日常

伊達家の家紋 ”竹に雀” 

2019年 04月16日 - 日常

昨日から仙台に来ています。
毎日11日に有志と共に東日本大震災の被災地を巡って「供養と祈願」を続けていますが、今月は諸般の事情により一週間のお遅れてのお参りとなりました。

仙台といえば「笹かま」。
蒲鉾の歴史は大変古く、平安時代にまでさかのぼりますが、 今日広く親しまれている「笹かま」の名前は、仙台伊達藩時代からになります。
当時は魚が大漁で取れ過ぎてしまうと、新鮮なうちに市場まで運びきることができませんでした。
そこでこの魚を何とかしようと、浜の漁師がヒラメの肉をすり潰して串に刺し、 平たく形づくって焼いて食べたところ、これが大変にうまかった! それ以来、生の魚よりも保存がきき、おいしいということで、広く食べられるようになったそうです。
この形が手のひらに似ていることから「手のひらかまぼこ」、 また舌のような形だということで「べろかまぼこ」など、いろんな名前で呼ばれていましたが、今では「笹かまぼこ」で統一されています。
これは笹の葉の形に似ている事と、伊達家の家紋 ”竹に雀” にちなんだ名前だそうです。
蒲鉾を含む練り物系が苦手な法華坊主ですが、時には一つぐらいお土産などという代物を買って帰りましょうか。

ノートルダム大聖堂、炎上。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

感性にあふれた美しいことば。

2019年 04月15日 - 日常

福島の桜は満開で、今が見頃です。
昨日の休日も各地でお花見が催されていました。
桜は古くから親しまれており、私たちの暮らしの中に深く根付いています。
春の気候や情景を表すことばにも「桜」が使われているものがたくさんあります。
古くから「花見」といえば「桜」の花を見ることを意味したように、日本人にとって桜は特別な花です。

桜の花の様子をあらわすことばには種々あります。
例えば、「こぼれ桜」。
桜の花が満開で、まるで地面にこぼれ落ちたように見える様子のことで、桜の花びらを散らした模様を指します。
また「花吹雪」は、満開の花、特に桜の花びらが風に吹かれて舞い散る様子が、まるで雪が吹雪いているように見えることから生まれたことばです。
「花明かり」は、桜の花が満開で、闇の中でも辺りをほんのりと明るく照らしているように感じられる様子を言います。
「花筏(はないかだ)」は、水面に散った花びらが筏のように流れていく様子を言います。
さらに「花の浮橋」は、水面に散った花びらが橋のように集まっている様子を言います。
日本人らしい感性にあふれた美しいことばを会話の中でさりげなく使えると素敵ですね。
ついでにもうひとつ。
「花より団子」は、きれいな桜の花を見るより、花見団子を食べたほうが良いというところから、「風流を理解する心がないこと」や「名誉よりも実利を優先する」などという意味で使われますからご用心。

11年ぶりメジャー制覇、ウッズ優勝。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

46点ある「三十六景」。

2019年 04月14日 - 日常

映画と読書の回数はカウントが上がりませんが、美術館巡りはそこそこです。
先日、上京の折に太田記念美術館を訪ねました。
ここは、東邦生命保険相互会社会長などの重職を歴任し、実業界の大立者であった5代目太田清蔵(1893~1977年)のコレクションを基礎に、1980年(昭和55年)JR原宿駅そばに開館しました。

今年は、葛飾北斎(1760~1849)が嘉永2年(1849)4月18日に亡くなってから、ちょうど170年の節目の年にあたり、それを記念して「北斎―富士への道」と題し、生涯のテーマであった富士山を北斎がどのように描き続けたかをご紹介(前期 ~4月29日、後期 5月3日~5月26日)しています。
「冨嶽三十六景」は、富士山を日本全国のさまざまな場所から描いたシリーズで、天保2年(1831)頃に制作されました。
題名に「三十六」とありますが、売れ行きがあまりに好評だったため、10点が追加され、全部で46点となっていることをご存知でしょうか。
その中でも世界的に有名なのが、「グレート・ウェーブ」こと「神奈川沖浪裏」でしょう。
山のようにせり上がった波が崩れ落ちようとする瞬間を見事に捉えており、この迫力ある波の描写は、一朝一夕で出来上がったものではなく、波の動きを丹念に観察し続けた北斎の努力によるものであることが、理解できます。

安倍総理、前五輪相辞任後 被災地を初視察。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

ふくしまものがたり

2019年 04月13日 - 日常

福島市出身の日本画家・斎正機(さいまさき)さんの作品展「斎正機の世界展~ふくしまものがたり~」は、福島市のとうほう・みんなの文化センターで開催しており、明日(14日)閉幕されるのを前に、独り観でしたが今日の閉館間近にお訪ねしました。

齋正機さんは、1966(昭和41)年福島県に生まれ、県立福島東高校卒業後、1992(平成4)年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業し、1994年に同大大学院を修了し、現在は日本画家として多くのファンに支持されています。
今回の展覧会は、作家の出身地福島県で、初めての大きな回顧展として初期の作品から最新作までの約100点を展示し、齋さんの多才さを紹介しています。
斎さんにとって初めての大規模な作品展では、鉄道の風景を描いた「鉄道シリーズ」や、子どもたちに温かいまなざしを向けた「子どもシリーズ」、2011年から手掛けている東邦銀行のカレンダー原画など約百点を展示されていました。
いつものような親しいお伴はなく独り観でしたが、隠れた逸材はあちこちにおられるものなのですね。

なつぞら、今朝の草刈おんじカッコイイ。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

西洋で日本美術品を商った初めての日本人。

2019年 04月12日 - 日常

「林忠正」という方をご存知ですか。
林忠正(1853-1906)は、西洋で日本美術品を商った初めての日本人です。
日本でフランス語を習得し、1878(明治10)年のパリ万国博覧会を機に通訳として渡仏しました。
折しも日本の美術・工芸品が大きな人気を博していた時代、万博終了後もパリに留まる決心をした林は、当地でそれらを商う店を構えます。
林が日本から直接仕入れた絵画や工芸品そして浮世絵などは、彼が提供する商品に関する該博な知識と共に、西洋の日本美術愛好家たちに熱心に受容され、ジャポニスム隆盛の大きな原動力となりました。

「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」展が、国立西洋美術館・版画素描展示室で開催(~5月19日)されており、本展を紹介してくれた方と共に観てきました。

各地で開催された博覧会への参加や自身の美術商としての活動を通じて、日本の美術・工芸品の紹介に尽力する一方、現地で美術館がもつ文化的役割の重要性を認識していた林は、日本での美術館建設を夢見て、同時代の作家を中心とする西洋美術コレクションを少しずつ充実させてゆきました。
国立西洋美術館のコレクションの中核を形成した松方幸次郎に先立つこと実に25年前、林はすでに西洋美術館建設を構想していたのです。
しかしその構想は、林の帰国とその早すぎる死によって実現することはなく、彼のコレクションも生前・没後の数回にわたる売り立てによって散逸を余儀なくされました。
この展覧会は、林忠正の孫の夫人で歴史作家の木々康子氏の所蔵品を中心に、万博などとの関わりや、日本そして西洋の美術・工芸品を介して培われた交友、さらにはコレクションがたどった運命に注目し、林忠正の生涯にわたる活動を概観するものです。
林は、浮世絵をはじめとする大量の日本美術・工芸品を国外に流出させた人物として、ときに批判的に語られることもありますが、「芸術を介した日欧文化交流に尽力した林の功績を再考する機会となれば幸い」と主催者は呼び掛けています。

福島産など韓国禁輸、WTO逆転敗訴。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

いじめのない学校へ。

2019年 04月11日 - 日常

新年度を迎え10日あまりが過ぎ、ピカピカの一年生がランドセルを背負って登校している姿を見かけます。

そこで考えてみましょう。
友だちから悪口を言われたり、意地悪されたりしたら、悲しくなりませんか。
同じことをあなたが誰かにしたら、その子をすごく悲しい思いをするはずです。
嘘をつかれたり、ぶたれたり、他の人からイヤなことをされるのは、みんな嫌いなのです。
あなたが誰かにされて「イヤだな」と思うことは、みんな「イヤだな」と思います。
だから「自分がされたくないことは、人にもしていけない」と、お釈迦さまはそう教えています。
自分が意地悪されたからといって、悔しくて他の人に八つ当たりしてもいけません。
お釈迦さまは「我が身に引き比べて、暴力や争いによって人を傷つけることはやめなさい」と繰り返し説いています。
もし、言葉によるいじめや乱暴な振るまいが見られたら、相手の気持ちになって考えること=すなわち「思いやり」の大切さを教えなければなりません。
全ての学校から、いじめや暴力がなくなることを願っています。

人類初、ブラックホール撮影成功。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

春を待つ歌は別れに彩られる。

2019年 04月10日 - 日常


預けし 我が心は 今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても ずっと ずっと待っています
それは それは 明日を越えて いつか いつかきっと届く
春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く ♫ 

ユーミンが書いた「春よ、来い」は、誰もが聴いたことがある曲、文語が使われた美しい歌詞が特徴的です。
数々のCMタイアップを経て、今や音楽の教科書にも載っています。
この曲は歌詞には難しい言葉が使われているので、全て記憶されている方は少ないでしょう。

これは冬から初春にかけての歌ですが、今日のように桜の開花が過ぎても冷たい雪が降ると思わず口ずさんでしまいます。
今日、東京・国立劇場で開催された「天皇陛下御即位30年奉祝感謝の集い」でもユーミンが熱唱していました。

僕は、1番の歌詞より2番の歌詞が好きです。
1番は君との別れの前、2番は君と別れた後を歌っています。
かなりの年月が流れたことが推測できますが、それでも「君」を愛し待ち続けているのです。
2番は1番と異なり、平易な言葉で語られているのは「君」を思う語り手の率直な気持ちでしょうか。
難しい文語が使われている分、分かりやすい言葉でストレートに書かれている部分が印象深く残ります。
1曲通して聞いたときに難しすぎる印象を与えないのは、ユーミンのバランス感覚が優れているからですね。

待ってました、総理が桜田五輪相を更迭。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

福島に桃源郷あり。

2019年 04月9日 - 日常

テレビ・新聞等で、福島市の花見山が全国報道されています。
立正院から車で20分ほどの花見山は、まるでパレットに絵の具を広げたように、今年も山一面が華やかに彩られ、ようやく春本番を迎えました。
梅や早咲きの桜、レンギョウなどが競うように咲き始め、訪れる人を桃源郷に誘います。
地元の花卉農家が丹精を込めて築いた花見山は、毎年、全国から20万人を超える人が訪れる人気スポットになっており、今年で開園60周年でを迎え、花の季節の景色は誰もがうっとりするほどです。
花見山では今、トウカイザクラやヒガンザクラ、ハナモモなどが満開で、これからソメイヨシノやツツジが見頃を迎え、さらにあでやかになっていきます。

ここを全国的に有名にしたのは、有名な写真家である秋山庄太郎氏です。
秋山氏は1970年ころに花見山を初めて訪れ、ひと目で花見山の美しさに 魅了されたそうで、その美しさを「福島に桃源郷あり」と絶賛。
その後は毎年のように花見山を訪れ、写真を撮り、その魅力を展覧会や講演会で紹介しました。
花見山の花はまだまだ続きますので、ぜひ福島に足を運んでください。
その時は、立正院にもご参拝くださいね。

新紙幣発行はキャッシュレス化に逆行?  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

ルンビニーの花園になぞらえて

2019年 04月8日 - 日常

4月8日は仏教の開祖・お釈迦さまが生まれた日とされ、「灌仏会(かんぶつえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」と呼ばれる行事が行われ、また花がふんだんに使われることから「花祭り」として親しまれています。
境内に花で飾ったお堂「花御堂」が設けられ、甘茶を入れた水盤の上に「誕生仏」といわれるお釈迦さまの像が置かれ、「花御堂」はお釈迦さまの誕生の地であるインドのルンビニーの花園になぞらえたものです。
「誕生仏」は、お釈迦さまが生まれてすぐ東西南北の四方にそれぞれ7歩歩み、右手で天を左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん/人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である)と唱えたという姿を表したものです。
お釈迦さまの誕生時に、九頭の龍が天から清浄の水を注いで産湯を使わせたという故事があります。
また同様に、甘露の雨を降り注いだという故事から、柄杓で甘茶をすくい、誕生仏の頭上から注いでお参りします。

それにしてもキリストの誕生日はあんなにも盛り上がるのに、どうしてお釈迦おさまの誕生日はいまひとつなの。
おふたりとも、世界的な超有名人?に変わりないのにね。

やすらぎの刻~道、1年間の壮大な物語が開幕。  法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント

壱千部の経典を読誦する法会。

2019年 04月7日 - 日常

本山(大本山光長寺)の「千部会(せんぶえ)」で、沼津に行ってきました。
千部会とは、祈願・追善・報恩などのために、壱千部の経典を読誦する法会のことです。
その起源は遠く奈良時代にまでさかのぼり、『続日本書紀』によると「天平20年(748)7月、聖武天皇が先帝元正天皇の崩御に際し、法華経壱千部を書写して供養した」というのがはじまりだとされています。
全国各地から集まった多数の僧侶が法華経一部を省略せずに壱千回読誦することから「法華千部会」と称され、また一般には「お千部」とも呼ばれています。
現在の「千部会」では壱千回読誦には至りませんが、一週間にわたり読経を続けます。
この法会は、仏縁を結ぶために広く一般の人々に千部施主となっていただき、その浄財によって営まれ、「千部施主」の方々の現在・過去・未来の所願満足を祈願するものです。
また「千部施主」として功徳をつむことは、施主本人のみならず、家族の幸福にもつながる大変意義深いことです。

福島はようやくサクラの開花が発表されましたが、沼津は満開で、境内のサクラが参詣者を待ち受けてくれていました。

法華坊主 joe

投稿記事を読む - コメント