日常

命が助かる可能性が高い行動。

2019年 10月12日 - 日常

今日(12日)午後7時前に、大型で強い台風19号は伊豆半島に上陸しました。
気象庁はその前の午後3時半、静岡県と神奈川県、東京都、埼玉県、群馬県、山梨県、長野県に、台風19号にともなう大雨の特別警報を発表しました。
気象庁は、周囲の状況を確認し、避難場所までの移動が危険な場合には近くの頑丈な建物に移動したり、外に出るのがすでに危険な場合は建物の2階以上で崖や斜面と反対側の部屋に移動したりするなど、少しでも命が助かる可能性が高い行動を取るよう呼びかけています。
午後7時50分、新たに茨城県、栃木県、新潟県、福島県、宮城県に大雨の特別警報を発表しました。
5段階の警戒レベルのうち最も高いレベル5にあたる情報で、気象庁はすでに大雨特別警報を出している1都6県とあわせて最大級の警戒を呼びかけています。


私は昨日より、日蓮大聖人御会式法要に出仕するため沼津の御本山を訪ねていましたが、急きょ自坊へ帰院の選択をしました。
途中、高速道路は通行止あるいは速度制限をしていましたが、通行する車の数は少なく、叩きつける激しい雨と横殴りの風の中、連れの二男とともに先ほど無事帰宅しました。
まだ引き続き注意が必要です。
皆さんも今後の情報に十分警戒してください。
今日は満62歳の誕生日でしたが、記憶に残る一日となりました。

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青い月夜の 十三夜。

2019年 10月11日 - 日常

今夜は「十三夜」。
十三夜と言えば、樋口一葉の短編小説を思い起す人も多いでしょう。
あるいは島倉千代子(他にも何人かが)が歌った「十三夜 端唄~深川~」でしょうか。
♫ 河岸の柳のゆきずりに
  ふと見合せる 顔と顔
  立ちどまり
  懐かしいやら 嬉しいやら
  青い月夜の 十三夜  ♫

十三夜とは、旧暦9月13日のお月見のことで、旧暦8月15日の十五夜の後に巡ってくる十三夜をさします。
十三夜は十五夜に次いで美しい月だと言われているため、中秋の名月(十五夜)から約1カ月後に巡ってくる十三夜のお月見を昔から大切にしていました。
十五夜または十三夜のどちらか一方しか観ないことを「片見月」「片月見」と呼び、縁起が悪いこととされています。
また、十三夜は栗や豆の収穫祝いでもあるため、別名「栗名月」「豆名月」といい、月見団子とともに栗や豆を供えて食べる風習があります。
台風19号の影響で、今年は十三夜の名月を拝することは難しいようですが、その心だけは感じ取ってください。

明日、またひとつ歳を重ねます。  法華坊主 joe

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先史から現代までの立体教科書。

2019年 10月10日 - 日常

DIC 川村記念美術館に続いて、「歴博」の愛称で親しまれている国立歴史民俗博物館に立ち寄りました。
同館は、昭和58年3月に開館し、日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する歴史民俗博物館で、千葉県佐倉市 にある佐倉城址の一角、約13万平方メートルの敷地に延べ床面積約3万5千平方メートルの壮大な規模を有する歴史の殿堂です。
原始・古代から現代に至るまでの歴史と日本人の民俗世界をテーマに、実物資料に加えて精密な複製品や学問的に裏付けられた復元模型などを積極的に取り入れ日本の歴史と文化についてだれもが容易に理解を深められるよう展示されています。 


「先史・古代」「中世」「近世」「民族」「近代」「現代」に分けて、日本の歴史・文化の流れの中から重要なテーマを選び、生活史に重点をおいて構成し、実物資料や複製資料、復元模型などを使用して各テーマをできるだけ具体的に解説してありました。
先史時代から現代まで、歴史の教科書に載っている図版が立体で見られ、立体教科書という感じです。
土器や土偶はレプリカを展示し、当時の生活を再現した人形や、町並みを再現した模型もありました。
寺子屋では、双六や算木を体験し、当時の算術を学ぶコーナーもありました。
規模が大きい割にはエスカレータやエレベータがあまりなく、殆ど徒歩で移動しましたが、歴史に興味のある方にはぜひおすすめのスポットです。
途中立ち寄りの場所だったため時間制限があり、それでも3時間かけて駆け回るように見てきたことが残念でなりません。
次回は丸一日かけて、各時代ごとの展示室、特に興味のある近代・現代を見て回ろうと思います。
ナビさん、次回もお付き合いよろしくお願いいたします。

台風19号、勢力落とさず接近…上陸の恐れ。  法華坊主 joe

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作品・建物・自然の三要素。

2019年 10月9日 - 日常

先日上京したときに、念願叶って「DIC川村記念美術館」を訪ねる機会を得ました。
ここは、DIC株式会社がその関連グループ会社とともに収集した美術品を公開するために、1990年5月、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内に設立した美術館です。
17世紀のレンブラントによる肖像画、モネやルノワールら印象派の絵画から、ピカソ、シャガールなどの西洋近代美術、日本の屏風絵、そして20世紀後半のアメリカ美術まで、広いジャンルの作品を収蔵しています。
特に、レンブラント・ファン・レイン「広つば帽を被った男」を常設展示してあることでも有名です。
初代館長の川村勝巳氏は、経営の労苦の合間にひとり絵画と語らうことを無上の喜びとしていましたが、この、若くして成功した商人と思われる肖像画には、旧友と再会したような思いを抱いていたといいます。
館内で最小の展示室に一点だけ飾られている特別な作品は、必見の価値ありです。
ちょうど、「描く、そして現れる―画家が彫刻を作るとき」と題する企画展も併催していました。


DIC川村記念美術館の特徴のひとつが、北総台地の自然と調和した庭園です。
里山の地形を生かした緩やかな起伏のある敷地内には、木立の中を縫う散策路や千葉県の在来植物が茂る小道、芝生の広場やモネの作品を思わせるスイレンの池などがあり、緑豊かで穏やかな景色が広がり散策できるはずでしたが、過日の台風15号による倒木整理のため、当面の間休園ということでした。ザンネン!
DIC川村記念美術館では、17世紀のレンブラントから20世紀美術に至る多彩なコレクション、展示作品に最もふさわしい空間づくりを目指した建物(海老原一郎氏設計)、四季折々の変化が楽しめる美しい自然環境をテーマに、「作品」「建物」「自然」の三要素を調和させることで、理想の美術館を実現させようと努めているそうです。
雑踏の中に存立する都会の美術館とは異なり、広大な敷地の中に優雅に佇む郊外の美術館は、心の癒やしともなりました。
ご一緒した千葉県在住のナビゲーターとともに、庭園散策を含めた再訪を心待ちにしています。

ノーベル化学賞にリチウムイオン電池開発の吉野彰氏ら。  法華坊主 joe

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草木に冷たい露が降りる頃。

2019年 10月8日 - 日常

今日(8日)は、二十四節気のひとつ「寒露(かんろ)」です。
晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のことで、草木に冷たい露が降りる頃という意味です。
今年は10月になっても30℃を超える日があったりして、なかなか涼しくなりませんでしたが、朝晩はひんやりと冷え込むようになってきました。
秋の長雨が終わると、本格的な秋の始まりになり、五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めます。
露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代される季節でもあります。
またこの頃は、大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなり、夜には月も美しく輝いて見えます。
寒露の頃になったら、空を見上げてみてはいかがでしょう。
これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。

舞茸・シメジ・椎茸などいつも目にする茸の中に、この時季になると秋の味覚の王様〈松茸〉がお目見えします。
生産地を見ると中国・北朝鮮・韓国などはるばる運ばれてきたものが多く、日本産はすっかり高級品になって庶民の食卓にはなかなか登場していただけません。
松林が少なくなったことが原因だと聞きますが、松くい虫の暴れ方も酸性雨などさまざまな環境悪化のひとつなのかもしれません。
環境問題が改善されると、日本産松茸が庶民価格で出回るのでしょうか。
どんなに小さなことでも、できることから環境へ負荷をかけない努力を重ねることが大切なのですね。
松茸のためにも、努力してみましょうか。

囲碁・柴野虎丸、初の10代名人。  法華坊主 joe

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史上初の8強に向けて前進。

2019年 10月7日 - 日常

今朝放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で、同局の玉川徹コメンテーターは、周囲ににわかファンが何人もいるとし、「サッカーと比べるんですよね」と明かしました。
「サッカーはちょっとコンタクトプレーがあると、大げさにアピールするでしょ」とした上で、ラグビーは「あれだけぶつかっても、ケロっとしてやってるじゃないですか。あのサッカーは何だったんだっていう感じになるんですよ」と連続で激しいプレーを行う事に驚くと明言。
「(痛がる)そういう風なものが全然ないっていうのが、やっぱりスゴイって見えてるみたいですよ」と選手のフィジカルの強さを力説していました。
ちなみに玉川氏は、大学時代にラグビー部に所属していたそうです。

これまでは、基本的に強豪国と言われる国でしか開催してこなかったラグビーワールドカップ2019日本大会が開幕し、日本は無傷の3連勝で勝ち点をA組トップの14に伸ばし、史上初の8強入りに前進しています。
札幌から九州まで全国12会場でプレーされ、横浜国際総合競技場で開催されたニュージーランドvs南アフリカの優勝候補同士の対戦は、日本戦ではないにもかかわらず6万人超の観客がスタジアムに押し寄せ熱気に包まれました。
日本ラグビー界は、前回大会の活躍後に新たな観客の獲得のチャンスを自ら不意にしてしまった苦い過去の反省を踏まえ、一丸となって「にわかファン」獲得に向けて様々なアプローチを行っています。
そんな中、観客の姿で目につくのがラグビー観戦は初めてだという「にわかファン」の存在。
もちろん私も「にわかファン」ですが、自国開催ですし、その場限りでも盛り上がるのは多いに結構じゃないですか。

そんな中、安倍首相は日本代表のジャージーを着て、20日に東京・味の素スタジアムで行われた開幕戦(日本対ロシア)を、森喜朗元首相、麻生太郎副総理兼財務相らとともに観戦しました。
汗水流す純粋なスポーツと、あなた方の汚れた政治とは一緒にしてほしくない!
あなた方もしっかりとスクラム組んで、国民に歓喜されるような政治を行ってください!
これが、ラグビーを観た後の国民の感情ではないでしょうか?

二本松の提灯祭り最終日、熟観してきました。  法華坊主 joe

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変わりやすい秋の空。

2019年 10月6日 - 日常

昨日のように、秋の空は高々と澄んでいて気持ちのいいものです。
雲も刷毛でさっと描いたような薄く軽やかですから、空の高さを引き立てます。
でも、未明からの雨のように、変わりやすいのも秋の空です。
ある統計では10月に1ミリ以上の雨日数を調べると10日あったそうですから、これは3日に一度は雨の日ということですね。
変わりやすい天候を「女心と秋の空」などと変わりやすいものの例えになっていますが、本来は男心が正しいのだとか。
広辞苑を調べると確かに「男心と秋の空」とあり〈変わりやすいもののたとえ〉と書いてあります。
どうして、「女心」になってしまったのでしょう。
劇作家の宇野信夫さんは歌劇「リゴレット」の中で〈風の中の羽根のように、いつも変わる女心〉と歌われたことから、いつの間にか男から女に変わったのでは、と書いています。
女でも男でも変わりやすいのは心ということでしょうか。
秋雨前線がかかると、うっとうしい気分になります。
春の雨なら一雨ごとに暖かくなって木々の芽も膨らんでいきますが、秋の雨は次第に冷たくなって、どことなく哀愁を感じさせられます。
最近は、日本にも大型化した台風がやってきて驚きます。
10月は実りの月、台風で台無しにならないことを祈るばかりです。

一年中、何でも揃うスーパーでもやはり10月になると、リンゴ・梨・葡萄・柿・イガつきの栗など果物売り場の彩りが違います。
そして、実りの秋といえば、新米の味を忘れるわけにはいきませんね。
炊きたてご飯の美味しさはやはりこの季節の筆頭ではないでしょうか。

ラグビーWC・プロ野球CS・世界陸上・日本女子OP等々、TV観戦しながら食欲の秋とスポーツの秋を満喫する休日のリビングです。

山梨の女児不明、大規模捜索打ち切り。  法華坊主 joe  

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農耕儀礼と結びついた秋祭り。

2019年 10月5日 - 日常

収穫の感謝と、翌年の豊作を祈願する秋祭り。
実りの秋は全国各地で秋祭りが行われます。
郷土の伝統や歴史を再現したものや、農耕儀礼と結びついたものなど、夏のお祭りとは違った風情を感じさせてくれます。

県重要無形民俗文化財の「二本松の提灯祭り」は今日から7日まで、二本松市の中心市街地で繰り広げられます。
今年から開催期間が10月第1土曜日から月曜日までの3日間に変更されました。
これも時代ですよね。
初日は午後5時半から亀谷ロータリーで「七町合同引廻し」の出発式を行ったあと、二本松神社の御神火を七町の各太鼓台に取り付けた約300個の紅提灯に移します。
午後5時50分から若連が伝統のおはやしを響かせながら深夜まで城下町を練り歩くお祭りです。
資料によるとその由来は、今から約370年前(寛永20年・1643年)、丹羽光重公が二本松城主として入部した際、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、現在の栗ヶ柵に二本松神社をまつり領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが、提灯祭りの始まりといわれているそうです。

日本では、提灯を古くから祭礼や儀式などに使用してきました。
さらに江戸時代には庶民にも広く普及し、全国的に闇夜を照らす華やかな提灯を使った祭も登場してきましたが、その中で「二本松の提灯祭り」、秋田の「竿燈祭」、愛知の「尾張津島天王祭」を、「日本三大提灯祭」と称されているそうです。
「秋田竿燈祭」は、東北を代表する夏祭りで、国指定重要無形民俗文化財です。
たくさんの提灯を吊した竿燈(かんとう)を稲穂に見立てて練り歩く姿を見ようと多くの観光客が集まります。
大きな竿燈をバランスよく掲げ、額や肩・腰などへ流す妙技も伝統の技として注目です。
「尾張津島天王祭」の宵祭は、川辺で繰り広げられる行事の美しさで有名です。
津島五車による巻藁(まきわら)船が津島笛を奏でながら進むとき、船を灯す提灯の華麗さとその光が水面に揺らぐ光景が、人々を魅了してきたお祭りで、国指定重要無形民俗文化財です。

ラグビー日本3連勝、サモアに38ー19。  法華坊主 joe

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縁結びの神社として殺到。

2019年 10月4日 - 日常

10月は「神無月(かんなづき)」とも言い、神が無い月と書きます。
日本には古来から、自然のものにはすべて神様が宿っているという、八百万の神という考えがありますが、毎年10月になるとその神様が島根県の出雲大社に集まると言われています。
そのため、10月は近くの神社などにお参りに行っても神様が不在になってしまい、「神無月(かみなしづき)」と呼ばれるようになったと言われています。
神無月は神無し月という意味があると言われていますが、実はこれは俗説で、本来は「神の月」が由来になっている説が現在のところ有力とされています。
無という字には「の」という意味があり、それを当てはめると神の月となるわけで、水無月も同じです。
10月と言えば、これから稲などの穀物が実りを迎える時期で、田の神を始め五穀豊穣を願って神を祭る月というのが、神無月の由来だと言われています。
ところで、全国各地の神様は10月に出雲大社に出向いて、一体どのような話をしているのか気になりませんか?
集まった神様は、五穀豊穣や来年の天気についてなどを話し合う他、男女の縁結びについても話し合われているそうです。
出雲大社は縁結びにご利益があるとよく言われますが、このことも大いに関係しているようです。
全国各地の神様が出雲大社に向かって不在になる一方で、出迎える側の出雲大社には多くの神様が集まることになります。
そのため、出雲大社では旧暦の10月に合わせ、新暦の11月には「神在祭」という祭事が行われます。
また、神無月は全ての神様が出雲大社に集合するわけではなく、留守番をする神様もいると言われており、その中には福の神として有名なえびす様がいます。
そこで、毎年10月20日にはえびす様をおもてなしする「恵比寿講」が行われていたのをご存知でしたか。

偉そうなことを言っても、アタシは出雲を訪ねたことがありません。
出雲に詳しいお友だちを見つけたので、ぜひ近いうちに伺ってみたいと思います。

「まるで暴力団」発言、NHK vs 日本郵政。 法華坊主 joe

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チェコ出身のふたりのアーティスト。

2019年 10月3日 - 日常

先月上京したときに千葉市美術館まで足を伸ばし「ミュシャと日本、日本とオルリク」(~10/20)を観てきました。
今回の企画は、アルフォンス・ミュシャとエミール・オルリクというチェコ出身のふたりのアーティストに光をあて、ジャポニスム(日本趣味)の時代に出発した彼らの作品と、彼らから影響を受けた日本の作家たち、さらにはオルリクに木版画を学んだドイツ語圏の作家たちを取りあげ、グラフィックを舞台に展開した東西の影響関係を観察しようとするものです。
ミュシャは、ジャポニスムに湧くパリで、女優サラ・ベルナールを描いた《ジスモンダ》に始まる一連のポスターで名を馳せました。
その評判はすぐさま日本に伝わり、ミュシャの女性像は1900年創刊の雑誌『明星』で紹介されて白馬会を中心とする日本の画家たちー藤島武二や中沢弘光らに絶大な影響を与えました。
一方のオルリクは、プラハに生まれ、ベルリンやウィーンでジャポニスムの潮流にふれて日本への憧れを募らせました。
そのほか、ウィーン分離派の周辺作家や、日本の雑誌『明星』や『方寸』周辺の作品までを展示し、ポスターや版画が果たした19世紀末の東西の芸術交流の様子を検証する展覧会です。
今年はミュシャの没後80年となる節目の年で、7月に東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、「みんなのミュシャ、ミュシャからマンガへ  ―線の魔術」を観ましたが、今回はかなり毛色も展示作品もそれとは異なるものでした。
さらには、展示は2フロアにわたるなどボリュームも想像以上で、同伴したナビゲーターとともにたっぷり堪能することができました。

パリ警視庁、警官4人が死亡。  法華坊主 joe

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