日常

救荒作物として植えられてきた栗

2018年 09月26日 - 日常

ご信者さんから「栗=クリ」をいただきました。
「栗」は秋の味覚の代表格で、洋菓子店や和菓子店にさまざまな栗のお菓子が並び、甘党にはわくわくする季節です。
栗ごはんや渋皮煮なども、ぜひ味わいたい秋の味覚です。
栗と日本人のつながりは古く、縄文時代にまでさかのぼります。
青森県青森市にある三内丸山遺跡(約5,500年前~4,000年前)の発掘で、原始的な狩猟生活をしていたと考えられていた縄文時代の人々は、実は集落をつくって暮らし、その周りに栗やクルミの木の林を作って、その実を主食にしていたことがわかりました。
福井県三方町の鳥浜貝塚(約12,000年前~5,000年前)でも、栗の木が整然と植えられていた跡が発見されています。
栗は大事な食料であり、縄文時代から栽培されていたのです。
弥生時代以降、雑穀の栽培や稲作が始まっても、栗は飢饉などに備える救荒作物として植えられてきました。
また、栗の実を干し、臼でついて殻と渋皮を取り除いたものを「搗ち栗(かちぐり)」といい、保存食として用いられてきました。
臼でつくことを「搗つ」といい、それが「勝つ」に通じることから「勝ち栗」とされ、勝利を祈願する縁起物として戦国武将が戦の前に食べたといわれます。

栗といったら「栗ごはん」、栗をむくのに手間がかかりますが、炊きあがった時のおいしさはひとしおです。
秋の味覚は、栗ばかりでなくたくさんありますから、食欲の秋をエンジョイしてください。

大谷翔平、右肘手術へ!来季は投手絶望。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

出張先、ホテルから観月

2018年 09月25日 - 日常

昨夜は、出張先の東京で「十五夜」の名月を観ることができました。
芳しくないお天気で諦めていたお月見でしたが、都会のホテルの窓から見えるお月様はひと味違った感動を得ることができました。

昔から「十五夜、十三夜、十日夜が晴れてお月見ができると縁起が良い」という話を皆さんはご存知でしたか。
「十三夜」とは、旧暦9月13日のお月見のことで、旧暦8月15日の十五夜のあとに巡ってくる十三夜をさしています。
今年の十三夜は、10月21日(日)です。
十三夜は十五夜に次いで美しい月だといわれており、昔からとても大事にしてきました。
どちらか一方しか月見をしないことを「片見月」「片月見」といい、縁起が悪いとされています。
十日夜(とおかんや)」とは、旧暦10月10日に行われていた収穫祭のことをさします。
今年の十日夜は、11月17日(土)です。
ただ、十日夜は、稲刈りを終え田の神様を見送る行事でお月見がメインではないため、月齢に関係なく新暦の11月10日に実施する地方もあります。
十五夜、十三夜、十日夜は、風情を楽しむだけではなく、収穫と密接な関わりがあります。
古来より月と太陽は陰と陽の象徴であり、月は「お陰さま」の心に通じると考えられてきました。
収穫物は生きる糧ですから、支えてくださる物事や力添えに対し、お月見をしながら感謝をするのも道理といえるでしょう。
昨日の十五夜を観られなかった人は、十三夜、十日夜を楽しみにお待ちください。

貴乃花親方、退職届を協会に提出。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

お月見で、心豊かで幸せな時を!

2018年 09月24日 - 日常

今夜は、十五夜です。
かつての日本人は、月の満ち欠けで月日を知り、農作業の目安としていたため、月への畏敬の念は相当なものだったようです。
今夜の雲行きが心配ですが、十五夜がいいお天気でありますように。
お月見には、月見だんごが供えられます。
穀物の収穫に感謝し、米を粉にして、月に見たてて丸めて作ったのが月見だんごのはじまりです。
と同じく丸いだんごをお供えし、それを食べることで、健康と幸せが得られるとされています。
また十五夜は、別名「芋名月(いもめいげつ)」といい、里芋などの芋類の収穫を祝う行事でもあります。
秋の初物で作る「きぬかつぎ」は、十五夜には欠かせないお供え物です。
十五夜の夜だけは、子どもたちはよその家のお供えものを盗って食べてもよいとされていました。
盗まれた家は、「月の神様が食べてくれた」「よいことがある」ということで歓迎していたそうです。

またススキは、月の神様の依り代です。
本来は稲穂を依り代にしたいのですが、時期的に稲穂がなかったため、稲穂に似たススキを供えるようになったといわれています。
さらに、秋の七草や秋桜など、季節の草花で彩りましょう。
庭に咲いている野草もフル活用して楽しみましょう。
美しい月を眺めながら、月見の宴で月見酒。
月やお供えものを眺めながら食事や晩酌をして、デザートに月見だんごを頬張れば、我が家の夕食が月見の宴に!
お月見は、風雅なうえに感謝と祈りに満ちているので、できることを取り入れて、心豊かで幸せな時をお過ごしください。

「半分、青い。」も最終週。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日

2018年 09月23日 - 日常

今日は「秋分の日」=秋彼岸のお中日です。
24節気のひとつ「秋分」は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に日の出が遅く、日の入りが早くなり、本を読みふけったり、趣味に没頭したりできる「秋の夜長」になっていきます。
「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日」として国民の祝日でもあります。
秋分の日の前後3日間、合計7日間は秋の彼岸(秋彼岸)といい、先祖の墓参りをする習慣があります。
一般に仏教では、あの世は西に、この世は東にあるとされ、太陽が真東から昇って、真西に沈む春分の日と秋分の日は、あの世とこの世が最も通じやすい日と考えられ、春と秋の彼岸にお墓参りをするようになったのです。
他の仏教国では彼岸にお墓参りをする風習はなく、日本独特のものです。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、春分の日を境に寒さが和らぎ、秋分の日を境に暑さも和らぐということを表した言葉です。
彼岸は春の種まき、秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、大切な行事となりました。

今日はまさに秋日和、「天高く馬肥ゆる秋」を画に描いたように、真っ青な秋空に真っ赤な彼岸花が映えていました。
彼岸花は、まるで彼岸に合わせたかのように、秋分のころに咲くことから名づけられましたが、別名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といい、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味します。
1日に10㎝以上も伸び、花のある時期には葉がないのが特徴です。
球根には毒がありますが、昔は水にさらして毒を抜き、万一の時の非常食にもなったそうです。
秋のお彼岸は、明日から後半の3日間が残っていますから、更なる仏道修行にご精進ください。

大坂も、桃田も、負けちゃいました!  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

月は、風雅の対象&信仰の対象

2018年 09月22日 - 日常

明日は「彼岸のお中日」、明後日は「お月見=十五夜」です。
お月見といえば「十五夜」の「満月」を思い浮かべますが、十五夜とは本来は満月のことですから、年に12回または13回めぐってきます
中でも旧暦の8月は一年の中で最も空が澄みわたり月が明るく美しいとされていたため、平安時代から観月の宴が開催され、江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになりました。
十五夜を「ちゅうしゅうのめいげつ」といいますが、「仲秋の名月」と書いても「中秋の名月」と書いても正解、漢字によって意味が違うのです。
「仲秋の名月」・・・旧暦の秋は7月・8月・9月で、7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といいました。
つまり仲秋とは8月の別称で、仲秋の名月=8月の名月という意味になります。
「中秋の名月」・・・秋のちょうど真ん中の日を中秋といい、8月15日が中秋にあたります。
そのため、中秋の名月=8月15日の名月という意味になり、十五夜のときは中秋の名月と書く場合が多いのです。

お月見にお供えものをするようになったのは、月が風雅の対象だけでなく、信仰の対象でもあったからです。
お月見は収穫に感謝するお祭りですから、収穫物(米粉でつくったダンゴ、里芋やさつまいも等々)をお月様にお供えするようになりました。
収穫を祝うお供え物はどれも旬の食材ばかり、供えた後はおいしくいただいてかまいません。
供えたものを下げていただくことで、神様との結びつきが強くなると考えられています。
現在では、十五夜を楽しむ風習は薄れているかもしれませんし、昔の日本人と現代の日本人の生活様式は異なるため仕方がないことです。
どれだけ時代が変わっても月の美しさだけは変わりません。
今年のお月見は三連休の最終日、今からお供え物を用意をして、お月様への感謝と収穫の喜びを体感し、名月の美しさを感じてはいかがでしょうか。

大坂なおみ、お団子ヘアーで負けなし。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

民主化闘争を描く衝撃の実話

2018年 09月20日 - 日常

昨日(19日)は朝鮮南北首脳による合意文書「平壌共同宣言」が発表されました。
ちょうどその頃、私は「1987、ある闘いの真実」を観ていました。

1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。
徹底的に北分子を排除したい南営洞警察のパク所長が指揮する取り調べは、日に日に激化していました。
そんな中、ソウル大学の学生が行き過ぎた取り調べ中に死亡します。
隠蔽のために警察は親にも遺体を見せず火葬を申請しますが、何かおかしいと感じたチェ検事は検死解剖を命じます。
解剖により学生は拷問致死であったことが判明しますが、政府は取り調べをした刑事二人を逮捕することで事件を終わらせようと画策します。
これに気付いた新聞記者、刑務所看守らは、事実を白日のもとにさらそうと奔走しますが、警察による妨害もエスカレートしていきます。
また、拷問で仲間を失った大学生たちも立ち上がろうとしていました。
一人の大学生の死から始まった、韓国全土を巻き込む民主化闘争を描く衝撃の実話です。
映画に詳しい知人によると、「光州事件を扱った映画、『タクシー運転手』の後に見ると、時系列で〈その後〉を追うことができる。」そうです。
日本はバブルの真っただ中、経済の拡大に浮かれていた1987年。
全斗煥政権の強圧的な政治に国民の不満が募る中、身柄を拘束されていた大学生の死に、拷問を疑った検事、記者、そして悲しみに暮れる親族と彼らを取り巻く学生たちが、互いを信じ、行動を積み重ねていきます。
権力による抑圧と暴力の記憶に委縮する人々が、無言で、しかし自分の立場ででき得る限りの抵抗を試み、その抵抗は次第に公道へ、広場へと導かれ、政権打倒へのうねりを打っていく映像は、「現代史」に属するほんの30年前の出来事に、正面から向かい合う隣国の人々、その〈熱さ〉を感じる作品でした。

自民党総裁選、安倍首相、石破氏を破り3選。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

お年寄りを敬い、長寿を祝う

2018年 09月17日 - 日常

今日は「敬老の日」、長年社会のために働いてきたお年寄りを敬い、長寿を祝う国民の祝日です。
敬老の日といえば、9月15日を思い浮かべる方も多いはず。
1951年、全国社会福祉協議会により「としよりの日」が制定されたのが始まりで、老人福祉法の制定に伴って「老人の日」と改称され、1966年に9月15日が「敬老の日」として国民の祝日になり、親しまれてきたからです。
その後、祝日法改正(いわゆるハッピーマンデー法)によって、2003年から「敬老の日」が9月の第3月曜日に変更され、老人福祉法の改定によって9月15日は「老人の日」、9月15日~21日は「老人週間」となりました。
9月15日の由来は、593年に聖徳太子が身寄りのない老人や病人のための救護施設「悲田院」を設けた日といわれていますが、諸説あります。
老人の捉え方は人によって様々です。
心身共に若々しく老人と呼ぶのは憚られる方もたくさんいます。
よく「もう〇〇が受けられる年齢だから」などと言いますが、一般的には何歳からが老人なのでしょうか?
身近な例では、映画のシニア割引が60歳以上、東京都のバスや地下鉄に適用されるシルバーパスは70歳以上、JR各社では50歳ぐらいから各種割引があります。

我が家にも大正生まれの老人(師匠)がいますが、酷暑の今夏を無事乗り切って、気儘にではありますが毎日元気でいてくれることが有り難いです。

希林さん 最期は自宅で家族に看取られて。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

秋の味覚を存分に・・・。

2018年 09月15日 - 日常

二週続きの三連休、初日の今日(15日)は、秋雨前線の影響で午前中は雨、午後から曇り空になりましたが、朝晩と日中の寒暖差が大きくなるため、体調管理にも気を付けなければなりません。
でも「食欲の秋」ですから、おいしいものは見逃せませんよね。
我が家でも初物のマツタケを少々いただきました。

何を食べてもおいしく感じてしまう秋。
ダイエットのことはちょっとおいておき、秋ならではの味覚も存分に楽しみたいものです。
独身女性を対象にした「秋の味覚」についてのある調査によると、
第1位 「サンマ」
第2位 「栗」
第3位 「さつまいも」
第4位 「梨」
第5位 「かぼちゃ」
第6位 「ぶどう」
第7位 「柿」
第8位 「イチジク」
第9位 「秋鮭」
第10位 「マツタケ」
だそうです。
どれもおいしい秋の味覚、いずれかを選ぶというのは難しいですよね。
この時期にしか食べられない秋の味覚は、栄養価もぐっと高まっているそうです。
どうせ食べるならおいしくて体にもいいものを選んで、今しかない秋の味覚を存分に楽しんでくださいね。

明日引退のアムロ、ベスト盤は230万枚=最後まで記録ずくめ。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

栗は秋の味覚の代表格

2018年 09月13日 - 日常

昨日訪れた秋田県鹿角市の「大湯環状列石」の脇に、大きな栗の木がありました。
「栗」は秋の味覚の代表格です。
洋菓子店や和菓子店にさまざまな栗のお菓子が並び、甘党にはわくわくする季節です。
栗ごはんや渋皮煮なども、ぜひ味わいたい秋の味覚です。
栗と日本人のつながりは古く、縄文時代にまでさかのぼります。
青森県青森市にある三内丸山遺跡(約5,500年前~4,000年前)の発掘で、原始的な狩猟生活をしていたと考えられていた縄文時代の人々は、実は集落をつくって暮らし、その周りに栗やクルミの木の林を作って、その実を主食にしていたことがわかりました。
栗は大事な食料であり、縄文時代から栽培されていたのです。
弥生時代以降、雑穀の栽培や稲作が始まっても、栗は飢饉などに備える救荒作物として植えられてきました。
また、栗の実を干し、臼でついて殻と渋皮を取り除いたものを「搗ち栗(かちぐり)」といい、保存食として用いられてきました。
臼でつくことを「搗つ」といい、それが「勝つ」に通じることから「勝ち栗」とされ、勝利を祈願する縁起物として戦国武将が戦の前に食べたといわれます。

ちなみに、大湯環状列石は三内丸山遺跡などと共に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、平成30年度の世界文化遺産推薦候補に選定されたそうです。

全米王者・大坂なおみ、凱旋。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

田の実りをお供えし豊作祈願

2018年 09月10日 - 日常

今日9月10日は、旧暦の8月1日です。
旧暦8月1日は「八月朔日(はちがつついたち)」を略して「八朔(はっさく)」といいます。
この時期に田んぼでは早稲(わせ)の穂が実ることから、本格的な収穫を前に「豊作祈願」と「田の実りをお供えする」という意味を込めて、西日本を中心に各地で様々な行事が行われていました。
「八朔節供」「田の実の節供」などといい、現在でも八朔にまつわる風習が残っています。
西日本ではこの「穂出し」を祈願する行事を「たのむ」「たのみの祝い」「たのもの節供」などといい、九州北部では、七夕の笹のようなものを立てて田の畔で作頼みをする風習があります。
また、八朔に「穂掛け」という、早稲の穂を採ってきて焼米を作るなどの刈り初めの行事を行うところもあります。
四国や中国地方には、「八朔の馬節供」と称して、馬や鶴亀などの形の米粉の細工を作って親戚や近所の家に贈る風習があります。
そして、それを初めて生まれた子どものお祝いとして飾り、上巳の節供や端午の節供のように「八朔の節供」として祝うところもありました。
香川県丸亀地方には今も「八朔だんご馬」の風習が残っており、八朔に地元で採れた米の粉で、前肢高く上げた、いななく駿馬を作り、男児のいる家に贈り、飾る風習があります。
江戸幕府では、天正18年(1590年)のこの日に徳川家康が江戸入りしたことにちなみ、「八朔」を正月元日に次ぐ重要な日としており、「八朔御祝儀」といい、大名・旗本が白帷子姿で総出仕する日となっていました。
また、花街でも八朔に挨拶まわりをする風習がありました。
今でも、京都の芸舞妓は8月1日(現在は新暦8月1日)に正装姿で芸事の師匠や茶屋をまわっています。

ちなみに柑橘系のハッサクも漢字では「八朔」と書きます。
一説には、万延元年(1860年)頃、瀬戸内海の因島の恵日山浄土寺境内に毎年実をつける蜜柑の老木があり、住職の恵徳上人が食べたところ大変美味で、早いものは八朔(旧暦8月1日)の頃に味がのって食べられたところから「八朔」と命名したと言われてます。

自民党総裁選、安倍首相と石破氏の論戦始まる  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント