日常

暦通りのあたたかな日。

2019年 02月4日 - 日常

今日は「立春」。
暦通りのあたたかな日、日脚も延びて日差しも明るさを増してきます。
本格的な春に先がけて咲く梅に小さな春を感じる時期で、梅の名所では「梅まつり」の準備が始まります。

立春を迎えると立春大吉」というお札などを見かけるようになります。
これは、立春に禅寺の門前に貼られるお札に由来し、「立春大吉」の4文字は左右対称で表から見ても裏から見ても変わらないため、節分の鬼が勘違いをして家に入ってこない(邪気払いできる)といわれています。
また、立春は新しい年の始まりでめでたいため、立春の朝に搾った「立春朝搾り」の酒や、和菓子など立春に作った食べものも人気です。
暦のうえでは春とはいえ、春が産声をあげたばかりで寒い日が続きます。
立秋以降の暑さを「残暑」というように、立春以降は「余寒」となり、寒さをいたわる挨拶状も「寒中見舞い」ではなく余寒見舞い」となります。
また、立春から春分の間に初めて吹く南寄りの強風を「春一番」と呼びます。
気象庁では、風速8メートル以上の風が吹き、前日より気温が上がった時に春一番を発表しています。
もともとは、漁師が使っていた風を表すことばのひとつで、竜巻などの突風を伴うため警戒していました。

不正統計!国会本格論戦スタート。  法華坊主 joe

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今年の恵方は、東北東。

2019年 02月3日 - 日常

今日(2月3日)の「節分」は日本に古くから伝わる大切な行事です。
節分には、豆まきをしたり恵方巻きを食べる風習があります。

恵方巻は、大正時代に大阪の商人や花街で発祥した風習に由来するといわれています。
当時は、節分の時期においしく漬けあがったお新香を海苔巻きにし、商売繁盛を願って食べるというもので、景気づけの意味あいが強かったようです。
やがて、それを大阪の海苔や寿司業界が関西地方に広め、メディアやコンビニなどの流通業界の影響もあり、現在は全国的な広がりをみせています。
恵方巻は、その年の恵方(今年の恵方は東北東)を向いて丸かじりすると、願い事が叶ったり幸運に恵まれ、無病息災や商売繁盛をもたらすとされています。
さらに、縁起よく七福神にちなんで7種類の具を入れ、福を巻き込んだ太巻きを食べると良いとされ、福を逃さぬよう包丁で切ったり、途中で喋ったりしてはいけません。
また、太巻きを鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて、鬼退治ととらえる説もあります。

節分に欠かせないものがまだあります。
鬼は、鰯(いわし)の生臭い臭いと、柊(ひいらぎ)の痛いトゲが大の苦手なのです。
そこで、鰯の頭を焼いて臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、それを玄関先にとりつけて、鬼が入ってこないようにする風習があります。
これを「焼嗅(やいかがし)」「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」などと呼びますが、昔から臭いの強いもの、トゲのあるものは魔除けや厄除け効果があるとされています。
今では玄関先で見かけることも少なくなりましたが、節分のディスプレイには欠かせませんね。

明日は立春、5月並みの暖気が流入。  法華坊主 joe

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福を呼び込むための行事

2019年 02月2日 - 日常

節分の豆まきは、災いをもたらす鬼を追い払い、新年に福を呼び込むための行事です。

大豆は五穀のひとつで穀霊が宿るとされており、米に次いで神事に用いられてきました。
大豆は米よりも大粒でまいた時の音も大きいため、鬼(邪気)を払う力も大きいと考えられたのです。
そして、魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じることから、節分に豆まきをするようになりました。
豆まきに用いる大豆は、必ず炒り豆でなくてはいけません。
これは、拾い忘れた大豆から芽が出てしまうと縁起が悪いためで、「炒る」が「射る」にも通じます。
つまり、「魔目」を「射る」ことで「魔滅」となるわけで、炒った大豆を「福豆」といいます。

窓を開けて「鬼は外!」と外へ向かってまき、鬼が戻らないようすぐに窓を閉めてから、「福は内!」と室内にまきます。
奥の部屋から順番に、最後は玄関までまいて、家中の鬼を追い出すのが良さそうです。
豆まきがすんだら、1年間無事にすごせるよう願いながら、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べましょう(新しい年の分として1つ多く食べる、いわゆる 数え年として1つ多く食べる、もともとが数え年と考え新年の分を加えて2つ多く食べる、満年齢のまま食べるなど、地方によって異なる場合もあります)。
これを「年とり豆」といい、豆を食べることで新年の力をもらい、邪気を祓って福を呼ぶとされています。
明日の夜は、家族そろって大きな声で「鬼は外!、福は内!」。

元幕内貴ノ岩が断髪式、元日馬富士もハサミ。  法華坊主 joe

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追儺=邪気を追い払う行事

2019年 02月1日 - 日常

今日から2月(如月)です。
今月は、2日が初午(はつうま)、3日が節分(せつぶん)、4日が立春(りっしゅん)、11日が建国記念の日です。

節分に豆まきをしたり恵方巻を食べる方はとても多く、数ある年中行事の中でも人気が高く、お正月やクリスマスについで堂々3位の人気行事です。
本来、節分は季節の分かれ目である「立春・立夏・立秋・立冬の前日」のことをいい、年に4回ありますが、これが室町時代あたりから立春の前日だけをさすようになりました。
なぜなら、春を迎えることが新しい年を迎えることでもあったため、最も重要だったからです。
昔は、季節の分かれ目には邪気が入りやすいと考えられていました。
中でも重要なのは、年の分かれ目です。
旧暦では新年が春から始まったため、立春の前日の節分は、大晦日に相当する大切な節目だったのです。
古代中国では、大晦日に追儺(ついな)という邪気祓いの行事がありました。
これは、桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事です。
これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代に宮中行事として取り入れられました。
その行事のひとつ豆打ちの名残が豆まきで、江戸時代に庶民の間に広がりました。豆を“打つ”から“まく”に変わったのは、農民の豊作を願う気持ちを反映し、畑に豆をまくしぐさを表しているからです。
こうして、新年を幸多き年にするために、災いをもたらす鬼を追い払う節分行事が定着していきました。
今年はちょうど日曜日に当たりますから、家族そろって節分を行ってはいかがですか?

新井浩文、女性に性的乱暴で逮捕。  法華坊主 joe

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廃墟絵画の歴史をたどる。

2019年 01月31日 - 日常

平成最後のお正月=1月も今日で終わりです。

今日で閉幕する「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展を観に東京都渋谷区にある松涛美術館へ出かけてきました。

栄華や文明の痕跡を残しながら崩れ落ちようとする建造物や遺跡。
「廃墟」は西洋美術のなかで、風景画の一角にくりかえし描かれていました。
18世紀から19世紀にかけて、興味深いことにいわゆる廃墟趣味が流行すると、「廃墟」は絵画の主役の地位を確立していったようです。
「廃墟」を愛でること、描くこと-この美学は、近代に日本の美術のなかにも伝播しました。
なぜ人々は、流れる時間のなかで滅びた、またはいつか滅びてしまう、遠い昔のあるいは遠い未来の光景に、惹きつけられるのでしょう。
この展覧会では、西洋古典から現代日本までの廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、これら「廃墟の美術史」をたどる企画展でした。
廃墟と言っても、遺跡から架空の廃墟まで様々な作品の展示がありました。
遺跡や廃墟はそれ自体も心惹かれる存在ですが、特に地下の展示は想像力豊かで面白い内容だったと思います。
廃墟の絵画の歴史も分かるし、廃墟好き必見の展示でした。
還暦が過ぎ人生の廃墟化が進む私の、鑑賞ナビを担当してくれた女史は同い年でしたが、なぜか輝いていました。(笑)

インフル患者数最悪 福島県内、今冬最多5245人。  法華坊主 joe

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冬は冬で楽しいかも♪

2019年 01月29日 - 日常

春待ち遠しいですが、厳しい寒さがい続いています。
みなさん、冬はお好きですか? 私は苦手です!
寒~い冬が苦手な私を、「冬は冬で楽しいかも♪」なんて思わせてくれている冬の名曲は何でしょう。

いま話題の嵐「WISH」はいかがですか?
メンバーの松潤が出演した、大人気ドラマ「花より男子」の主題歌。
恋人と手をつないで街を歩きたくなる曲です。
デート中にケンカしちゃっても、この曲が流れてきたらすぐに仲直りできそうな、カワイイ冬のラブソング♪ と思いませんか。

SMAPの大ヒットシングル「夜空ノムコウ」。
教科書にも載ったことがある名曲です。
特にSMAPのファンでなくても、この曲がすきなひとはたくさんいるのではないでしょうか。
メロディーと歌詞が見事にマッチし、楽曲とSMAPが見事にマッチした名曲だと思います!
切なさと懐かしさ、そして心をあったかくしてくれるメロディー。
「あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…」
「悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…」
「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…」
「このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…」
誰もが1度はするような自分に対する問いかけ。
「夜空のむこうには もう明日が待っている」
悩み立ち止まりながらも1歩ずつ前へ進もう、そんなふうに背中をそっと押してくれる歌詞も素敵ですよね。
寒い冬に、心をじんわりとあったかくしてくれる名曲と思いませんか。
ちなみに、法華坊主が選ぶ隠れベストワンは、浜田省吾「悲しみは雪のように 」です。

細野豪志氏、無所属のまま自民党二階派に加入へ。  法華坊主 joe







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もうすぐ春なんだ!

2019年 01月28日 - 日常

1970年代のフォーク/ニューミュージックブームの牽引役となったグループのひとつに「ふきのとう」がいます。メンバーのひとり細坪基佳は、NSPの中村貴之、平賀和人らとスリーハンサムズを結成して活動しています。今日はその「ふきのとう」ではなく植物のフキノトウについて記してみます。

雪解けの土の中から顔をのぞかせるフキノトウ。まだ気温も低く、冬の寒さも感じられる気候の中、雪の間から顔を出しているフキノトウの芽を見つけると、宝物を発見したかのような誇らしい気持ちになります。春の訪れを真っ先に感じて顔を出したフキノトウは、とてもかわいい見た目をしていますよね。それだけでなく、食材としても楽しめるのも魅力的です。
フキノトウを見かけると、「もうすぐ春なんだ」と、新しい季節の予感で胸がいっぱいになります。最近では技術開発のおかげでスーパーでもよく見かけるようになりました。
フキノトウは、日本原産の山菜の一つで、キク科フキ属の多年草です。全国の水が豊富で風があまり強くない土地を好んで繁殖しています。たとえば、山では沢や傾斜になっているところ、河川の中州や川岸、土手、用水路の周辺などで多く見つけることができるでしょう。
フキノトウはつぼみの部分にあたり、この花が咲いた後には地下茎から伸びる葉のフキが出てきます。
ミネラルや食物繊維が豊富で、香りと苦味が特徴的です。天ぷらやおひたしにして食べたり、味噌と一緒に混ぜて「フキノトウ味噌」を作り、ご飯のお供として食べる習慣があります。

アジア杯、イランに3-0で快勝。  法華坊主 joe

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日の丸、君が代とは?

2019年 01月27日 - 日常

昨日のテニス全豪OPでも「日の丸」を振って応援していましたが、今日(1月27日)が「国旗制定記念日」って知ってましたか。
明治27年(1894年)1月27日、太政官布告の商船規則によって「日の丸」が国旗として制定され、これを記念して一般社団法人「国旗教会」が定めました。
日の丸模様は源平の頃に流行して、家紋や馬印や扇に用いられています。島津斉彬は新造船の旗印として白帆に日の丸を描かせ、対外的に初めて日の丸を用い、後にこれが「白地日之幟」日本惣船印として定められました。

さらに平成11年(1999年)8月9日には、「国旗及び国歌に関する法律」が成立し、日本国政府が公式に、日本国の国旗は「日章旗」( 日の丸)であり、国歌は「君が代」であると指定しています。

国際競技大会やオリンピックの表彰式・のFIFAワールドカップ試合前などで、国旗掲揚・国歌斉唱が厳粛に行われています。
もちろん今日千秋楽を迎えた大相撲でモンゴル出身力士が優勝しても君が代が斉唱されました。
教育現場においてもいまだに解決されない国旗国歌問題があり、係争中のものもあるのも事実です。
私は、思想的にではなく一国民として国旗を掲揚することに違和感はなく、今は珍しくなりましたが祝日には「日の丸」を玄関に掲げています。
皆さんは、国旗(日の丸)・国歌(君が代)についてどのようにお考えですか?

嵐が2020で活動休止、5人で記者会見。  法華坊主 joe

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切蒲英? 何と読む。

2019年 01月26日 - 日常

昨日に続いて秋田の話題です。秋田の名産といえば「きりたんぽ」。皆さんも一度は召し上がったことがあるでしょう。

「きりたんぽ」は秋田名物として全国に知られていますが、その中でも本場といえるのは大館市だそうです。
そもそも「きりたんぽ」の発祥の地は、大館・北鹿地方で、その昔、きこり達が山作業の折に残り飯を長い棒に巻き付けて、味噌をつけて焼いて食べたのが始まりだという説もあれば、マタギ(猟師)が、食べ残したご飯を、山鳥などの鍋に入れて食べたのが始まりだという説もあるとか。
「きりたんぽ」の「たんぽ」とは槍の刃の部分のカバーのことだそうで、棒に巻きつけた形がそれに似ていることから「たんぽ」と呼ばれ、「きりたんぽ」は鍋に入れる際、切って入れることから「切りたんぽ」「きりたんぽ」と称されるようになったといわれています。
漢字では「切蒲英」と書きますが、読めないですよね。
炊き立ての米をついてつぶし、太い杉の串に竹輪のように練りつけて焼いた物のことです。
単純に田舎風に味噌を塗って食べたり、「比内鳥(ひないどり)」の地鶏スープを醤油味にして出汁を取り鶏肉や野菜をともに煮て「きりたんぽ鍋」として食べるのが主流のようです。
「きり」はやはり切ることだそうで、切る前の段階でのきりたんぽのことはただ「たんぽ」というそうですが勘違いしている人が多いようです。
秋田では、秋から冬にかけて「きりたんぽ鍋」を前にして、大の大人が口角泡をとばして地域や我が家のきりたんぽ鍋自慢をする光景をあちこちで見かけることがあるそうです。これぞ秋田県民が「きりたんぽ鍋」を愛し、味や作り方にこだわっている証で、やはり秋田の代表的な郷土料理なのでしょう。

大坂なおみ、全豪OP優勝、世界ランク1位。  法華坊主 joe

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日本海側の冬の厳しさを体験

2019年 01月25日 - 日常

ブログ公開を休んでいた21日から秋田市に出かけていました。もちろん太平洋側の福島より積雪量も多く、日本海側の冬の厳しさを体験しました。

秋田の名産品のひとつに「稲庭うどん」があります。
秋田県湯沢市稲庭町で江戸時代から作られている乾めんで、県稲庭うどん協同組合によると、讃岐うどんやきしめんと並び「日本三銘うどん」と称されるそうです。全工程手作業が基本で、原料は小麦粉・水・・塩のみ、高級贈答品として人気があります。
手軽に食べられて、つるつるっとのど越しのよいうどんは、日本のソウルフード。いまや全国各地にご当地うどんがあって、生麺や乾麺、細長いものから極太までタイプもいろいろあります。でも、あらためて「日本三大うどんって何?」といわれて、みなさんパッと思い浮かびますか?
調べてみると「三大うどん」には諸説あり、香川県の「讃岐うどん」、秋田県の「稲庭うどん」に加え、残りのひとつは、長崎県の「五島うどん」と群馬県の「水沢うどん」が有力候補。ここに富山県の「氷見(ひみ)うどん」が入って五大うどんと呼ばれるようです。

秋田県の稲庭うどんは、練る・綯(な)う(=より合わせること)・延ばす・かけるの工程を経て熟成を重ねていく、独特の「手延べ」製法で作られるそうです。その歴史は古く、江戸時代から殿様に献上されており、昭和47年に<佐藤養助>がその製造技術や粉の配合を家人以外に公開するまでは、一般には食されることがなかったというから驚きです。
なめらかな口当たりのあと、スッと喉を通り抜ける爽快なのど越しは、はっと目を見開く美味しさです!
日本全国をうどんで旅してみるのもいいかもしれませんね。

今季最強寒波、高速道や新幹線にも影響?  法華坊主 joe

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