郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら。

2021年 08月21日 - 日常

普段まったく気にしていませんでしたが、朝刊を見て今日(21日)が「福島県民の日」であることに気づきました。

福島県地図イラストのフリー素材|イラストイメージ
あらためて福島県のHPを探ってみたら、
「明治9年8月21日に、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併して、現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことから、郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごうと、平成9年に制定しました。」と載っています。

県名の由来は、
〇「福島県史」「図説福島市史」よると、
明治9年に、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生しました。
「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取ったものですが、文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清によって、福島城として使われたのが初めてだといわれています。

〇「ふるさと再発見20」よると、
福島の中心街一帯はかつて信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれた地域にあたり、目の前に阿武隈川をのぞんだ土地。
ここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が杉目城(大仏城=だいぶつじょう)を築き、福島が町になる転機をつくった。
伊達氏はこのあと、独眼竜政宗の時代に、中通りと会津の全域を支配するまでに育ったものの、天正18年(1590年)天下を握った豊臣秀吉に追われ、さらに北方の土地へと移っていく。
新しく中通りと会津の支配者となったのは秀吉の信任厚い蒲生氏郷(がもううじさと)である。
氏郷は会津黒川城を本拠とし、伊達盆地の杉目城をその支城としていたが、城の名を縁起のいいものにするため、黒川を若松に、杉目を福島にしたと伝えられている。
福島の名は福にあやかったもののようである。

〇さらに、伝説集「信夫伊達風土記」よると、
信夫(しのぶ)郡は、むかし見渡す限りの湖で真ん中に信夫山(しのぶやま)があった。
この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。
その後、長い歳月を経て、湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれた。
吹島は風が吹きつけることをきらって、吹を福とし、福島と呼ぶようになった。

と記されています。
我が郷土「福島」について、再認識する機会を得ました。

 

明日、立正院「うら盆施餓鬼会」奉修。  法華坊主 joe

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