島市の松川駅から川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた旧国鉄「川俣線」がありましたが、1972(昭和47)年に廃止されました。
立正院から東へ約20キロ弱、こんな身近な川俣町が今「エール」の舞台になっています。

 

コロナ緊急事態宣言、全国に拡大。  法華坊主 Joe

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「HOPELESS LOVE」

2020年 04月15日 - 日常

外出自粛・自宅待機要請の毎日、久し振りに境内の草毟りをしました。
境内には今、サクラ数種の他、スイセン・チューリップ・ルピナス・ヒヤシンス・ムスカリ・・・他にもありますが名前が分かりません。

なかでも白、黄色、ピンクなどのチューリップが見頃を迎えています。
チューリップは花も葉もシンプルで美しく、世界中で人気のある球根植物です。これまでに数えられないほどの品種が誕生し、現在の品種リストには5000を超える品種が登録され、およそ1000品種が世界中で育てられていると言われています。
品種は、開花期の早生、中生、晩生そして原種の4つに大別され、さらに来歴、花形と草姿などによって15系統に分類されているそうです。例えば、一重咲き、八重咲き、ユリ咲き、フリンジ咲き、パーロット咲きなどがあります。
チューリップの産地といえばオランダを連想する方がほとんどではないでしょうか。現に日本で流通しているチューリップの球根のほとんどはオランダ産です。しかし、今から1,500年前の、6世紀終わりごろのトルコの壁画にチューリップが描かれていた記録が残っており、チューリップの原産国はトルコなのだそうです。

境内に咲くチューリップの中でも、「ゴールドラッシュ」と呼ばれる黄色い八重遅咲きの珍しい花がとてもきれいです。その花言葉は「hopeless love(望みのない恋)」「unrequited love(報われぬ恋)」でそうです。

 

米トランプ、WHOへの拠出停止表明。  法華坊主 joe

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