日本人は春画を知らない。

2019年 10月30日 - 日常

「春画(しゅんが)」と聞くと、皆さんはどのようなイメージをされるでしょうか?
『ブリタニカ国際大百科事典』には
「 人間の性的な交わりを描いた日本の肉筆画、版画、判本などの総称。枕絵、笑絵などともいう。起源は平安時代でさかのぼり、中国から伝わった医学書である房中書の図解に見られる。その後、日本の春画は独自の発展をするが、早い時期は貴族、僧侶、武家など身分の高い人々の間で享受されていた。その頃は肉筆が中心で、一点ものなので高価だったが、江戸時代になると木版技術の発達により、浮世絵版画の春画が廉価で数多く流通し、庶民層へと一気に広がった。描いた絵師も鈴木春信、鳥居清永、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川国貞など著名な浮世絵師はみな、春画を手がけていた。春画は単に好色な男性のためのものではなく、多くの老若男女が愛好した。その根底には「男女和合」の精神があり,性をおおらかに肯定する気分が横溢している。江戸時代の享保の改革・寛政の改革・店舗の改革の三大改革の時に春画は禁制になるが、そのつど地下にもぐり制作が続けられた。非合法の出版物なので、かえって贅沢な画材を使い、彫摺も超絶技巧を駆使した豪華なものができた。明治以降は政府により猥褻物として徹底的に取り締まられ、研究や学問の世界からも締め出された。しかし、21世紀になってからロンドンの大英博物館や東京の美術館で特別展が開催され、大きな反響を呼んだ。本格的な文化・美術の一分野として正当に評価されつつある。」
と解説しています。

国内初の大規模な春画展が2015年に東京・永青文庫で開催されたのを覚えているでしょうか? 
最終的に動員数は20万人を超える人気展覧会となりました。
その春画展の内幕と、日本社会の奇妙なゆがみを描くドキュメンタリー映画「春画と日本人」を先日、東京で観てきました。
副題には、「日本人は春画を知らない。世界が先に動いた。あの春画展から4年。驚きの内幕を描くドキュメンタリー」と記されています。
2015年9月に小さな私立博物館「永青文庫」で開幕した春画展。
それまで年間2万人の来館者だった永青文庫に、3ヶ月の会期中に21万人が押し寄せました。
また、女性来館者55%、5人に1人が図録を購入するという異例の記録を達成。
国内外の貴重作120点が一堂に会するはじめての試みとなる展覧会で、開催までの道のりは平坦ではなかったそうです。
開催場所の選定では、国内の公私立博物館20館あまりに開催の打診が断られ、摩訶不思議な逆風が吹きました。
海外で美術品として高く評価されている春画の展示が、なぜ日本ではすんなりと展示できないのか?本物の展示にかける人々が直面した知られざる苦労から、「春画」を世間から隠そうとする日本社会の忖度構造が浮かび上がります。
開催までの道のりは困難を極めました。
当初は、ロンドンの大英博物館で成功を収めた「春画展」の日本巡回展として企画されましたが、東京国立博物館をはじめ国内の公私立博物館20館へ打診しても不調に終わりました。
海外で美術品として高く評価されている春画の展示が、なぜお膝元の日本ではすんなりと成立せず、小規模な私立博物館での開催となったのか。
なぜ21万人もの熱狂的な観覧者が訪れたのか。
映画は、展覧会を成功に導いた人々とともに「春画と日本人」をめぐる謎に迫っていきます。
必見の価値ある文化記録映画でした。

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