日常

菊を用いて不老長寿を願う

2018年 09月9日 - 日常

今日(9日)は、五節句のひとつ「重陽の節句(ちょうようのせっく)」で、菊を用いて不老長寿を願うことから別名「菊の節句」といいます。
五節句とは、江戸時代に定められた5つの式日(今でいう祝日)をいい、
➀ 1月7日の「人日の節句」(七草粥)
➁ 3月3日の「上巳の節句」(桃の節句/雛祭り)
➂ 5月5日の「端午の節句」
➃ 7月7日の「七夕の節句」
➄ 9月9日の「重陽の節句」をさします。
古来、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、めでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。
中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、不老長寿や繁栄を願う行事をしてきました。

古来、菊は薬草としても用いられ、延寿の力があるとされてきました。
菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあります。
また、他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。
中国由来の行事で、日本では平安時代ごろに貴族の宮中行事として取り入れられました。
当時は、中国から伝来したばかりの珍しい菊を眺めながら宴を催し、菊を用いて厄祓いや長寿祈願をしていました。
これが時代とともに民間にも広がり、江戸時代に五節句のひとつとなって親しまれるようになりました。
今では五節句の中でも影が薄くなりましたが、五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったといわれています。

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露凝って白し

2018年 09月8日 - 日常

今日(8日)は、24節気のひとつ「白露(はくろ)」です。
処暑から数えて15日目にあたり、この日から「仲秋(ちゅうしゅう)」になります。 
草の葉に白い露が結ぶという意味で、夜の間に大気が冷え込み、草花に朝露が宿ることから名づけられたのでしょう。
野には薄の穂が顔を出し、太陽が離れていくため空が高くなるなど、本格的な秋の到来を感じられる頃です。
日中はまだ暑さが残りますが、朝夕の涼しさの中に肌寒さも感じ始めます。

空には夏の代名詞である入道雲の出番が減って、代わりに秋らしいうろこ雲が見られるようになります。
日が暮れるのも早く感じるようになり、ススキが黄金色に輝くのもこの季節。
それまでは朝からうだるような暑さを感じていたのに、白露の時期になると朝晩は少しひんやりと感じられることもあります。
白露は「陰気ようやく重なり、露凝って白し」から名付けられました。
暑さも少しずつ収まり始め、草花には朝露がつくようになるという意味があり、暑さの種類が変わったように感じられる季節です。
また、この季節は大気が不安定になりやすく雨が降る日が多くなります。
俗に秋雨前線や秋の長雨と呼ばれるもので、近年はこの時期の雨が思わぬ被害をもたらすことも多く、注意が必要となっています。
しかしながら、一般的には小学校の運動会シーズンを前に練習が始まる頃でもあり、熱中症になる心配も少なくなることからジョギングやウォーキングを始める方も増えてくる季節となっています。

テニス錦織、全米OP4年ぶり決勝進出逃す  法華坊主 joe

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清らかで美しく控えめとしつつも凛

2018年 09月7日 - 日常

春の七草は1月7日の人日(じんじつ)の節供に七草粥にして食べることで有名ですが、秋にも七草があります。
しかし秋の七草は、これにちなんだ節供や行事があるわけではなく、鑑賞して秋の風情を楽しむものです。
➀ 秋に咲く草と言う意味の「萩(ハギ)」
➁ 花期は夏なので夏の着物によく描かれている「桔梗(キキョウ)」
➂ 茎で籠や布を織り、根から採取したでんぷんがくず粉となる「葛(クズ)」
➃ 乾燥させると香りが強く、桜餅のような香りがする「藤袴(フジバカマ)」
➄ 恋に破れて身投げした女の脱ぎ捨てた山吹色の「女郎花(オミナエシ)」
➅ 私たちがよく知っているススキ「尾花(オバナ)」
➆ 愛児を失った親がその子の愛した花を形見として撫でたことに由来する「撫子(ナデシコ)」
以上が、秋の七草です。

その中でも、「ナデシコ」とは、ナデシコ科一群の植物の総称をいい、自生種のほか園芸品種の種類も多数ある多年草です。
日本女性の清楚な美しさをナデシコの花に見立てていう「大和撫子(やまとなでしこ)」という言葉は、みなさんよくご存じのことと思います。
日本のイメージが強い「なでしこ」ですが、世界各地に分布しており、その種類も豊富で、扱いやすく丈夫なため、品種や場所によっては、ほぼ周年にわたって鑑賞することができます。
夏から秋ごろにピンク、赤や白などの小さな花をつける秋の七草の一つですが、夏の季語にもなっています。
派手さの無い淡紅色の美しい花が、「清らかで美しく、控えめとしつつも凛とした日本女性」と重なることから、理想の日本女性の美称として大和撫子の名前が借りられるようになりました。

元モー娘・吉澤、ひき逃げ・酒気帯び、なにやってんだ!  法華坊主 joe

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備えあれば憂いなし

2018年 09月6日 - 日常

今朝(6日)未明、北海道胆振地方で地震があり、安平町で震度6強の揺れを観測しました。
私どもも8年前に東日本大震災を体験し、その悲惨な事態を経験しています。
こうして地震が発生するたびに、自分も何か対策せねばと感じます。
しかし、実際に地震対策をしようと思ってもなかなか実行できない方が多いのはなぜでしょう。

明日は我が身を襲うかもしれないのが地震の怖さ。難しく考えず、できることから取り組みませんか。
それが大切な家族を守ることにも繋がるのです。
例えば、普段から家の中を見渡してみて、「あ、危ないかも」これを見すごさないことが大切です。
家具の下敷きになったり、ガラスの破片で怪我をしたり・・・被災者の多くがこうしたことで怪我をしたり、命を落としているのです。
ちょっとした用具を揃えれば自分で防止できることがたくさんありますから、ぜひ対策しておきましょう。
さらに、必要なのはわかっていてもなぜか準備できない「非常持出袋」、その原因は小難しく考えているからかもしれません。
自分にとって必要なものとは何なのかと考えると、随分楽になるのです。
「その時欲しかったモノ」「無いと困る、あったら嬉しい備蓄品」「家族の為のサバイバルグッズ」もチェックしておきましょう。
災害時、家族が一緒にいるとは限りませんので、いざという時に備えて、家族で連絡手段などを確認しておきましょう。
偉そうに思いつくままを記してみましたが、私もまったく無対策というのが現状です。ゴメンなさい。
一日も早い復旧・復興をお祈りいたします。

北海道、一時全域で295万戸が停電。  法華坊主 joe

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秋の気配を感じる季節

2018年 09月5日 - 日常

台風(21号)一過、日中は残暑が厳しい一日でしたが、朝夕はめっきり涼しくなり秋の気配を感じる季節となりました。
秋の味覚の魚といえばサンマです。
脂の乗ったサンマは炭火で焼くのが最高で、煙の中から香ばしい香りが立ちのぼります。
漢字では「秋刀魚」と書くサンマですが、形も色も刀に似ていて、秋にとれる刀のような魚ということから名づけられたといわれています。
「サンマ」という呼び方については、ふたつの説があり、ひとつは、その形から「細長い魚」を意味する「サマナ(狭真魚)」⇒「サマ」⇒「サンマ」と変化したという説。
ふたつめは、大群で泳ぐ習性があるので「大きな群れ」を意味する「サワ(沢)」と「魚」という意味の「マ」がくっついて「サワンマ」⇒「サンマ」になったという説です。
秋、太平洋で採れた産卵前のサンマは脂がのっていて、塩焼きにぴったり。
カボスやスダチ、レモン、ユズなどの搾り汁や、ぽん酢、醤油などをかけ、大根おろしを添えて食べるサンマの塩焼きは、日本の「秋の味覚」の代表ともいえます。

今朝のローカル紙のコラムに次のような文が載っていましたので紹介します。
「作家吉村昭さんの小説『破船』に、家族四人が一匹のサンマを分け合って食べる夕げの場面がある。
初めて漁に出た主人公の少年が苦心の末、ようやく得た。弟と妹はわずかな身を無心に口にする。少年は小さな魚がもたらす幸福感をかみしめる。」
これこそ、良い時代かも知れませんね。

台風21号の影響でライフラインに乱れ続く。  法華坊主 joe

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ひと足先に芸術の秋

2018年 09月3日 - 日常

先週金曜日、東京の帰りに途中下車して「ターナー 風景の詩」展に寄ってきました。
ターナー展は、昨年11月から北九州で、本年2月からは京都で、4月からは東京で、それぞれ約ふた月ずつ巡回し、7月7日~9月9日は郡山で開催しています。
会場の郡山市立美術館は、建物の改修工事のため2017年10月から休館していて、今回リニューアルオープンです。

英国を代表する風景画の巨匠・ターナー(1775~1851年)は、ヨーロッパ各地を旅行し、嵐の海景、崇高な山、穏やかな田園風景などをスケッチしてアトリエに持ち帰り、水彩画や油彩画にしました。
自身の作品を普及させるため、版画制作にも力を入れたようです。
写真の普及していない当時、ターナーの版画は、旅行ガイドのような役目も担っていました。

素人の私は、水彩技法の神領域を垣間見て「信じられない、どうなってんの?」とつぶやきながら、ひとつひとつを間近で観てきました。
小作品のためか展示数は多いのですが、半分はエッチングでしたから、細か過ぎてシンドイと思いながらも、閉館までの1時間、それぞれの作品を堪能してきました。
ゆったりとした空間で、たっぷりまるごとターナー、ひと足先に、芸術の秋を満喫です。

大谷・二刀流復活、2失点で2敗目。  法華坊主 joe

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三宅裕司が乳飲み子だった!

2018年 09月2日 - 日常

先週木曜日に「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」を観て感動したことは既報のとおりです。
そのブログを見てくれた友人から連絡があって「私も好き・・・それで孫の名前も千尋(ちひろ)と名づけたの」と連絡をいただきました。

いわさきちひろさんは、本名:松本知弘(まつもとちひろ、旧姓岩崎)で、大正7年生まれの、もちろん女性です。
子供の水彩画に代表される日本の画家で、絵本作家でもあります。
今日は絵から離れて彼女の人となりを探ってみます。
ちひろは27歳の時、宮沢賢治のヒューマニズム思想に強い共感を抱き、日本共産党の演説に深く感銘し、勉強会に参加したのち入党しました。
画家としての多忙な日々を送っていた彼女ですが、30歳の夏、党支部会議で演説する青年松本善明と出会います。
松本善明といえば、弁護士として松川事件やメーデー事件、労働争議に関わり、後に日本共産党衆議院議員となった方です。
2人は党員として顔を合わせるうちに好意を抱くようになり、ある時ちひろが言った何気ない言葉から、結婚する決心をしました。
昭和25年1月21日、レーニンの命日を選び、2人きりのつましい結婚式を挙げました。その時、ちひろは31歳、善明は23歳でした。
翌年ちひろは長男を出産しますが、狭い借間で赤ん坊を抱えて画家の仕事を続けることは困難であったため、やむを得ず信州松川村に開拓農民として移住していたちひろの両親のもとに子どもを預けることにしました。
当然ながら赤ん坊に与えるはずの乳は毎日張ります。
初めのうちは自ら絞って捨てていましたが、「実際に赤ん坊に与えなければ出なくなってしまうのではないか」「息子に会って授乳する時に充分出なくなってしまうのではないか」と懸念したちひろは、当時近所に住んでいた子どもが生まれたばかりの夫婦に頼み、授乳させてもらったといいます。
ちなみに、その乳飲み子は後にタレントとなるあの三宅裕司だったそうです。
今の世の中では考えられない驚きのエピソードですよね。

競泳6冠・池江璃花子、アジア大会MVP  法華坊主 joe

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台風21号、本州に接近・上陸?

2018年 09月1日 - 日常

今日から9月=長月(ながつき)です。
日増しに夜が長くなるので「夜長月」、それが「長月」になったといわれています。
また今日は、立春から数えて210日目にあたる「二百十日(にひゃくとおか)」です。
この時季は稲が開花・結実する大事なときですが、台風が相次いで襲来し、農作物が被害を受けてしまうことがよくあり、厄日とか荒れ日などといわれ、一つの目安として警戒を呼びかけていたようです。
二百十日が雑節として暦に記載されたのは江戸時代で、先人たちの経験に基づいた生活の知恵が暦となっているのです。
まさに来週半ばには、台風21号が日本列島に接近・上陸の可能性があるようですから、最新の台風情報に注意しなければいけませんね。

もうひとつの「二百十日」は、1906年に発表された夏目漱石の短めの小説です。
「草枕」と同じく熊本県が舞台で、作者の熊本滞在中の実体験が元になったと言われています。
主な登場人物は圭さんと碌さんの二人で、小説の大半がこの二人の会話文で成り立っており、夏目漱石の小説の中でもかなり異色の作品だと思います。
二百十日の嵐の中、阿蘇山に登山中、谷に落ちた圭さんを碌さんが助ける場面が印象的です。
豪快な性格で常に碌さんを引っ張っていた圭さんが、碌さんに引っ張り上げられて助けられるという、印象に残る場面です。
物語のクライマックスシーンということもあり、手に汗握る内容になっています。
量が短いので1時間もあれば読めますし、内容が理解ができればめちゃくちゃ面白いとは言いませんが、それなりに面白いですよ。

スリジャヤワルダナプラコッテー、憶えられな~い。  法華坊主 joe

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東京ってイイな!

2018年 08月31日 - 日常

きのう(30日)午後から所用があって上京しました。

まず、親しい友人からいただいたチケットを手に、東京駅にある東京ステーションギャラリーで、いわさきちひろ展「いわさきちひろ、絵描きです。」を観てきました。
彼女の絵は多くの人がみたことがあると思います。
教科書にのっていたり、なんといってもベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」の挿し絵で有名です。
水彩画のぼんやりとした、やさしいタッチの、子どもの絵が、いわさきちひろさんの代表的な絵です。
どの子どもも、かわいい。
しかも、こんな子いるいる!!とつぶやいてしまう絵がならんでいます。

続いて、僕のナビゲーターと合流して、六本木ヒルズにある森美術館「建築の日本展」を観てきました。
本展監修の藤森照信氏は、「丹下健三の登場を機に、日本の現代建築は世界の先端に躍り出て今にいたるが、それが可能になったのは、日本の伝統的建築の遺伝子が、建築家本人の自覚の有無とは別に、大きく関係している。たとえば、空間の感覚とか柱と壁による木の構造とか、内外の区分とか。そうした伝統と現代の見えざる関係について、代表的建築家の実作を取りあげて明らかにする。」と解説しています。
会津の「さざえ堂」の縮小模型も展示してありました。
千利休の作と伝えられ、現存する茶室建築としては日本最古の国宝《待庵》(京都府・妙喜庵)のコーナーは、「わび」の思想を空間化したもので、日本文化を語る上で欠くことのできない建築の一つです。
原寸スケールで再現し二畳の茶席やにじり口(出入口)でよく知られる極小空間を二人で体感することができました。
その後、タワー52Fの屋内展望回廊に移動して都内の夜景を拝観、これまた感激しました。
今日の出来事については、近いうちに報告します。

沖縄副知事、辺野古の埋め立て承認を撤回。  法華坊主 joe

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ユーモアと哀愁あふれる世界

2018年 08月30日 - 日常

昨日は、雨模様でしたが、時間を作って「安西水丸展」を福島県立美術館で観てきました。
安西水丸さん(1942年7月22日~2014年3月19日)は、1970年代より小説、漫画、絵本、エッセイや広告など多方面で活躍したイラストレーターです。
はじめ広告代理店や出版社に勤め、デザイン等の仕事をしながら、嵐山光三郎の勧めで『ガロ』に漫画を掲載、南房総での幼少期を題材とした『青の時代』が高い評価を受けます。
独立後は、村上春樹をはじめとする本の装幀や、『がたん ごとん がたん ごとん』などの絵本、和田誠との展覧会、広告や執筆活動など幅広く活躍しました。
「その人にしか描けない絵」を追求し、身近なものを独自の感性で表現した作品は、私たちをユーモアと哀愁あふれる世界へと誘います。
本展では、「小さい頃よりずっと絵を描くことが好きだった」という安西の幼少期から晩年に至るまでの足跡を、原画と資料あわせて約760点によりご紹介します。(企画展HP参考)

シンプルな線で描かれた線と、カッティングシートを使って作る作品。
そのシートと線を少しずらすのが、コツだと安西さんは言われていたとか。
ゆるい線で、「ずれ」もゆるい性質を表すものなのに、どうして都会的な空気が出るの?と不思議でたまりません。
残り少ない期間(~9/2)ですが、ぜひ足を運んでください。
ちなみに、村上春樹さんとは彼がジャズ喫茶の経営者時代からの付き合いで、親交がたいへん深かったそうです。

体操女子でも、暴力・パワハラ?  法華坊主 joe

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