供えて、開いて、食べて

2016年 01月12日 - 日常

昨日11日は「成人の日」でもありましたが、「鏡開き」の日でもあります。
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松の内を1月7日までとする地方では11日に、松の内を15日とする地方では15日に鏡開きを行う場合が多いようです。
昔は「二十日正月」といって20日に鏡開きを行っていましたが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったといわれています。
お正月の間、年神様の居場所になっているのが鏡餅。
そのため、年神様がいらっしゃる松の内の間は飾っておき、松の内が過ぎたら下げて食べ、年神様をお送りします。
年神様の依り代(よりしろ)である鏡餅には年神様の魂が宿っているとされるため、鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、1年の家族の無病息災を願います。
つまり、鏡餅は供えて、開いて、食べてこそ意味があるのです。
鏡開きはもともと武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。
そこで、手か木槌などで割ることになりましたが、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになりました。
鏡開きで年神様を見送り、お正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味がありました。
最近は、お供えする鏡餅はパック入りのものが主流となっているため、実際に鏡開きを行う家庭というのは少ないように思います。
しかし、1月11日に鏡餅を食べる習慣というのは変わらず続けて行きたいものですね。

ありがとうございました。  法華坊主 joe

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