2021年 08月26日 - 日常
今月29日で終了する「MINIATURE LIFE展 2021~田中達也・見立ての世界~」(とうほう・みんなの文化センター)を観てきました。
2017年NHK連続テレビ小説「ひよっこ」のタイトルバックも担当したミニチュア写真家・見立て作家-田中達也さんの作品展です。
田中さんは海外ファンも多く、インスタグラムのフォロワー数は、なんと270万人を超える人気です。
そして、2011年から一日も休むことなくインターネット上で作品を発表し続けてきた田中さんの活動は、2021年春、10周年を迎えました。

ジオラマ用の人形と日用品をモチーフに見立て、ユニークで小さな不思議世界を作り出します。
クロワッサンの雲が青空に浮かび、コッペパンの新幹線やお寿司のSLが出発、動物たちはブロッコリーのサバンナを行く・・・。
独自の発想力が生み出すその作品は、思わず「くすっ」と笑ってしまうような楽しいものばかりでした。
代表作から新作まで選りすぐりの写真作品約110点が勢揃いし、実物のミニチュア作品約40点も観ることが出来ます。
福島会場限定作品「桃源郷」「おこサマーランチ」も登場しており、ご当地にマッチした心配りは素晴らしい企画でした。
視点を変えることで、いつもの日常が遊び心たっぷりの世界に生まれ変わる〈田中達也・見立ての世界〉を体感出来ますので、残り数日ですが訪ねてみては如何ですか。
ファイザーワクチン、3カ月後の抗体1/4に。 法華坊主 joe
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2021年 08月25日 - 日常
週末には、厳しい残暑が復活しそうです。
今夏もハンディ扇風機を持って、夏場の暑い通勤通学やお出かけに重宝した方もたくさんいるのでは。
近頃は静かで長時間駆動する高性能モデルや薄型コンパクトで携帯性の良い扇風機、羽根なしの軽量タイプ、さらにはお洒落でデザイン性の高い物やかわいい扇風機まで、多くのハンディ扇風機が登場しています。
しかし、「浴衣(ゆかた)に団扇(うちわ)で涼(りょう)をとる」、これこそ日本らしい夏の風情です。
節電、エコの時代、団扇のやさしい風も見直されています。
団扇の語源には諸説ありますが、うちわは羽を使ってハエや蚊などの害を打ち払うことを指す「打ち」という言葉と、その道具である「羽」を組み合わせて「打ち羽(うちわ)」となったことが語源とされています。
害を打ち払うという行為にはハエや蚊などの虫だけではなく、病魔などの害を撃ち払う魔除けの意味合いも含まれていたそうです。
なぜ漢字で「団扇」と書くのかというと、語源のままの漢字であれば「打羽」となるはずですが、実際には「団扇」という漢字が用いられています。
この団扇という漢字は、実はもともとは中国で使用されていた中国語です。。
中国語で丸いという意味である「団」という漢字と、観音開きの開閉の際に風が生じる様子を表した「扇」という漢字2文字で、中国では「団扇」と呼ばれていました。
「打羽」という漢字が当初の日本では使われていましたが、次第に中国語の団扇を日本でも使用するようになり、現在でも団扇の漢字が使用されています。
これが団扇という漢字の由来です。

団扇といえば、何の心配や不安もなく豊かで気楽な生活を送る様子を指す「左団扇」という言葉がありますが、この左団扇にも語源があります。
利き手が右手であることを前提とし、利き手でない左手を使ってゆったりうちわを扇ぐ様子は、仕事などに追われずゆったりした時間や生活を送っているように見えます。
その様子が「左団扇」という言葉の語源ですが、間違った使い方していませんか?
尾身会長「銀座も1回行ったでしょ」、バッハ再来日を批判。 法華坊主 joe
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2021年 08月23日 - 日常
今日は24節気のひとつ「処暑(しょしょ)」、暑さが和らぐという意味です。
萩の花が咲き、穀物が実り始める頃で、厳しい暑さの峠を越し、朝夕は涼風が吹き始め、山間部では早朝に白い露が降り始め秋の気配を感じます。
夏バテや食中毒にかかりやすい時期でもありますので、まだまだ注意が必要です。
夏の家具や雑貨を片づけ、秋の準備を始める目安にしましょう。台風への備えもお忘れなく・・・。
江戸時代の暦の解説書『暦便欄』では、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすればなり」と記されています。
残暑はまだ厳しいものの、夏の太陽の勢いが徐々に鎮まり、朝晩は過ごしやすくなる時季です。
福島市内の小中学校では、夏休みが終わり今日から新学期が始まりました。

この時季、京都を中心に盛んなのが、8月24日を中心に行われている「地蔵盆」です。
地蔵盆は、子どもたちが主役のお祭りで、地域を守り地獄の鬼から子どもを救う守り神であるお地蔵様を、子どもたちが供養する行事です。
また「おわら風の盆」をはじめ、風を鎮める祭を行う地域もあります。
厚労省と東京都、病床確保要請へ。 法華坊主 joe
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2021年 08月22日 - 日常
本日は、当山《盂蘭盆施鬼鬼法要》に、ご参詣お焼香たまわり、洵にありがとうございました。
コロナ禍ではありましたが、おかげさまをもちましてつつがなく執り行うことが 出来ましたこと厚く御礼申し上げます。
本日の皆様の尊い行いは、ご先祖さまはもちろんのこと、有縁・無縁あるいは頼るところ障るところの精霊、 また水子の精霊、土地や建物にまつわる因縁の精霊に報いられ、これによって、私たちも日々安穏に暮らすことができる余慶の功徳(よけいのくどく)を授かることとなりましょう。
今後とも、立正院の護持にご協力いただきますようお願い申し上げ、ご尊家皆々様のご健勝をお祈りいたします。
本日は、ご参詣まことに有り難うございました。

過去最多の8人が立候補した横浜市長選挙は、立憲民主党が推薦した元横浜市立大学教授の山中竹春氏の初めての当選が確実になりました。
菅総理大臣が支援した元国家公安委員長の小此木八郎氏や、4期目を目指した現職の林文子氏らは及びませんでした。
今回の選挙戦は、神奈川県内に緊急事態宣言が出される中で、過去最多の8人が立候補し、カジノを含むIR=統合型リゾート施設の横浜市への誘致計画や、感染の急拡大が進む新型コロナウイルス対策などを争点に論戦が交わされました。
このコーナーでは、あまり政治のことを申し上げない方針できましたが、今回ばかりは「今後の政局、他人事ではありませんね」・・・。
巨人に電撃トレードの中田翔、移籍1号。 法華坊主 joe
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2021年 08月21日 - 日常
普段まったく気にしていませんでしたが、朝刊を見て今日(21日)が「福島県民の日」であることに気づきました。

あらためて福島県のHPを探ってみたら、
「明治9年8月21日に、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併して、現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことから、郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごうと、平成9年に制定しました。」と載っています。
県名の由来は、
〇「福島県史」「図説福島市史」よると、
明治9年に、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生しました。
「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取ったものですが、文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清によって、福島城として使われたのが初めてだといわれています。
〇「ふるさと再発見20」よると、
福島の中心街一帯はかつて信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれた地域にあたり、目の前に阿武隈川をのぞんだ土地。
ここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が杉目城(大仏城=だいぶつじょう)を築き、福島が町になる転機をつくった。
伊達氏はこのあと、独眼竜政宗の時代に、中通りと会津の全域を支配するまでに育ったものの、天正18年(1590年)天下を握った豊臣秀吉に追われ、さらに北方の土地へと移っていく。
新しく中通りと会津の支配者となったのは秀吉の信任厚い蒲生氏郷(がもううじさと)である。
氏郷は会津黒川城を本拠とし、伊達盆地の杉目城をその支城としていたが、城の名を縁起のいいものにするため、黒川を若松に、杉目を福島にしたと伝えられている。
福島の名は福にあやかったもののようである。
〇さらに、伝説集「信夫伊達風土記」よると、
信夫(しのぶ)郡は、むかし見渡す限りの湖で真ん中に信夫山(しのぶやま)があった。
この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。
その後、長い歳月を経て、湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれた。
吹島は風が吹きつけることをきらって、吹を福とし、福島と呼ぶようになった。
と記されています。
我が郷土「福島」について、再認識する機会を得ました。
明日、立正院「うら盆施餓鬼会」奉修。 法華坊主 joe
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2021年 08月20日 - 日常
きのう、気象庁は8月21日から9月20日までの1か月予報を発表しました。
関東や北日本は気温が平年より高い予想で、9月に入っても残暑が厳しい見込みです。
8月中旬は雨が降る日が多く気温があまり上がりませんでしたが、平年並みの気温でこの先は暑い日が多くなります。
降水量は西日本から北日本にかけてはほぼ平年並みの予想です。
ただ、西日本から東日本にかけての日本海側や北日本では、前線や湿った空気の影響を受けやすい時期があって、日差しが平年並か少なく、雨の降りやすい時期があります。
夏の高気圧に覆われやすい南西諸島では晴れる日が多く、降水量は平年並か少ない予想です。

「残暑」とは、立秋を過ぎても残る暑さのことです。
立秋とは、24節気のひとつで8月7日前後にあたります。
この立秋、漢字を見ても分かるように「秋」の初めなんですが、秋といえば、暑さも一段落して涼しくなっていく頃です。
しかし、それでもなお「暑さが残る」、つまり「残暑」となります。
8月といえば夏真っ盛りのイメージですが、このように暦の上では秋が訪れているため、俳句の世界では「残暑」は秋の季語となっています。
残暑を季語として使う場合、8月いっぱい、もしくは9月の初めごろまでとされているようです。
残暑の期間は、立秋から8月いっぱいまでが適当でしょう。
時候の挨拶などの場合、8月に発信する手紙に使いますが、24節気に基づいて白露(9月8日前後)の前日までは残暑を使うことができます。
さらには、「残暑が残る」という表現を聞いたことがありませんか。
「頭痛が痛い」などと同じ重言のようですが、日本語としては間違いではありません。
では、何月に使うといいのでしょうか。
「残暑」は8月いっぱい、しかし9月に入ってもまだまだ暑さが去らない、いつまでも暑い9月の初めごろに「残暑が残る」と使われることが多いようです。
日大東北、滋賀・近江に2-8敗れる。 法華坊主 joe
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2021年 08月19日 - 日常
「夕顔(ゆうがお)」を山梨に住む友人よりいただきました。
夕顔は、富士北麓地域の夏の風物詩で「夕顔のみそ汁」が頻繁に食卓に上がると聞きました。
この地域に栽培されている夕顔は、朝顔とは別の植物であり、また、かんぴょうの材料となる「マルユウガオ」でもなく、ひょうたんのような長いかたちをした「ナガユウガオ」です。
夕顔は古くから利尿作用があるとして、腎臓病を患う人の食事に用いられてきました。
夕顔の名は、朝に咲く朝顔に反して、夕方に開花することからきていますが、夕顔の原産地は北アフリカ、またはインドで、古くから日本でも栽培されているようで、但しいつどのように伝来されたかは分かっていません。
富士北麓地域では、大正時代から夕顔栽培がおこなわれてきており、昭和40年(1965年)頃から市場に向けて栽培が盛んにおこなわれるようになったと言われています。
現在は高齢化などから栽培する人は減少したが、各家庭の畑などで多く栽培されており、地域の代表的な野菜の一つになっています。

夕顔は煮物や炒め物、あんかけやスープなど、さまざまな料理に活用することができます。
夕顔の味わいには癖がないため、副菜からメインのおかずまでカバーできるのが嬉しい限りです。
夕顔はダイエットにも効果的なので、ぜひ積極的に食卓に取り入れましょう。
我が家では、「夕顔のひき肉あんかけ」が好評のようです。
全国のコロナ感染者2.5万人超、最多更新。
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2021年 08月17日 - 日常
伊豆のお寺さんから「心太(ところてん)」が届きました。
お店の案内によると、「西伊豆八木沢と言えば、てんぐさの名産地として有名な地ですが、その中でも、その八木沢産てんぐさのほぼ10割を使う盛田屋のところてんは普段口にしているところてんとは全く別のところてんです。 てんぐさから出るところてんの基となるエキスを一切薄めない製法で作られ、2倍3倍の濃さを持つとろこてんは、蝶結びができるほどしっかりした歯ごたえとほんのり香る磯の香りを持っています。また低カロリーで健康美容食としてもおススメできます。」(原文のママ)と紹介しています。

心太(ところてん)が大陸から日本に伝わったのは仏教伝来の頃、精進料理のこんにゃくなどとともに製法が伝えられたといわれているので、1400年以上も前ということになります。
寒天ができたのは江戸時代になってからだそうで、偶然に心太が凍ってフリーズドライ状態になったことから寒天が作り出されました。
ところで「心太」と書いてなぜ「ところてん」と読むのでしょうか?
心太は、天草(てんぐさ)という海藻を煮溶かし、冷まして煮凝らせたものです。
そこで、天草は煮凝る藻ということで「凝海藻(こるもは)」「凝海藻葉(こごるもは)」と呼ばれ、煮凝ったものは「こころふと」と呼ばれて「心太」という漢字が当てられました。
その後、上の漢字を訓読み、下の漢字を音読みする湯桶読みから「こころてい」「こころてん」と呼ぶようになり、「ところてん」に転化したといわれています。
福島県、まん延防止9/12まで延長。 法華坊主 joe
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2021年 08月16日 - 日常
今月13日の夕方に、玄関先で焙烙(ほうろく・素焼きの小皿)におがら(皮を剥いた麻の茎)をのせ、火を点けて「迎え火」を行い、「盆明け」や「送り盆」などと呼ばれる今日16日のに「送り火」焚いてご先祖様をお送りし、今年も一連の盆行事をつつがなく執り行うことが出来ました。
我が家も今年は、昨年8月に亡くなった父の「新盆」でしたので、懇ろにお勤めいたしました。
盆明けの 8月22日(日)10:30~、立正院では「施餓鬼法要」を奉修します。
施餓鬼法要(おせがき)とは、ご先祖・新盆の霊位はもちろんのこと、水子の精霊、日ごろ供養されていない無縁の精霊、土地・家屋にまつわる因縁の精霊などに対し「本門八品 上行所伝 本因下種のお題目」を唱えて回向供養し、さらには家内安全・身体健全を皆さんと一緒に祈願する法要です。
今年は未だコロナ禍のため、私どもにできる限りの感染拡大防止対策を講じて法要を執り行いますので、マスク着用の上、気をつけてお参りください。
なお、法要後のお振る舞い(昼食)は差し控えさせていただきます。

夏の夜空を彩る京都の大文字焼きは有名ですが、 これは正式には「五山の送り火」といいます。
今年は規模を縮小して行うようですが、毎年の場合8月16日の午後8時より約1時間,京都市内を囲む山の中腹に巨大な「大」、大文字山・左大文字山に「妙」「法」の文字、船と鳥居の形が相前後して点火されます。
これらは、総称して「五山の送り火」と呼ばれています。
京都では8月に入ると個々の家で精霊迎えの行事が行われ、16日に行われる「五山の送り火」は,この精霊を再び冥土に送り帰すという意味をもっています。
長崎の「精霊流し」も新盆を迎えた故人の霊を精霊船で送り出す盆明けの伝統行事です。
アフガン、タリバンが勝利宣言。 法華坊主 joe
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2021年 08月15日 - 日常
8月15日は、76回目の「終戦記念日」。
日本政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催しました。
一般には「終戦記念日」や「終戦の日」と称され、戦争を体験した世代には、大きな意味をもっていることでしょう。

1945年(昭和20年)8月15日は、昭和天皇が戦争後の日本の在り方を定めたポツダム宣言の受諾を、日本国民と大日本帝国軍人に「玉音放送」という形で直接語り掛けた日であり、武器を置き、敵対行為をやめるように命じたもので、戦闘状態をいったん休止する「休戦宣言」をした日だとも言えます。
実際に、日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日であり、そのことは全世界に公表されていました。
それを知らなかったのはごく一部を除く日本人だけだったのです。
事実、アメリカでは8月14日に日本が降伏することが報道されていました。
その日にトルーマン大統領はポツダム宣言の内米国米国国民に説明し、日本がそれを受け入れたことを告げました。
よってVJデー(対日戦勝記念日)は、9月2日の降伏文書調印を見届けた上で布告するとしていたのです。
日本の降伏調印式は9月2日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流されました。
トルーマン大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説し、その中で9月2日を正式にVJデーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのです。
したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は、1945年9月2日ということになるようです。
1952年(昭和27年)4月28日は、サンフランシスコ平和条約の発効により、国際法上、連合国各国と日本の戦争状態が終結した日です。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を「降伏の日」「降伏記念日」や「敗戦記念日」と呼んでいたことも忘れてはなりません。
ハイチ地震、死者1200人超に。 法華坊主 joe
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