「教学」とは・・・

2013年 06月14日 - BLOG巧於難問答

日蓮聖人が、建長5年4月28日に、初めて「南無妙法蓮華経」を唱えてから、750余年がすぎた今日。
日蓮聖人に帰依し、日蓮聖人の教えを護ろうとしている教団は沢山あります。
私は、「なぜ、日蓮聖人の教えは沢山の教団に分かれたのか?」ということをずーっと疑問に感じていました。
もちろん、歴史を紐解けば権力争いや時の社会状況によって分裂した事実もありますが、第一は「教学」の違いでしょう。
つまり、日蓮聖人が説き示された教えをどのように考えるかであります。   いうならば、「教学の相違」

先日の講義で、教授が以下のように言っていました。

教学とは、ひとりひとりの立場と、ひとりひとりの信仰によって、どのように日蓮聖人を理解したのか。その答えが教学としてあらわれる。
門下の立場において、日蓮聖人をどのように位置づけるかを考え、いかに信仰するかがそのすべての根本となっている。

深いコトバではないでしょうか?

教学とは、日蓮聖人に門下のひとりひとりが向き合った結果であるのです。
他の教学を否定することも大切ですが、その前に「なぜ、そうであったか?」という他への理解から始めようと考えました。
いくら間違っているとはいえども、その人の考えはそこにたどりついたわけですから・・・。

研究は、肯定的・積極的な意見ばかりを取り入れては限界があるので、否定的・消極的なものも、包括的に研究しなければならないと感じたところです。康

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