縁起タイトル

立正院は、山号を「經王山(きょうおうざん)」、寺号を「立正院(りっしょういん)」と称し、日蓮大聖人の正しい教えを弘める法華宗(ほっけしゅう)のお寺です。

立正院の開基は、立照院日透(矢吹要康)上人で、日透上人は昭和の初めに上州赤城山中の日蓮三宝堂に参籠して百日荒行を体験されました。その荒行結願成満の未明『此の地より丑寅(北東)の地に法華本門の道場を建立して正法法華の布教に専念せよ』との仏勅の霊示を感得し、現在地に一宇を結ばれました。これが現在の立正院のはじまりです。

日透上人は、本化の大法をその師、大本山光長寺第61世・権大僧正山田日要聖人について徒弟となり、昭和6年に当所に「法華道場」を開設しました。

 

昭和8年には子安鬼子母尊神像を奉安して、教線を四方に伸張し、檀信徒もまたよく結集して外護の任に尽力し、昭和14年に法華道場を「松川教会」として設立しました。その後日透上人は、本門の題目広宣流布に東奔西走すること十年一日のごとく修行され、寺運弥々興隆して昭和21年8月に寺号を公称し松川教会を「立正院」と改称されました。

昭和41年5月12日に法寿66歳で日透上人は遷化しました。それに伴いその法燈を受け継いだ矢吹泰英上人は、寺門の運営と教線の拡張に勤加精進し、昭和56年日蓮大聖人第700遠忌を奉讃して、本堂建立を発願しました。檀信徒もこれに応え浄財を寄進して、昭和59年に現在の本堂が再建され落成慶讃大法要を虔修し、伽藍を整えました。

昭和・平成・令和と半世紀以上に亘り、祖道を宣布し、檀信徒の教化を続けた泰英上人も、令和2年8月7日に法寿95歳をもって遷化せられました。その後、現住職・矢吹慈英上人が嗣法として第3世の法燈を継承し、今日に至っています。

当山の鬼子母尊神さまは「境川のきしもじん」と崇められ、その霊験はあらたかにして多くの参詣者が訪れています。現在は、「供養と祈願の寺」として、法華経を信奉する人、日蓮大聖人の教えに従順して生活しようとする人、南無妙法蓮華経の御題目におすがりして諸願成就を願う善男善女の参詣がたえません。