日常

ノスタルジックな雰囲気が漂うサブカルな街。

2019年 11月24日 - 日常

先週、親しい友人の薦めで阿佐ヶ谷駅北口にあるユジク阿佐ヶ谷という映画館で上映されている「The Sense Of Wonder」という朗読ドキュメンタリー映画を観ました。

映画鑑賞後の感想については追而コメントしますが、きょうは30数年振りに訪れた阿佐ヶ谷の街についてブログります。
皆さんは、阿佐ヶ谷というとどんなイメージを持たれますか。
駅を挟んで南北に伸びるけやき並木、阿佐谷パールセンター商店街をはじめとする活気ある商店街、通好みの企画で愛好者を引きつける映画館や小劇場・・・。
阿佐ヶ谷の街は、このように多くの「顔」を持ち合わせているといったところです。
ワタシが初めて阿佐ヶ谷の街に足を踏み込んだのは、学生時代に友人が北口にある雑居アパートに住んでいた頃ですから40年も前のことです。
その当時の面影を残している町並みもあれば、近代的に整理された区画もありますが、どことなくタイムスリップしたような落ち着いた文化的空気が流れています。

そんなわけで、今回訪れた映画館についても帰宅後に調べてみました。
多くのミニシアターが閉館に追い込まれている中、補助席を入れても座席数48席のユジク阿佐ヶ谷は、独自のセレクトで多くの映画ファンから愛されている映画館のようで、外国映画の新作・準新作を中心に上映しています。
ほかにも座席数48席のラピュタ阿佐ヶ谷は、1950-70年代の日本映画を中心に企画が組まれ、DVD化されていない作品の上映も多く、幅広い日本映画が鑑賞できるそうです。
ちなみに、ユジクはラピュタの姉妹館として2015年にオープンしました。
〈ユジク〉とは、ロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテインの代表作「霧の中のハリネズミ」に登場する 〈ヨージック〉というハリネズミの名前からとったものだそうです。
今回の阿佐ヶ谷は午前中でしたので、次回は夕方に訪ね、昭和レトロ漂うなんだか少しノスタルジックな雰囲気を味わってみたいものです。

ローマ教皇、被爆地から平和メッセージ。  法華坊主 joe

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勤労を尊び、生産を祝い、感謝しあう日。

2019年 11月23日 - 日常

きょう11月23日は〈勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日〉と1948年に法律で定められた「勤労感謝の日」です。
戦前11月23日は、国と国民の安寧や五穀豊穣を祈って行われる宮中祭祀として「新嘗祭」(にいなめさい・しんじょうさい)が行われ、農作物の恵みを感じる日でした。
日々の労働に対して「農作物」という形のあるものが目に見えて返ってくることが少ない現代で、勤労の目的を再認識する日という意味がこめられているようです。
一方、勤労の意味とは「肉体的な労働によって物品等を生産するということにのみ終始するものではなくて、精神的な方面においても一日一日を真剣に考え、物事の本質へと深めてゆく研究態度にも勤労の大きい意味は存在し、創造し、生産していくことの貴重な意義ある生活が営まれていくことが出来る。物質的にも、精神的にも広い意味での文化財を建設してゆくことは、生産ということの正しい理解の仕方である」と、戦後発行された衆議院文化委員受田新吉著の「日本の新しい祝日」には記載されていました。
「勤労感謝の日」を制定するにあたては、元々の「新嘗祭」として祝いたいなど様々な意見があったようです。
しかし「労働」とは本来「農業に従事して生産を行うもの」だけを言うのではなく、今日のサービス産業なども含めた幅広い意味を持つことから「新嘗祭の日」という考えは却下され、現在の「勤労感謝の日」が制定されました。
ちなみに、先日行われた「大嘗祭(だいじょうさい)」は、新天皇が即位後、初めて大規模に行う「新嘗祭」のことで、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされています。


「新嘗祭」は、新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する儀式で、昔は穀物を献納し、神様に新米を供えて初めて、人も新米を食べることができたのです。今は脱穀とともに新米をいただける良き時代ですが、信仰心はまったく薄れてしまいましたね。

天皇皇后両陛下、伊勢神宮参拝。  法華坊主 joe

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北国から雪の便りが届く頃。

2019年 11月22日 - 日常

きょうは、24節気のひとつ「小雪(しょうせつ)」です。
北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。
雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたものだそうです。
陽射しが弱くなり紅葉が散り始めるころで、いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。
次第に冷え込みが厳しくなってきますので、冬の備えは整えておきましょう。
また、お歳暮の準備をする季節でもあります。

我が家には、11月13日に今季の御歳暮第一便が届きました。
年々早くなっているとはいえ、ちょっと早過ぎではありませんか。
さてそこで、御歳暮を贈る時期はいつが適切でしょうか。
御歳暮は本来、12月13日~20日までに贈るべきと言われています。
12月13日は「正月事始めの日」で、正月の準備を始める日です。
20日までに御歳暮を贈るべき理由は、一説には20日以降はどの家庭も年越しの準備で慌ただしくなるためであると言われています 。
しかし、現在では11月のうちから御歳暮の準備を始め、11月末に発送する方も増えているようで、御歳暮ギフトを取り扱うデパートなどで早期割引を実施している影響もあるかもしれません。
1年間お世話になった方々に対して感謝の気持ちを込めての贈り物ですから、12月31日までに届けば問題ありませんが、御歳暮が届く時期があまり遅くなると迷惑になる可能性もありますから、地方を問わず12月20日ごろまでに届くように手配する方が無難のようです。

韓国、GSOMIA終了せず土壇場で回避。  法華坊主 joe

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小春日和の穏やかな日は・・・。

2019年 11月21日 - 日常

皆さんは会話の中で「小春日和(こはるびより)」という言葉を使ったことがありますか?
山口百恵さんの大ヒット曲「秋桜」の歌詞に「小春日和」という言葉が出てきますよね。
「小春日和」の本来の意味は、きょうのお天気のように旧暦10月頃のよく晴れた暖かい天気を指します。
秋から冬に移行するこの時期は、まるで春のように穏やかな陽気が続くことからこう呼ばれるようになりました。
文化庁の「国語に関する世論調査」によると、「春先」に使うものだと思っている方が多いようで、42%の人が「小春日和」を間違って使っているという結果があるそうです。
厳しい冬を前に現れる温和な天気を喜んだ言葉で、アメリカ大陸やヨーロッパにも冬を前にしたこの時期の穏やかな晴天をインディアンサマー・老婦人の夏などと呼ぶことばがあるようです。
「小春日和」という言葉は、一般的には春先に誤用されることが多くあるようですが、実際には冬の季語とされ、晩秋から初冬にかけて用いられる語で、秋から冬へ寒さに向かう中での穏やかで暖かな天気の日についていう場合などに、「小春日和の一日」などの形で用いることができます。
よく使われる慣用句や単語でも、本来の意味が実はまったく別の意味であることも多いものです。
誤用されがちな「小春日和」ですが、旧暦10月のあいだに今回のような冬の冷たい空気のお天気を味わった後なら、「小春日和」がピンとくるかもしれませんね。

大河、エリカ容疑者の代役に川口春奈さん。  法華坊主 joe

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来年が良き年になるように。

2019年 11月19日 - 日常

日本の年の瀬の風物詩として有名な「酉の市」。
明日20日が「二の酉」です。
縁起物の熊手の露店が境内の中に立ち並ぶのが、この祭りの最大の特徴です。
縁起熊手は商売繁盛や千客万来を願ったものが多いですが、最近では恋愛成就や健康、必勝祈願といったように願い事の種類もバラエティに富んでおり、商売人だけではなく老若男女幅広く楽しめるお祭りになっています。
どうして酉の市には派手に装飾された熊手が並ぶのかというと、熊手は「福をトリ込む」「金銀をトリこむ」と洒落も利いていて大人気の縁起物です。
そこからはじまり、現代においても「金運や客を掻き込む縁起物」として、毎年たくさんの商売人が熊手を求めに酉の市にやってくるのです。
酉の市では「八つ頭」「黄金餅」も縁起物のひとつです。
八つ頭は古来より頭の芋(とうのいも)とも呼ばれ、人の頭に立つように出世できるといわれ、さらに一つの芋からたくさんの芽が出ることから「子宝に恵まれる」という縁起物です。
黄金餅は粟餅(あわもち)の別名といわれており、この粟餅は餅米5分に、粟5分の割合にして搗いて出来た黄色い餅のことを言い、この黄色が金色の小判に良く似ていたことから、金持ちになるようにとの縁起で売られていました。
現在、黄金餅を商うお店は無くなりましたが、年の瀬を告げ、正月用の餅菓子である切山椒(きりざんしょ)が売られています。
新しく迎える年が良き年になるよう、ご家族やお友達を誘って酉の市に出かけてみませんか?

NHK大河、沢尻容疑者代役立て再撮。  法華坊主 joe

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一番寒い時期に向かう。

2019年 11月18日 - 日常

秋も終わり、霜や息の白さに冬の訪れを感じるようになると、手紙などで目にするようになるのが「向寒の候」という言葉です。
「向寒の候」は季節によって変わる時候の挨拶の一つで、ビジネス文書にも使われる言葉です。
時候の挨拶は、意味や使われる時期などをしっかり押さえておくときちんとした手紙や挨拶文を書くときにとても役に立ちます。
「向寒」の意味は、字の通り『一番い時期に向かう』という意味で、日に日に寒くなってゆく季節の移り変わりを表す言葉です。
「向寒の候」は何日から何日まで!と使用期間がはっきり決まっているわけではありませんが、日に日に寒くなる頃に合わせ使うことばですから、11月中旬~12月上旬あたりまで使える言葉といえるでしょう。

冬の始まりである「立冬」が11月7日ごろですから、立冬を目安に使い始めるのが一般的です。
そして「向寒」の「寒」は24節気でいう「小寒(1月5日頃)」「大寒(1月20日頃)」を表していますから、「小寒・大寒に向かう季節」ということですね。
しかし、小寒の前の「冬至(12月22日)」を過ぎると、もう冬真っ只中の雰囲気になってしまいますので、向寒の「本格的な寒に向かう」という感じを大切にすると、11月7日~12月21日までを目安に使うのが一般的なようですね。
秋から冬にかけて日々寒さが増して夜長がますます深まる時期です。
遠くの友人や家族、久しくしている方にほっこりと温かい気持ちにななってもらえるように手紙を書くのもいいのではないでしょうか。

香港デモ、理工大で衝突続く。  法華坊主 joe

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初冠雪は冬の訪れを推し量る指標。

2019年 11月17日 - 日常

初冠雪(はつかんせつ)とは、1年のうち雪に覆われる時期とそうでない時期がある山岳において、夏を過ぎて(その年の最高気温を観測した日を過ぎた後から)初めて山頂に雪が積もって白くなることを言います。
このような状態になることを日本語では「初冠雪を迎える」と表現します。
日本で初冠雪は冬の訪れを推し量る指標として用いられ、気象庁では、気象現象として約80の山を対象に観測しています。
初冠雪の発表は各気象台から行われ、観測は山のふもとから対象の山の山頂を見て行い、積雪で白くみえる時に初冠雪が発表されます。

富士山の初冠雪は先月22日に甲府地方気象台から発表され、平年より22日遅く、昨年より26日遅かったそうです。
静岡県側でも雲が薄くなった同日昼ごろ、山頂付近がうっすらと雪化粧した姿が確認されました。
今月10日の福島県内は寒気の影響で標高の高いところで雪が降り、福島市の吾妻山で初冠雪を観測しました。
福島地方気象台によると、観測史上2番目に遅い記録で、平年より18日、昨年より11日遅いそうです。
立正院の境内から見える安達太良山でも今月15日に初冠雪がみられました。
向寒の季節、週明けの気温の変化で体調を崩さないよう、服装でうまく調整なさってください。

侍J、プレミア12初優勝。  法華坊主 joe

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変わりゆく時代、変わらない煌き。

2019年 11月16日 - 日常

昨日お約束したとおり「新五星山展」を、二本松駅前の大山忠作美術館で観てきました。
大山忠作は、大正11年二本松市に生まれ、日本画の古典的美観と独特の華麗な色彩表現とを見事に調和させ、今日の新しい日本画を代表する絵画世界をつくりあげた画家です。
大山忠作美術館は、平成19年に二本松市へ寄贈された大山画伯の169点にも及ぶ作品を中心に収蔵・展示するとともに、画業65年にわたる業績を永く顕彰する目的で、 平成21年10月1日に開館しました。

大山忠作美術館開館10周年の特別企画展として、大山忠作をはじめとした名前の中に「山」という文字を持つ日本画家の巨匠、杉山寧・山口蓬春・横山大観・横山操の5人の作品を展示しています。
富士山の作家・横山大観の作品が4点、大山の師で戦後に新たな日本画の道を切り開いた山口蓬春の作品が3点、日本画の技法の革新者で圧倒的な画力の杉山寧の作品が3点、大山の親友でシベリア抑留が画風に影響を与えた横山操の作品が3点、そして大山忠作の作品9点がありました。
特に興味をひいたのは大山作品の『羅漢図(動)』『羅漢(静)』の屏風画です。
「戦後間もなく復員した大山画伯が描いた『羅漢図(動)』は、ようやく絵を描ける時代になった喜びが伝わります。2年後の『羅漢(静)』からは、仏になりきれない羅漢のおかしみがにじみ出ています」との解説も頷けます。
ふたつの作品とも霊友会が所持しているとは聞いたことはあるものの現物を拝見するのは始めてで、そのダイナミックさと躍動感&安静感のコントラストに感動しました。
ただ画中に「南無妙法蓮華經」の幟を持った羅漢像がありましたが、依頼者の要求だったのか?その意図にちょっと違和感もありました。
ついでに市民ギャラリーで同時開催されていた「大山忠作の画室から」にも寄りましたら、使用された筆など画材を含む画伯ゆかりの品々を集めて展示していました。
画ばかりでなく書も好まれたようで、日本酒のラベル文字や揮毫作品はたいへんステキでした。
5年前の「五星山展」と比較すると観後感に物足りなさはありましたが、第二弾ですから仕方ないですね。

沢尻エリカ、合成麻薬所持で逮捕。  法華坊主 joe

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伝説ふたたび。

2019年 11月15日 - 日常

平成25年秋に開催された「五星山展」おぼえていますか?
東山魁夷・髙山辰雄・平山郁夫・加山又造・大山忠作の文化勲章受章者の代表作が展示されました。
そしていま福島県二本松市の大山忠作美術館で、新しい日本画を作った5人の画伯による「新五星山展」が開催されています。
今朝の『福島民報』あぶくま抄に、次のような記事が出ていました。

JR二本松駅前にある大山忠作美術館の「新五星山展」は、名前に山の付く日本画家五人の代表作が並ぶ。二本松市出身の大山忠作氏の長女で女優の大山采子さんが、解説を務める。作家の身内ならではの話が共感を呼ぶ。▼開幕日の十月十三日は台風19号の通過と重なった。JR東北線の電車が止まり、館内はしばらく人影がまばらだった。各地で大きな被害が広がる中、来場を呼び掛けるのも、ためらわれた。会場を訪れた男性が「こんな時だからこそ、心を潤す芸術が必要」と励ます。▼自宅が浸水した郡山市の女性は、名作と向き合い、元気を取り戻した。日ごとに、にぎわいを増し、入場者は十三日までに四千人を超えた。采子さんは「本物が持つ絵の力を感じてほしい」と訴える。大山氏は二十八歳で屏風絵「羅漢図」を描いた。太平洋戦争から復員した四年後に当たり、表現できる喜びが伝わる。▼父の故郷と東京で生まれた娘の縁を、十年前に開館した美術館が結ぶ。支えてくれる多くの仲間がいる。恩返しがしたくて、一カ月以上にわたり作品紹介に立つ。込められた思いと選び抜かれた絵の数々は、眺めるほどに心に響く。展覧会は十七日まで続く。

きょう午前中から郡山市で行われたある研修会に出席した帰り路、「新五星山展」を観ようと予定していましたが入館時間に間に合わず、あす楽しみに鑑賞することにします。

ハンセン病家族補償法が成立。  法華坊主 joe

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七五三に欠かせない千歳飴。

2019年 11月13日 - 日常

今月15日は「七五三」です。
11月は秋の収穫を祝う月だったことから、子どもの成長も祝うようになり、人生の節目をお祝いするようになりました。
なぜ11月15日にお祝いすることになったの火というと、それは体の弱かった将軍徳川家光の子供・徳松(後の将軍、綱吉)の健康のお祈りをしたのが11月15日だったからです。
そのお祈りの後、徳松がすくすくと成長したことにあやかって七五三の式日として広まったと伝えられています。
七五三は、室町時代に始まった「帯解きの義」(おびときのぎ)が起源。
昔は医療が未発達なこともあり子どもの死亡率が高かったため、「7歳までは神の子」といわれ、それまでは魂が定まらないと考えられていました。
7歳は大事な節目の年とされ、7歳で神社の氏子になったのです。
江戸時代からは女子は7歳、男子は5歳で祝うようになり、その後、今のような形になりました。
子供の成長を祝う七五三に欠かせないお菓子といえば、「千歳飴(ちとせあめ)」。
幼い頃になめた甘い味を、懐かしく思い出す大人も多いのではないでしょうか。
江戸時代に、浅草の飴売りがお宮参りのお土産として売り出したのが千歳飴の始まりです。
長く引っ張って伸ばした飴で長寿を表し、子どもが健康で長生きできるようにと願いを込めました。
飴は縁起の良い紅白に彩られ、袋には松竹梅、鶴亀など長寿にまつわる絵が描かれおり、袋の中には年の数だけ飴を入れると良いとされています。

立正院でも、七五三のお参りに来られた男児女児には、榮太郎総本舗の千歳飴を授与しています。
晴れ着を着て千歳飴を持った子どもとご家族のほほえましい姿を見ると、こちらまで嬉しくなります。
家族にとって楽しい思い出に残る一日になるといいですね。

あす一世一代の「大嘗祭」。  法華坊主 joe

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