日常

稲荷神を祀る祭事。

2019年 03月9日 - 日常

明日(10日)は、旧暦の初午(はつうま)です。
この日は稲荷神のお祭りで、五穀豊穣、商売繁盛、開運招福、家内安全を祈願します。
稲荷神のお使いといわれるキツネの好物の油揚げや、初午団子を供える風習もあります。
稲荷神は、農業・漁業・商売・家庭円満にご利益があるとされ、京都市伏見区の伏見稲荷大社が総本社です。
伏見稲荷によると、和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、祭神が稲荷山(伊奈利山)の三箇峰に降りたという故事から、稲荷神を祀る祭事が行われるようになったとされます。
旧暦2月の初午の日は今の3月にあたり、ちょうど稲作を始める時期だったため、農耕の神様を祭るようになりました。
また、その日から習い事を始めるという風習もありました。

法華信仰と初午との関係は、稲荷大明神が姿を持たない久遠実成の御本仏の応現として衆生の済度のために菩薩の姿となって現れたことから、法華経の守護神の一つとして勧請され、今なお法華信者の篤い信仰を集めています。

法制局長官の越権発言に、広がる波紋。  法華坊主 joe

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東日本大震災からまもなく8年。

2019年 03月8日 - 日常

昨年大ヒットした映画『カメラを止めるな!』が今夜、日本テレビ系『金曜ロードSHOW!』で放送されましたが、皆さんご覧になりました。
先週の日本アカデミー賞で最優秀編集賞を受賞した上田慎一郎監督の監修のもとテレビ初放送となる今回、カメラ1台でワンシーン・ワンカット撮影に挑んだ作品冒頭からの約40分間をCMを入れずノーカットで放映されたことにはビックリしました。
この映画は冒頭40分が勝負ですので、映画ファンはスポンサーの配慮に感謝です。

話は変わりますが、東日本大震災からまもなく8年となります。
警察庁は、3月1日の時点で、東日本大震災による死者は1万5,897人にのぼり、今も2,533人が行方不明のままとなっていると発表しました。
被災3県では、宮城県で9,542人、岩手県で4,674人、福島県では1,614人が亡くなっています。
2018年3月1日以降では、岩手と宮城であわせて4人の身元が確認されましたが、被災3県では60人の身元が依然として判明していません。

今年も3月11日を迎えるにあたり、法華坊主も被災地に出向いて「供養と祈願」を執り行う予定にしています。
皆さん方もこの大惨事を風化させることなく、且つ、今こうして元気でいられることに感謝し、日々ご精進くださるようお願いします。

覆面レスラー・デストロイヤー死去、88歳。  法華坊主 joe

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若冲ブームのルーツ『奇想の系譜』

2019年 03月7日 - 日常

今日はいち日、冷たい雨が降り続いています。
本州付近が移動性高気圧に覆われると晴れますが、春は日本列島の上空を流れている偏西風が強いため、高気圧や低気圧の移動速度が速く、高気圧に何日も覆われることはあまりありません。
このため春の晴天は3日と続かず、天気変化が早いのが特徴で「春に3日の晴れなし」と言われます。

今月26日から福島県立美術館において「伊藤若冲展」が開催されます。
もちろん前売り券を購入して観に行く予定ですが、その前に、先日東京で観た「若冲」についてお話しします。
上野の東京都美術館で「奇想の系譜展・江戸絵画ミラクルワールド」(~4/7)が開催されています。
1970年に刊行された美術史家・辻惟雄による『奇想の系譜』に基づく、江戸時代の「奇想の絵画」の決定版です。
展覧会では一番人気の伊藤若冲からスタート、「象と鯨図屏風図」がバーンと現れて、しょっぱなからテンション上がります。
若冲以降は、曾我蕭白・長沢芦雪・岩佐又兵衛・狩野山雪・白隠慧鶴・鈴木其一・歌川国芳の順に8人の作品が展示されています。
伊藤若冲といえば、今では熱狂的な人気のある江戸時代の画家ですが、半世紀前はほとんど顧みられることはありませんでした。
辻惟雄の『奇想の系譜』がきっかけとなって、この人気に火がついたのです。

出展の8人はほぼ同じ時代にも関わらず、作者によってこうも違うものなのか、という比較や検証が出来る楽しみもあります。
貴重な経験を感じる部分も多く、奥が深い展覧会だと感じました。
福島の展覧会も今から楽しみです。

大阪知事&市長、クロスでw選?。  法華坊主 joe

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まず目に入るのは明るい空。

2019年 03月6日 - 日常

今日は、24節気のひとつ「啓蟄(けいちつ)」です。
啓は「ひらく」、蟄は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃です。
まだまだ寒い時節ではありますが、一雨ごとに気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなってきますし、春雷がひときわ大きくなりやすい時季でもあります。

親しい友人が、昨日の新聞をもとに「蛇穴を 出れば飛行機 日和なり」幸田露伴の句を教えてくれました。
その意はこんなことなのでしょうか。
「冬眠からさめた蛇が地中から出てみると、ぽかぽかとした上天気。空を見上げて、思わずも『ああ、飛行機日和だ』とつぶやく。まさか蛇がつぶやくわけもないのですが、ようやく長い冬のトンネルを抜け出た作者が、上機嫌で蛇につぶやかせたくなったのでしょう。真っ暗な地中から出てきたら、真っ先に目に入るのは周辺の景色ではなく、やはり明るい上空」ということですかね。

立正院の隣町、二本松市の亀谷坂に「露伴亭」というスリランカカレーの店があります。 
店名は、幸田露伴に由来するそうです。
露伴は、電信技師として北海道余市に赴任するも職を放棄し、東京への帰郷を決意しました。
体調最悪の中、福島から郡山まで途中に通りかかった二本松は祭りの最中で、口にしたのは奥州街道峠茶屋「阿部川屋」の餅でした。
体力・気力の限界で詠んだ句「里遠し いざ露と寝ん 草まくら」は、露伴の雅号の由来となりました。
歴史の舞台となった亀谷坂頂上には、露伴の「ペンネームゆかりの地」碑が建立されています。

ゴーンさん、10億納め変装して軽ワゴン。  法華坊主 joe

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どこかで春が生まれてる。

2019年 03月5日 - 日常

今日(5日)は、日差しが戻り暖かくなりましたが、花粉が非常に多く飛んだようです。
花粉症の方は、これからの季節たいへんですね。
子どもの頃に口ずさんだ歌に「どこかで春が」なんていう童謡があったこと思い出しました。

♪ どこかで春が 生まれてる 
  どこかで水が 流れ出す
  どこかで雲雀(ひばり)が 鳴いている
  どこかで芽の出る 音がする
  山の三月 そよ風吹いて
  どこかで春が 生まれてる ♬

大正12年(1922)に発表されたこの歌は、もともとの「東風吹いて」が現在は「そよ風吹いて」に改変されたそうです。
東風(こち)は春風を意味して古くから使われ、おくゆかしい詩歌の伝統も負った言葉でしたから、改変後の歌詞は意味が緩くなってしまったようで残念ですが、この方が歌いやすい音節数なのでしょうか。

昨日、親しい友人が「小鳥がチュンチュン騒がしく囀っています」とLINEをくれました。
口へんに車・專で、画数は21画、「さえず・る」と読みますが、書き方も読み方も難しい漢字ですね。
意味は、「小鳥がしきりに鳴く」「小鳥が盛んに鳴き続ける」「ピーチクパーチクと盛んに鳴くさま」を言い、中型以上の鳥の場合は「さえずる」とは決して言わないそうです。

ゴーン前会長の保釈に準抗告、地裁決定に東京地検。  法華坊主 joe

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今にも動き出しそうな動物。

2019年 03月5日 - 日常

昨日、今日と冷たい雨が降り続いています。
四国の南と伊豆諸島付近の低気圧はそれぞれ東へ進む見込みで、上空の寒気を伴った気圧の谷が本州付近を通過するため、真冬並みの寒さに戻ったようです。

先日、上京した際に「北斎アニマルズ」(~4月7日、すみだ北斎美術館)を観てきました。
葛飾北斎やその一門が描いた生き物の作品を紹介する企画展です。
北斎は動物園にいるような、哺乳類や鳥、虫、魚介などの生き物をたくさん描いています。
リアリティを追求し、今にも動き出しそうな動物を描く一方、北斎独特の視点によるユーモアも兼ね備えた生き物の作品も残しています。
北斎の動物には、繊細な表情を伝えるような特徴的な目で描かれたものもあります。

展示作品はそれほど多くはありませんでしたが、来場者が少ないため、六本木で催されている北斎展よりも、1つ1つの作品をじっくり見ることができました。
しかし『北斎漫画』に描かれているような小物作品が多く、北斎の迫力を感じることはできず、また北斎の面白人生の魅力を伝えきれていないようにも感じました。
人気を博している「新・北斎展」を観た二週間後でしたから、余計にそう感じたのかもしれませんね。

公開前に日付が変わってしまいました。  法華坊主 joe

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嫁に行き遅れますよ!の理由。

2019年 03月3日 - 日常

今日は、雛祭り。
「お雛様(雛人形)を早く片付けないと嫁に行き遅れますよ」なぜこんなことを言うのでしょう? 単なる迷信とあなどるなかれ! ここには深い意味・由来があります。

その理由は、雛祭りは古代中国の厄払い行事である上巳の節句、人形(ひとがた)に穢れをうつして流す風習、小さな人形をつかった雛遊びなどが混ざって成立したものです。
現在でも流し雛をする地域がありますが(もちろん、あの豪華な雛人形ではなく、藁や紙でできた雛人形です)、雛人形にその子の厄や災いを移すという考えから、厄を移した人形をいつまでも身近におかず、早く片付けて災いを遠ざけたほうが良いと考えました。

またこんな説もあります。
雛人形はいつまでも眺めていたいものですし、いざ片付けるとなると面倒でしょう。
しかし、片付けも満足にできないようではきちんとした女性になれず、いいお嫁さんにもなれません。そこで「お雛さまを早く片付けないと嫁に行き遅れますよ」と言って、しつけました。
さらには、早く飾り出すと「早く嫁に出す」、早くしまうほど「早く片付く(嫁に行く)」といい、雛人形は婚礼の様子を表しているので、飾る時期を娘の結婚になぞらえている説もあります。
「お雛様を早く片付けないと嫁に行き遅れますよ」と言われるようになった理由には、いくつかの説があるにせよ、娘の幸せを願う親心なんですね。
このような意を汲んで片付けをするのなら、3日以降早めに片付けましょう。

東京マラソン、大迫傑が途中棄権。  法華坊主 joe

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春の弥生のこの佳き日。

2019年 03月2日 - 日常

明日3月3日は、「桃の節供」です。
本来は「上巳の節供」(じょうしのせっく)といいますが、ひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う「ひな祭り」として親しまれています。
ひな祭りの味といえば、「菱餅」や「ひなあられ」「白酒」などがあり、ひな壇に飾るとおひな様も喜んでいるように見えます。
また、「蛤の潮汁」や「ちらし寿司」も、お祝いのごちそうとしておいしいだけでなく、縁起よく、見た目も春らしくて華やかです。
かわいく飾って、おいしく食べてひな祭りを楽しみましょう。

その昔、ひな人形を持って野山や海辺へ出かけ、おひな様に春の景色を見せてあげる「ひなの国見せ」という風習がありました。
その時にごちそうと一緒に持っていったのが「ひなあられ」です。

ひな祭りの飲み物といえば、童謡にも歌われている「白酒」です。
♪少し白酒 めされたか 紅いお顔の 右大臣♪
もともとは、桃が百歳を表す「百歳」(ももとせ)に通じることから、桃の花を酒にひたした「桃花酒」(とうかしゅ)を飲む風習がありました。
江戸時代から「白酒」が好まれるようになり、ひな祭りといえば「白酒」が定着していきました。
それでは今夜、法華坊主も街に出かけ、たくさん白酒いただいて、紅いお顔に染めて参りましょう。

『まんぷく』にサクラパパ・奥田瑛二登場。  法華坊主 joe

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学生服の第二ボタン。

2019年 03月1日 - 日常

今日から3月。
「弥生(やよい)」といい、草木がいよいよ生い茂る月という意味です。

今日は、県立高校の卒業式で、福島県内で約14000人が学び舎を後にしました。
卒業式といえば「詰衿学生服の第二ボタン」、懐かしい思い出がある方も多いのではないでしょうか。
この「卒業式に学生服の第二ボタンを贈る」という習慣には、いくつか説がありますが、いずれも「大切な人に贈るもの」という意味で、いつも自分が身につけている学生服の第二ボタンを贈っているようです。
その理由は諸説あるようですが、ひとつ目は、詰衿学生服にはボタンが5つあり、ボタン1個1個に意味がつけられていることによります。
1番上は自分、2番目が1番大切な人、3番目は友人、4番目は家族、5番目は謎ですが、その人にとって「1番大切な人になりたい」との気持ちから、それを表す2番目のボタンを贈ると言われています。
二つ目は、第二ボタンは1番心臓に近いところにあるので、「ハートをつかむ」という意味で意中の人の第二ボタンをもらうという説です。
三つ目は、1960年公開の「予科練物語 紺碧の空遠く」という映画がもとになっているとの説です。
戦死してもう2度と逢えなくなるかもしれないという旅立ちの際、1番大切な人に想いを伝え、形見として着ている軍服の第二ボタンを渡していたと言われています。

そして忘れてならないのは、斉藤由貴が歌った「卒業」の歌詞。
「制服の胸のボタンを/下級生たちにねだられ/頭かきながら逃げるのね/ほんとうは嬉しいくせして・・・」
ブレザー化が進んでいる現代だと、この習慣の経験者は減っているかもしれませんね(笑)。

日本アカデミー賞、『万引き家族』が8冠。  法華坊主 joe

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28日しかない2月も終わり。

2019年 02月28日 - 日常

今日は低気圧が近づいてきた影響で、時折り本降りの雨、一日中すっきりしない冷たい雨が降り続きました。
かつて日野美歌が歌って流行った「外は冬の雨/まだやまぬ/この胸を濡らすように/傘がないわけじゃないけれど/帰りたくない」の歌詞を思い出しました。
でも、農家にとっては恵みの雨となったようです。

今日で2月も終わり、明日から3月です。
なぜ2月だけ短いのかは、暦がどのようにできたのかと深い関係があります。
今使われている暦というのは、2000年以上も前にローマで作られた暦が、約400年前に改良されてできたものです。
ですから、今のわたしたちにはあまりなじみのない当時の外国の習慣がいくらかのこっているのです。
今は1月が1年の始まりですが、大昔のローマでは3月が1年の始まりとされていました。
おそらく、作物の芽がでる春が、1年の始まりにふさわしいと考えたためだと思われます。
3月で始まると、2月は1年の最後の月になります。
次に、その2月が28日であった理由ですが、現在の暦は30日の月と31日の月がだいたい交互にならんでいますが、大昔のローマの人たちは29と31を縁起のいい数字と信じていました。
それで、1か月を29日か31日として暦を作ったところ、最後の2月が28日とはんぱになってしまったのですが、彼らはそれを気にすることなく暦を使い始めたというわけです。
その後、何度か暦が作りかえられていくうちに、今のように1か月は30日か31日にかわったのですが、どうしても1年の中に短い月を1つ入れないと365 日にならなくなりました。
そのため今でも一番短い月は2月ということになっているのです。

米朝首脳会談、合意なしで物別れ。  法華坊主 joe

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