日本の電気学の祖。

2020年 08月2日 - 日常

今日は「土用の二の丑」です。
「土用の丑の日には何故うなぎを食べる」のか、諸説ある中でも、江戸時代の学者・平賀源内(ひらがげんない)が、鰻屋に頼まれて作った宣伝コピー、という説が特に有名です。
お正月の初詣で目にする縁起物の破魔矢を考案したのも、才能・行動・発想・全てが型破りな平賀源内であるとされ、約100もの発明品を残しました。

土用丑の日】タイムリーパー源内 / 平賀源内は「うなぎの支配する未来 ...

平賀源内の科学的業績といえば、やはりこれをはずすわけにはいきません。もちろん、かの有名なエレキテル(摩擦起電器)です。
安永5年(1776年)、源内は破損していたエレキテルを修理して復元することに成功しました
エレキテルの復元に成功した3年後、源内はふとした勘違いから人を殺傷してしまい投獄され、その年の暮れに獄中で病死し、51年の生涯を閉じました
『解体新書』を翻訳した親友の杉田玄白(すぎたげんぱく)は、源内の死を惜しみ、墓碑に「ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常なり、何ぞ非常に死するや」と記しています。
訳すると、「あなたは常識から外れた人、常識から外れたものを好み、常識とは違うことをする。しかし、死ぬときぐらいは普通に死んで欲しかった」ということでしょうか。
土用の丑の日にうなぎを食べる考案者である平賀源内は、10数台のエレキテルを職人に作らせており、それが日本の電気学をスタートさせるきっかけになったのです。

 

福島県、平年より1週間以上遅く梅雨明け。  法華坊主 joe

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