勝ち負けを越えた引き際

2019年 01月17日 - 日常

昨日のブログが、稀勢の里の引退と往生際の話が重なってしまいましたので、読者で誤解をされた方もおられて、ちょっとガッカリです。私は、稀勢の里の相撲人生に喝采をおくり、称賛する一人です。

大相撲初場所4日目の昨日、17年間の土俵生活に別れを告げた横綱・稀勢の里。
記者会見で本人は日本出身横綱の重圧を「いい環境、あの声援の中で相撲を取るということが本当に力士として幸せでした」と答えいましたが、ファン・メディア、そして日本相撲協会・横綱審議委員会も「特別扱い」と批判されるほど復活を待ち続けたのも事実です。それがむしろ大きな重圧だったことは想像に難くないのでしょう。
休場続きの間の心境をこうをも語りました。「このまま潔く引退するか、横綱に上げてもらって、ファンの人たちのために相撲を取るか、いつも稽古場で自問自答していました」。当然、引退すればまた日本出身横綱がいなくなることも強く意識した結果でしょう。
そうした葛藤の連続だった横綱在位は、一瞬だけの光とその後の長い影を引きずったまま、12場所で幕を閉じました。
時代の巡り合わせで、長い間途絶えていた日本出身横綱の任に当たった不器用な青年は、結果的にその任に応え切れなかったのでしょう。

横綱審議委員会からも相撲協会の執行部からも、そしてファンからも、最初は温かく見守られてきた日本出身力士待望の横綱も、さすがに引退まで追い込まれました。なぜ稀勢の里は土俵に上がり続けるのか。綱としての意地か、それとも何かやり残したことがあるからなのか。
ただ、ファンはその姿を見続けてきました。勝ち負けを越えた引き際は、稀勢の里の相撲道を貫いそしてた結果だと信じています。


阪神淡路大震災から24年、6434人の鎮魂を祈る。  法華坊主 joe

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