日常

人生を変えたふたつの出会い。

2019年 11月2日 - 日常

11月に入って、昨日は季節はずれの陽気、今日も秋晴れの好天に恵まれました。
3連休の初日、如何お過ごしでしたか。

先日、上野の森美術館で開催されている「ゴッホ展」(~2020/1/13) を観ました。
今年は東京でクリムト展がとても人気で話題になりましたが、今回のゴッホ展も超有名画家の展示会です。
「炎の画家」とも呼ばれるフィンセント・ファン・ゴッホは、豊かな表現力と鮮やかな色彩で人々を魅了し続ける画家です。
37年の生涯のうち画家としての活動はわずか10年で、代表作のほとんどは晩年の数年間で描かれたものです。
ゴッホが画家として独自の画風を確立するまでには「ハーグ派」と「印象派」の画家たちとの出会いがありました。
27歳のときに画家を志したゴッホは、オランダの「ハーグ派」と交流しながら、絵画の基礎を習得します。
農村風景や静物などを題材に、暗い色彩で抒情的な光景を描きました。
その後、弟テオの勧めで移り住んだパリで鮮やかな色づかいの「印象派」を目にし、独自の作風を確立していくのです。
この展覧会では、7年ぶりの来日となる貴重な初期作品《糸杉》をはじめ《麦畑》《オリーヴを摘む人々》など晩年の代表作を含むゴッホ作品約40点を展示しています。
「ハーグ派」のマウフェやラッパルト、「印象派」のモネ、ルノワール、ピサロなど影響を受けた画家たちの作品を交え、ゴッホが後期印象派を代表する画家のひとりになるまでの画業の変遷をたどる貴重な企画で、ハーグ時代などゴッホの知られざる一面にふれつつ、《糸杉》などゴッホらしさも堪能できる味わいのある展覧会でした。
皆さんも、是非ご覧になってみてはいかがですか。

ラグビーW杯、南アフリカがイングランド破り優勝。  法華坊主 joe

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風もないのにハラハラと。

2019年 11月1日 - 日常

ふた月綴りのカレンダーは、最後の1枚になりました。
今日から11月、和名は「霜月(しもつき)」で、霜が降り始める頃という意味があります。
温暖化で秋の訪れも紅葉も遅れ気味だそうですが、11月ともなれば、さすがに朝夕は随分冷たいものです。
街路樹の紅葉も美しく、風もないのにはらはらと落葉し、かさこそ乾いた音を立てるのも晩秋の風情ですね。

今日は、急転直下?の出来事がふたつありました。
そのひとつは、東京オリンピックの猛暑対策としてマラソンと競歩の会場を札幌に移す案について、東京都の小池知事は正午から開かれた4者協議の中で、「IOCの決定に同意することはできないが、最終決定権限を有するIOCが下した決定を妨げることはしないという東京都としての決断を行った。あえて申し上げるならば、合意なき決定だ」と述べたことにより、IOC=国際オリンピック委員会は最終的に札幌での実施が決まったことを表明しました。
コーツ委員長は、東京に対し感謝こそすれ、謝罪の言葉は最後まで口にしませんでした。
そして、セレブレーションマラソンという実体のないイベントが代案に示されるのような思いつきの提案はしたものの、いろいろなしこりを残したままです。
  
ふたつめは、萩生田大臣の「身の丈にあわせて」という発言が問題となった新たな大学入試に導入される英語の民間試験。
2020年度開始の大学入学共通テストの民間試験導入見送りを決めたことを受け、文部科学省は、24年度をめどに開始を目指す新形式の英語試験に関する検討に入りました。
萩生田文科相は民間試験の活用中止も選択肢に含めた抜本的見直しに取り組む考えを強調しました。
制度の公正さ・公平さが担保されることはもちろんのこと、制度をめぐる混乱が解消され、子どもたちが安心して勉強できる日が来ることを願うばかりです。
IOCや文科省の唐突な、しかも場当たり的な対応に困惑しているのは、今まで努力を重ねてきた関係者であり受験生であることをよく理解していただきたいですね。

2019生、名前の最多は「蓮」と「陽葵」。  法華坊主 joe

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10月末日、雑感交々。

2019年 10月31日 - 日常

今年に入り映画の影響もあって、沖縄にふたたび関心を持っていました。
今日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼しました。
「正殿」など主要な建物ばかりでなく、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが焼けたものとみられています。
首里城は沖縄戦による焼失を経て、30年に及ぶ復元工事を今年1月に終えたばかりでした。
首里城は、2000年の九州・沖縄サミットの夕食会場として世界に発信されたほか、2,000円札に守禮之門が描かれるなど、沖縄のシンボルとしても親しまれてきました。
今まで数回に亘り訪ねた首里城が焼失したことはザンネンでなりませんが、必ずや復元されることを祈っています。

また今朝、河井法務大臣が妻の河井案里議員の選挙運動での疑惑報道を受けて大臣を辞任しました。
河井大臣は疑惑を否定。
妻の案里議員も、事実関係の把握に努めて説明責任を果たすとしています。
辞任後、ほどなく後任の大臣が決まり、安倍総理大臣がカメラの前で謝罪する展開は6日前に辞任した菅原経済産業大臣の時と同じでした。
相次ぐ大臣の辞任に野党側は、内閣総辞職に値する異常事態と猛反発し、衆参両院で予算委員会の集中審議を開くよう求めています。
福島選挙区の参院議員・森まさこ少子化担当大臣が後任となりましたが、素早い決定の背景には何があったのでしょうか。

ハロウィーンの渋谷、若者らで混雑。  法華坊主 joe

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日本人は春画を知らない。

2019年 10月30日 - 日常

「春画(しゅんが)」と聞くと、皆さんはどのようなイメージをされるでしょうか?
『ブリタニカ国際大百科事典』には
「 人間の性的な交わりを描いた日本の肉筆画、版画、判本などの総称。枕絵、笑絵などともいう。起源は平安時代でさかのぼり、中国から伝わった医学書である房中書の図解に見られる。その後、日本の春画は独自の発展をするが、早い時期は貴族、僧侶、武家など身分の高い人々の間で享受されていた。その頃は肉筆が中心で、一点ものなので高価だったが、江戸時代になると木版技術の発達により、浮世絵版画の春画が廉価で数多く流通し、庶民層へと一気に広がった。描いた絵師も鈴木春信、鳥居清永、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川国貞など著名な浮世絵師はみな、春画を手がけていた。春画は単に好色な男性のためのものではなく、多くの老若男女が愛好した。その根底には「男女和合」の精神があり,性をおおらかに肯定する気分が横溢している。江戸時代の享保の改革・寛政の改革・店舗の改革の三大改革の時に春画は禁制になるが、そのつど地下にもぐり制作が続けられた。非合法の出版物なので、かえって贅沢な画材を使い、彫摺も超絶技巧を駆使した豪華なものができた。明治以降は政府により猥褻物として徹底的に取り締まられ、研究や学問の世界からも締め出された。しかし、21世紀になってからロンドンの大英博物館や東京の美術館で特別展が開催され、大きな反響を呼んだ。本格的な文化・美術の一分野として正当に評価されつつある。」
と解説しています。

国内初の大規模な春画展が2015年に東京・永青文庫で開催されたのを覚えているでしょうか? 
最終的に動員数は20万人を超える人気展覧会となりました。
その春画展の内幕と、日本社会の奇妙なゆがみを描くドキュメンタリー映画「春画と日本人」を先日、東京で観てきました。
副題には、「日本人は春画を知らない。世界が先に動いた。あの春画展から4年。驚きの内幕を描くドキュメンタリー」と記されています。
2015年9月に小さな私立博物館「永青文庫」で開幕した春画展。
それまで年間2万人の来館者だった永青文庫に、3ヶ月の会期中に21万人が押し寄せました。
また、女性来館者55%、5人に1人が図録を購入するという異例の記録を達成。
国内外の貴重作120点が一堂に会するはじめての試みとなる展覧会で、開催までの道のりは平坦ではなかったそうです。
開催場所の選定では、国内の公私立博物館20館あまりに開催の打診が断られ、摩訶不思議な逆風が吹きました。
海外で美術品として高く評価されている春画の展示が、なぜ日本ではすんなりと展示できないのか?本物の展示にかける人々が直面した知られざる苦労から、「春画」を世間から隠そうとする日本社会の忖度構造が浮かび上がります。
開催までの道のりは困難を極めました。
当初は、ロンドンの大英博物館で成功を収めた「春画展」の日本巡回展として企画されましたが、東京国立博物館をはじめ国内の公私立博物館20館へ打診しても不調に終わりました。
海外で美術品として高く評価されている春画の展示が、なぜお膝元の日本ではすんなりと成立せず、小規模な私立博物館での開催となったのか。
なぜ21万人もの熱狂的な観覧者が訪れたのか。
映画は、展覧会を成功に導いた人々とともに「春画と日本人」をめぐる謎に迫っていきます。
必見の価値ある文化記録映画でした。

「信頼なしに成功ない」都知事がIOCに皮肉。  法華坊主 joe

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読書の力によって・・・。

2019年 10月29日 - 日常

秋の夜長を、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
そして今、「読書週間」であることをご存知でしょうか?
終戦まもない1947(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 
そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは「一週間では惜しい」と、期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。
そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。

いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。
しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。
法華坊主も毎年、年の初めに「一年間に読書100冊」を目標に掲げていますが、加齢とともに寄る年波には勝てず、併せて生来の怠け癖も手伝って、なかなか目標達成できないのが現実です。
でもこの秋は、先日観た映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 」の影響もあって、瀬長亀次郎の著書『沖縄からの報告』『民族の悲劇 沖縄県民の抵抗』と『米軍が恐れた不屈の男-瀬長亀次郎の生涯』(佐古忠彦著)を読破しました。
興味や関心を軸にして、次から次へと読書を連鎖させていくところに読書の魅力がありますから、秋の夜長に寝そべっての読書はいかがですか?
ちなみに、「読書100冊」の他に、「映画館のスクリーンで50本」「美術館博物館巡り50展」も目標としているので、今年の残りふた月を有効に活用していきたいと思います。

日本人初の国連難民高等弁務官・緒方貞子さん死去。  法華坊主 joe


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「強請る」← なんて読む?

2019年 10月28日 - 日常

「強請る」← 何と読みますか?
恥ずかしながらワタシは読めませんでした。
後になって〈ねだる〉と読むことが判明したので、LINEで漢字通のDear Friendに送ったら、「ゆする」とも読むのよ!と教えてくれました。
「ねだる」と「ゆする」は、同じ漢字でも意味はまったく違うと思いませんか?
実はこの言葉「強請る」は、読み方によっては意味が大きく異なる、注意が必要な言葉なのだそうです。

さらに調べてみると、同じ漢字でも複数の読み方があり、それぞれ意味も異なる言葉は多く存在していました。
「強請る」はその代表的な例で、「強請る」には〈ねだる〉〈ゆする〉〈たかる〉〈もがる〉の4通りの読み方があります。
「請」という漢字には「願い求める」「頼む」という意味があり、「強請る」は「強く頼む」ということを意味し、「ねだる」の意味はここから転じたもののようです。
「強」には、単に程度が大きいという意味の「強い」の他に「強いる(しいる)」つまりは「無理に押し付ける」という意味もあり、「ゆする」などの意味は、こちらから来ています。
〈ねだる〉とは、「無理に頼んで物やお金をせがむ」という意味で、その行為は、親や恋人などの相手の愛情や好意に甘えて行うことが多く、そこには脅して奪うようなニュアンスは含まれていません。
次に〈ゆする〉とは、相手をおどしたり、弱みにつけこんだりして、金品を取り上げたり、自分に従わせたりすることで、「金を用意しろよ」などと要求してくる行為が、まさに〈ゆする〉です。
更に〈たかる〉とは、〈ゆする〉よりは悪意が少なく、知人にねだって金品や食事を提供してもらうというような意味ですが、しつこくまとわりつくようなニュアンスが込められており、現在では「集(たか)る」の方が一般的です。
最後に〈もがる〉は、「反対する」「逆らう」「言いがかりをつけて、金品をゆする」という意味で、〈もがる〉という言葉は古い語で、あまり使われていないし、漢字では「虎落る」とも書くそうです。
62歳を過ぎてもなお「日本語って難しいねぇ~」と実感しましたが、今日はお強請りもしちゃいました。

八千草薫さん、膵臓がんで逝く88歳。  法華坊主 joe

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日本人の心を動かす自然の饗宴。

2019年 10月27日 - 日常

天気が回復した10月最後の日曜日、家族揃って行楽に出かけられたご家族もあられるでしょう。
実りの秋は味覚狩りのシーズン、収穫の楽しさと旬の味が堪能できる人気のレジャーですね。
「紅葉狩り」と「りんご狩り」、同じ狩りでも意味が違うのをご存知ですか。
これは、もともと狩猟を意味していたものが、時代とともに意味が広がっていったからです。

「獣を捕まえる」という意味

「小動物や野鳥を捕まえる」という意味

「動植物を採る」という意味~「りんご狩り」「潮干狩り」

「草花などの自然を観賞する」という意味~「紅葉狩り」「桜狩り」

「不都合なものを探しあてて捕らえる」という意味 ~「刀狩り」「魔女狩り」

「紅葉狩り」は、「果実狩り」や「きのこ狩り」と違い観賞するものですから、紅葉見物に出かたときに枝葉を採取してはいけません。
もともと平安時代の貴族の間で始まり、紅葉を見物しながら宴を開き、その美しさを和歌に詠んで勝負する「紅葉合」が流行したそうです。
その後、江戸時代から庶民にも広がり、季節行事として定着していったのです。
観賞する意味になったのは、狩猟をしない貴族が野山を捜し求めて花や草木を眺める様子を狩りにたとえて表現したからだとか。
春の花見「桜狩り」に対し、秋の「紅葉狩り」というのは、日本人の心を動かす自然の饗宴といえるのでしょうね。
現代社会では、恐喝などの違法行為である「○○狩り」、例えば「おやじ狩り」「オタク狩り」という使い方もありますから、ご注意ください。

ラグビー決勝(11/2)は、イングランドvs.南アに。  法華坊主 joe

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写真の神様が降りてきた。

2019年 10月26日 - 日常

ボクの頭の中では、「写真家・篠山紀信は南沙織の夫!」ということを前置きして話を進めます。
東京・水道橋のGallery AaMoで開催されている「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN The Last Show」を観てきました。
2012年に〈熊本市現代美術館〉から始まり、〈東京オペラシティアートギャラリー〉や〈横浜美術館〉など、全国の32会場を7年間に渡って巡回した最後を飾る展覧会です。
今年9月には累計動員が100万人を突破しました。
展覧会は50年以上に渡って写真界の第一線で活躍してきた篠山紀信の作品の中から「GOD」(鬼籍に入れられた人々)、「STAR」(すべての人々に知られる有名人)、「SPECTACLE」(私たちを異次元に連れ出す夢の世界)、「BODY」(裸の肉体-美とエロスと闘い)、「ACCIDENTS」(東日本大震災で被災された人々の肖像)の5つのエリアに分かれ、各テーマに合わせた作品が展示されています。
展示作品の中には幅8メートルを越える巨大作品もあり「写真の神様が降りてきた」と篠山自らが厳選した作品125点を、ダイナミックで迫力ある展示空間で堪能できます。
中でも、今は亡き夏目雅子・渥美清・三島由紀夫・美空ひばり・大原麗子・樹木希林・・・の「GOD」エリアは眼を釘付けにさせられ、さらに「BODY」エリアはヌードばかりでなく、刺青の男たちや大相撲の力士の肉体には圧倒され、目を見張るものがありました。
もちろん南沙織の写真もステキでした。
明日が最終日の「篠山紀信展 写真力」を観る最後のチャンスに間に合い、ホッとしています。

NZまさかの敗戦、ラグビーW杯12年ぶり屈辱。  法華坊主 joe

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デザインや機能の進化を紹介。

2019年 10月25日 - 日常

昨日の上京の目的は別にありましたが、突然思いついた企画展を観ることができました。
飯田橋駅そばの、印刷博物館P&Pギャラリーでで開催されている「現代日本のパッケージ2019」展(~12/8)です。
身近な印刷物の代表例であるパッケージには、使いやすさに配慮したユニバーサルデザインや、地球環境に優しい包装材の開発など、解決すべき課題に対しさまざまな努力がなされていますよね。
1)市場で販売されている商品化されたコマーシャルパッケージの優秀性を競う商品包装コンペティション
2)パッケージというデザイン領域のプロフェッショナルが集い、生産や流通を支える包装材料としての面だけではなく、作品のデザイン性や創造性を競うコンペティション
3)材料・設計・技術・適正包装・環境対応・デザイン・輸送包装・ロジスティクス・販売促進・アイデア等あらゆる機能から見て年間の優秀作品を選定するコンテスト
以上、三つの大規模なパッケージコンクールの受賞作品を展示、現代のパッケージデザインや機能の進化を紹介していました。
特に、aibo Package、meiji THE Chocolate、サントリーコーヒー500mlペットボトル、カルビー ポテトフリッツ等々、市場で販売されているコマーシャルパッケージの優秀性を探ることができる楽しい企画展でした。
入場無料も魅力です。

被災地に大雨、死者不明複数人。

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秋を彩る楓や蔦は・・・。

2019年 10月24日 - 日常

今日は24節気のひとつ「霜降(そうこう)」です。
秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃で、朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短くなったことを実感できます。
初霜の知らせが聞かれるのも大体このころで、山は紅葉で彩られます。 
ぐっと冷え込むこの頃は、楓や蔦の紅葉が色鮮やかになっていき、「錦秋(きんしゅう)」というように、山が秋の色を纏う季語があるように、山々が得も言われぬ美しさを極めます。
また、紅葉に彩られた秋の山を「山粧う(やまよそおう)」といいます。
花が咲き始め鳥が歌う春は「山笑う」、青葉が茂りみずみずしい夏は「山滴る」、冬山の静けさは「山眠る」などと、四季折々の山をまるで生きているかのように表すことばがあります。
これは、11世紀の中国の郭煕(かくき)という画家のことばに由来しているそうですが、とても素敵な表現ですね。

秋の彩りが次第に里へ向かうと、山は枯山となります。
北から南へ、山から里へと、季節は冬を迎える準備をはじめるのですね。
霜は冷気によって大気中の水分が結晶化し、草木の表面や地面が白くなる現象。地表の温度が0度以下になると霜が降ります。
雪と同様、気体の水蒸気からいきなり固体の霜になるわけですから、霜は地上にできた雪ともいえます。
窓にできた霜を見ると結晶の形がはっきりと見えるそうなので、機会があれば見てみたいものです。
この頃から、コートや暖房器具の準備など冬支度を始めます。
読書や編み物をしたりして、秋の夜長を楽しむのもいいですね。

あす、菅原経産大臣、辞職かな。  法華坊主 joe

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